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タイム・トラップ

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 元々身長が高く、ラッシュに乗り込んでも、人より頭一つ抜けているので、それほどつらいものではない。二十代もそうだったことを思い出していた。考えてみれば、三十歳以降は、それほどラッシュに遭ったという意識はない。電車が増発されたり、車両の連結数が増えたりして、ゆとりができていた。しかも、三十代後半からはシフト制の勤務で、ラッシュの時間から外れることが多くなった。それ以降、あまりラッシュに乗り込んでという意識はない。乗り込んでみると懐かしさすら思い出させるほどだった。
「表から見ているよりも、入り込んだ方が、それほどきつくない」
 と感じたが、今から思えば自分が二十代の頃も同じことを感じたような気がしていたのだ。
 電車に乗り込んで二駅くらい来てからだろうか?
「そういえば、この駅から、頼子は乗ってくるんだったな」
 頼子とは、二十代の今では、すでに別れた後だった。あれから、風の噂に、
「頼子には、新しい彼ができたらしい」
 という話を聞いたが、その時、嫉妬心は沸き起こってこなかった。
「もし、頼子じゃなければ、きっと嫉妬したんだろうな」
 と、感じたが、なぜその時頼子に対して嫉妬心が生まれなかったのか、今から思い出すことはできなかった。
 新しく別々の人生を歩み出したからだというような思いではなかったはずだ。もっと生々しい思いが頭に浮かんでいたはずだったと思っている。
 それなのに、当時の江崎は頼子がどんな男性と付き合いだしたのか、見たような気がした。見た瞬間に、急に思いが冷めてしまい、二度と頼子に対してそれまで抱いていたはずの感情を思い出すことはなかった。
「いや、思い出すことができなかったのだ」
 なぜなら、その時の思いがあまりにも自分を冷めさせたため、それまでの思い出すべき感情が、どこかに消えてしまったように思えてならなかったからだ。
「それにしても不思議な感情だ」
 頼子と出会うのは、本当はもっと後のはずなのに、出会う前の過去に戻って、さらに、遠い昔を思い出すようにその人のことを思い浮かべようとするというのだからである。
 江崎は、今だからこんな感情になるのだと思った。ただ、以前にも同じような不思議な感情を持ったことがあった。ほとんど忘れかけているので、いつのことだったのかも分からない。かなり昔のことのように思うと、まるで昨日のことだったかのように思えてくるのは、江崎の悪い癖でもあった。
 ぼんやりと開いた扉を眺めていると、そこに頼子が乗ってきた。思わず隠れようとしたが、頼子に今の自分が分かるはずもない。冷めた表情で電車に乗り込んだ頼子の顔を、懐かしいと思いながら眺めていた。別れが自然消滅だったこともあって、感情を表に出さない頼子を見ていると、まるであの頃の自分を見ているかのようで、複雑な気持ちになっていた。
 人に押されてどんどん中央部分にやってきた頼子は、こちらを見ていた。表情は相変わらず無表情なのだが、その視線は江崎を捉えている。
――まさか、僕だということを分かっているのかな?
 と感じたが、視線を逸らそうとしても、頼子の視線が気になって、どうしても横目で見てしまっていた。
 胸の鼓動が激しくなるのを感じていた。それは忘れていた感情で、どこかくすぐったいような感覚を持ちながら、さらに頼子の視線を感じていた。
 どんどんこちらに近づいてくる頼子、彼女の唇が動いたのを感じた。
――僕に話しかけている?
 と思ったが、表情は人に話しかけるような雰囲気ではない。
 だが、その口は明らかに江崎に向かって語り掛けている。ざわついた車内では、その言葉を聞き取るにはなかなか難しかった。
「信二さん?」
 彼女は、そう言っている。
――信二? 桜井信二のことか?
 次の駅に到着すると、江崎がもたれかかっている扉の側が開き、反射的にホームに押し出される結果になった。押し出された江崎は、さすがにもうその電車に乗り込む気力はなくなっていて、ぼんやりと、他人事のように扉の内と外とで繰り広げられる「押しくらまんじゅう」を眺めていた。
 すると、
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 と言いながら、電車から人を掻き分けるように降りてきた頼子が見えた。言葉では誤ってはいるが、言葉とは裏腹に、半ば強引に電車から降りてきた。
――こんなに積極的な頼子、見たことがないな――
 さっきまでまったくの無表情だったにも関わらず、出口に近づいてくるうちに笑顔に変わってくる頼子を見ると、
――やっぱり僕の知っている頼子ではないようだ――
 まるで別人のような頼子を見ながら、江崎は近づいてくる頼子を待ち構えていた。
――逃げようなんて気持ちになれるはずもない――
 それがその時の心境だった。
 飛び出してきた頼子の、その身を預けるように投げ出した身体を、江崎は何の疑問も感じることなく受け止めた。それは条件反射のようにも感じたが、
「受け止めるべくして受け止めた相手」
 という思いが働いて、頼子の顔を見下ろすように笑顔を向けた。
 頼子もこちらを見上げて微笑んでいる。その表情は、
「相手に自分を委ねる」
 という気持ちが前面に出ている表情で、瞳は濡れていた。
 江崎は付き合っている時には見たこともなかった頼子の表情に、正直戸惑いを感じながら、それでも自然な態度に身を任せるのが一番だと感じていた。もちろん、自分の若かった頃には持てるはずのない感情だった。
――やっぱり、僕は五十代のままなのだろうか?
 しかも、自分ではなく、桜井になっている。
――このままこの時代を生きていけば、自分がいた時代には、もう死んでいるかも知れない――
 と感じると、せっかくやってきたこの時代、生き直すわけでもないこの時代に自分が果たす役割が分からなくなり、生きているということを真剣に疑問に感じてしまうであろう自分がいたのだ。
 だが、それでも生きなければならないことに対して、自分をこんなところに連れてきた桜井に恨みの一つも言いたかったが、自分がその桜井の顔に鏡を見た時見えたことで、鏡に写ったことの信憑性はド返しすれば、やはりこの世界での自分の役割がどこかにあるような気がした。
 もし、鏡を見た時に感じた桜井の顔に信憑性がなかったとすれば、それは自分がそれだけ桜井を意識していて、鏡に写った顔が自分の中にある「願望」のようなものだとすると、桜井がこの時代に自分に何をさせようとしているのかということが見えてくるような気がした。
 自分に寄りかかってくる頼子を、江崎は反射的に受け止めた。
――これが頼子の願望なのか?
 見ず知らずの相手にこうも簡単に身を委ねるなど、江崎の知っている頼子ではありえないことだった。
――やはり、この時代は何かが違っているのだろうか?
 とも感じたが、江崎の顔に桜井を見たのであれば、頼子の気持ちがどこにあるのか、探ってみたくなった。
 江崎は頼子を抱きしめると、
――暖かい――
 と感じた。
 昔抱きしめた時、暖かさよりも冷たさを感じていたはずなのに、相手によってこれほど違うものなのか、胸の鼓動にしても同じである。頼子は江崎に抱きついたまま、離れようとしなかった。
 一瞬、潤んだ目で見上げた頼子だったが、すぐに視線を下に向けた。
作品名:タイム・トラップ 作家名:森本晃次