短編集11(過去作品)
私はあまり人に影響されたくないタイプである。作品の内容自体には大いに興味をそそられるが、その人それぞれの感性が違うのに人から影響を受けるのは、却ってマイナス要因になる気がして仕方がない。
実は男が目の前で読んでいる「夜の蝶」などその典型だと思っていて、頭の中でストーリーがよみがえってくるのを感じた。
どちらかというと一回読んだ本に対しての記憶は、あまりない方である。次々に新しい作品を読み、その中でヒントになりそうなことは逐一メモに取るタイプなのでそう思うのだろう。暗示にかかりやすいタイプで、しかもいつまでの記憶に留めておくタイプの私にはなかなか難しいことなのだ。
しかしこの本に関しては、思い出そうとすると自然にストーリーがよみがえってくる。自分が経験したことであればすぐに記憶から引っ張り出すことは可能なのだが、まったく知らない世界を勝手に想像するだけなのに、よく記憶から引き出せるものだ。ストーリーに願望のようなものでもあるのだろうか?
一人の男が主人公である。
男は二十歳代後半で、会社の仕事も無難にこなし、人付き合いもそれほど下手ではないといった平均的な独身サラリーマンである。
しかしそれでも時々フッと寂しくなることや、マンネリ化を阻止するという意味で、自分だけのスペースを追い求めたいと常々思っていた。
彼はたまたま立ち寄ったスナックで一人の女性と出会う。男はそれまでに常連になった店しか一人で入ったことはないのだが、なぜか気がつけば店の中にいた、というところからストーリーは始まっている。
最初からその女性が気になっていたわけではない。向こうもこちらを一切気にしていなかったし、ただ黙々と呑んでいるだけだった。しかし、それが男を気にさせたのかも知れない。いつの間にか男は女性の素性をあれこれ想像し始めた。
意識してなのだろうか、薄い化粧をしているが、気にしているとそれなりに目立って感じる。きっと家庭の主婦なのだろう。しかし、前は水商売でもしていたのかも知れない。
初日はそう感じながら声を掛けることもなく、だが彼女から目を離すことはなかった。翌日も、またその翌日も男の足はその店に向かう。もちろん彼女に会うためだ。
初めて声を掛けたのは何日目だっただろうか?
まるで声を掛けられるのを待っていたかのように、一瞬女性の顔に安堵の表情が浮かんだ。しかし、それも一瞬で、結局また無表情に戻っていた。それでも男の話しかける話題に対しては短いながらも的確に答えていた。何度か話すたびに聞けた彼女の素性も、大体最初に想像したとおりだったことが、さらに男を有頂天にさせる。
――私の想像どおりであれば、彼女とはきっとうまくいくだろう――
すでに付き合い始めたような気になってしまっていた。
すぐに想像だけが先走りする、これも彼の一面だった。もちろん、いい悪いは意見が別れるところだ。
最初に見た時はそれほどタイプとは思わなかった。いつも女性を気にする時は、そのほとんどが一目惚れなので、今度のようなパターンは初めてだった。
だが、彼の想像は脆くも崩れた。彼女の本当の姿が見切れなかったからだ。
ふとしたきっかけから彼女が不倫をしていたことを知る。しかもその相手とは何と自分の会社の上司ではないか。男は困惑する。
ここからが、この話のクライマックスだ。男はもう彼女のことを無視できなくなっていた。平均的なサラリーマンにとっての人生の分岐点、これがこの話のテーマなのだ。
――そういえばこの話をラストまで読んだんだっけ?
急にそんな疑問が頭を擡げる。
ここまで読んだのだから、ラストまで一気に読まないと気持ち悪いはずである。しかしここまで思い出してくると、始めの方のストーリーを思い出している頃はラストのイメージがあったはずなのに、最後に近づくにつれ、次第にそれが薄れていく。さらにクライマックスに差し掛かる頃にはまったく思い出せない状態になっているのだ。
きっとストーリーはタイトルである「夜の蝶」が暗示しているのだろうが、実際に経験のない私にはその意味が分からない。
私は最近自分のことで憂いていることがある。特に小説を書き始めてそのことを痛感するようになったのだが、何かに怯えているような気がするのだ。
それがどこから来るものなのか分からない。これといって具体的な不安があるわけでもなく、昔から持っていた漠然とした将来への不安はあるのだが、それも今に始まったことではない。
きっと「被害妄想」が強くなったのだろう。
そう思ってきたが、時々ひどくなることから、「躁鬱症」なのだという自覚も最近出てきた。
夢を見ていることだけを考えている時は、そんな不安感などない。自分に対し誇大妄想のようなものを抱いたりすることもなく、地道にやっているだけなのだが、自分でも気付かないところで誇大妄想になっているのかも知れない。それが不安に繋がるとすれば、不本意ながら、納得がいく。
鬱状態の時が近づくと自分で分かるものだ。行動パターンも分かってきて、見るものすべてにまるである種の色がかぶさっているように思う。
普段もカラーで写っているのだが、背景にある色は限りなく透明に近い色である。しかし鬱状態に陥るとまるで黄砂が舞い降りたかのような「きなこ色」が背景にあり、すべてが「きなこ色」に彩られているような気がしてくる。その証拠に躁状態へ戻ってきた時には、はっきりと明るい背景が自分の目に戻ってくる。鬱状態、躁状態に変わる時は、自分で自覚症状があるが、本当に変わってしまったかどうかは、背景の色で判断できるというものだ。
私が鬱状態に陥る時、それは人の顔が微妙にいつもと違うものに見えてくる時だ。別に般若の形相に変わってしまうというわけではないが、普段よりも人のわざとらしさが分かるというか、笑顔にぎこちなさを感じ始めると、危険信号だ。どちらかというと普段から人の笑顔に対し、無理のない無意識な笑顔を返していた私が、
――たぶん、引きつった笑顔を返していることだろう――
と感じた時、私は鬱状態の入り口にいるのだ。
普段から小説を書くために心掛けている人間観察が、鬱状態になるとままならなくなる時がある。人の動きが皆わざとらしく見えてきて、どこかに人為的なものを感じるからだろう。そして何よりもそれを見ている自分の目が信じられなくなり、筆が進まなくなるの
だ。
――誇大妄想――
そんな時に感じるのはいつも信じているはずの自分の感性が信じられなくなるその時である。普段から想像を膨らませることで自分の感性を養ってきたのだが、自分の見ているものが信じられず、すべてが誇大妄想の原因になっていると考えることができるのも鬱状態の私だった。
だから自分に被害妄想が強いのも分かるのだろう。すべてが誇大妄想というだけで説明がつかないこともある。確かに被害妄想も広い意味では誇大妄想なのだ。考えれば考えるほど意識を自分を中心に考えてしまう時、それが被害妄想につながる。
――何かに怯える――
という言葉はまさしく被害妄想に当たるのだ。
引きつった笑いが私にそれを暗示させる。
作品名:短編集11(過去作品) 作家名:森本晃次