タイム・トラップ
――恥じらいから来るものなのか?
付き合っていた頃に、頼子に対して感じたことのない感情だった。
いろいろ考えているうちに、やはりこの世界がパラレルワールドの微妙に違う過去であり、少しでも違っていると、一人一人の感情や意識は、まったく違ったものであるように思えてきたのだ。
――本当なら逆ではないか?
と感じた。
一人一人の感情が微妙に違ってこそ、まったく違う世界が広がっていることになる。いわゆる、
「塵も積もれば山となる」
である。
そう考えてみると、この世界が自分の知っている世界と微妙にしか違っていないという感覚自体が間違っているのかも知れない。自分が知っている世界を思い出そうとすると、目の前に濃い霧が発生したかのように、まったく何も見えない状態になっている。五里霧中の中、これから江崎はどこに向かうというのだろう?
しばらく自分に寄りかかっていた頼子の胸の鼓動が次第に収まってきた。さっきまであれだけ暖かく感じていた身体だったのに、急に冷めてくるのを感じた。
頼子が顔を上げる。
「えっ?」
そこに微笑んでいるその顔は頼子ではなかった。
しかも、江崎の知っている女性であり、微笑みはいやらしさを含んでいて、
――一体何を考えているんだ?
と思わせた。
その顔に見覚えがあったのは当たり前で、驚いてはいたが、最初から分かっていたような気もした。目の前に寄りかかっているその顔は、その後知り合うことになる慶子の顔だったのだ。
だが、一度瞬きをすると、また頼子の顔に戻っていた。江崎はその時、
――ここは本当に自分の知っている時代なのだろうか?
と感じた。
自分の中で記憶が錯綜している。もし、この時代が本当に自分が昔過ごしていた二十代だったとすれば、いくら違う人間としてこの時代に現れたとしても、ここまで意識の中にある記憶が錯綜するものだろうか?
確かに戸惑いはあるが、ここまで錯綜するとは、想定外の気がしていたのだ。
この時代で一日を過ごすと、少しずつ自分の置かれている立場が分かってきた。ハッキリいうと、この時代にも自分の居場所があったのだ。そう思うと新たな疑問が出てきた。
――僕がもし誰かの代わりにこの時代に生を受けたのだとすれば、元々この時代にいた誰か一人が、まわりの人の記憶とともに消えてしまったということになる。いや、記憶が書き換えられたというべきだろうか? そうなれば、実に中途半端に思えてきた――
この時代にやってきた自分が、別の時代の人間だったことを知っているのは、自分だけだ。しかし、元々この時代にいた人がどんな人だったのかを知らないもの、自分だけだということになる。それでも、江崎はこの時代で生きていくためには、その人の生まれ変わりのようにならなければいけない。幸い、江崎の行動や言動を疑う人は誰もいない。まるで最初から江崎がこの時代にいたかのようだ。
――これが、時代の辻褄に合っているというのか?
疑問に感じながら、江崎は自分がこの時代にいる理由を探し続ける。まわりは相変わらず江崎を元からいた人間として扱ってくれる。しかも頼子は、元から江崎のことを知っていたようだ。
しかし、江崎はあくまでも頼子が付き合っていた三十年前の自分ではない。そう思うと、この時代にいる自分のことが気になって仕方がなかった。この時代に来て、すぐにこの時代の自分を見つけたことがあったが、それは一瞬のことであり、それから自分に出会うことはなかった。昔住んでいた家に住んでいるわけではなく、学校も違っている。むしろ、三十年若返った自分の方が、三十年前の自分に近いくらいだ。
――僕が戻ってきたために、元々いた自分の人生が狂ってしまったのか?
そうも考えられたが、やはりこの時代は自分が歩んできた時代とは違っているのだろう。同じ時代であればもう少し、以前の自分と出会うのではないかと思えてきた。今の自分がこの時代に馴染んでいくにつれ、本当の自分はこの時代から取り残されていく気がする。ひょっとすると、自分がこの時代に入り込んでしまったために、パラレルワールドでもなんでもなかったこの時代に歪みを生じさせたのかも知れない。そう考えると、何が正しいのか、分からなくなってきた。
――そもそも、時代の進行に正解などあるのだろうか?
江崎は、正解を求めてやってきたわけではない。ただ、
――歴史は、一体何を自分に何をさせようとしているのだろう?
という疑問はいつもあった。もちろん、今も頭の中にくすぶっていて、逆にこの思いがあるから、本当なら分かってもことが分からないままになっているのではないかという考えも頭をよぎるのだった。
頼子は、三十年前の頼子と変わりはない。それなのに、自然消滅はおろか、別れるなどという概念が消滅してしまったのではないかと思うほど、頼子は、江崎を頼ってくれている。
「そうだ。これが僕が望んでいた恋愛なんだ」
そう思うと、この時代での出来事は、江崎にとってすべて望んでいたことが実現する世の中に思えてきた。
「順風満帆」
この言葉が当て嵌まる世界が、本当に存在しているなんて、
――人生をやり直すことにして本当によかった――
と江崎は考えるようになっていた。
ただ、
「好事魔多し」
という言葉が頭の片隅に絶えずあって、その思いが、五十代まで生きてきたそれまでの人生で、一番絶えず考えていたことのように思えた。
もっとも、そんなにたくさんの好事があったわけではないが、それだけ望みは大きかったのかも知れない。
一年そしてまた一年と、月日は指折り過ぎていく。自分の思っている人生とは違っているが、悪い人生ではない。
――過去に戻ってやり直せてよかった――
それが、本当の自分の人生でなくても、それでよかった。
――そもそも自分の人生なんて、誰が決めたことなのだろう?
そんなことを考えていると、次第に元々の自分の人生への記憶が薄れてきた。
――忘れてしまいたくはない――
と思っていると、今度は、今の人生を忘れてしまいそうになる。やはり人生をやり直すということは、どちらかの人生を抹殺しなければいけないのかも知れない。
いくら自分の人生であり、生身の身体を痛めつけるような痛みがあるわけではないとは言え、抹殺というのは、穏やかではない。このままゆっくりと歩んでいく人生が、本当の人生だと思う方が間違いではないだろう。
過去に縛られてはいけないというが、
「未来という名の過去」
ではどうなのだろう?
頭がいささか混乱してしまっているが、それでも、今の人生に不満がないことはありがたいことだった。
ただ、思い出すのは、前の人生での楽しかったことだけだった。
あの時のような新鮮な気持ちに、この時代にやってきてから一度もなったことはない。
――新鮮な気持ちを味わうことはできないのだろうか?
平穏な暮らしと引き換えに、新鮮な気持ちが失われている。この感覚は、自分の記憶が危ういことを暗示しているかのようで、いつも不安であった。