タイム・トラップ
それでも、今までの自分のやり方を貫くしかない江崎は、何とか大学を卒業でき、中小企業に就職もできた。就職してからは、それなりにこなしてきたので、さほど困ったことは起こらなかったが、大学卒業寸前の思いだけは頭の中に残っていて、見る夢というのは、その日試験だというのに、何も勉強していない。試験だということを分かっていたのに、なぜ勉強していないのか、そして、なぜ慌てなければいけないのかということが、夢の中で堂々巡りを繰り返しているようだった。
最近のことは思い出せないのに、昔のことなら思い出せるのは、この思い出が頭の中に強烈に残っているからだと、江崎は考えていた。
ただ、逆に同じ昔のことでも、大学時代よりもさらに昔のこととなると、遥か昔に思える。今のような物忘れはないのだが、十代前半くらいというのは、まるで自分の前世だったのではないかと思うほど、けし粒のような小さな記憶であった。
ただ、記憶が曖昧になってきた時期というのがいつ頃のことかというのは、分かっていた。特に最近思い出すようになったのだが、それは、スナックで自分のことを、
「初恋の人に似ている」
と言った女の子の言葉を後になってから思い出した時だった。
スナックで彼女と話をしている時は、それほど意識していなかった。女性と面と向かって話をするのは、いくつになっても緊張するもので、会話に花が咲けば咲くほど、自分の世界に入り込んでしまう。
いや、自分の世界に入り込んでしまうと感じていたのは、勘違いだったのかも知れない。自分の世界に入り込むというよりも、相手のペースに嵌っていたという方が正解なのではないだろうか。ただ、そのこと自分で認めたくない。認めるくらいなら、自分の世界を作り上げ、自分の殻に閉じこもっていると考える方が、よほどよかったのだ。
――やはり、僕は人と関わることや、人のペースに嵌りこむことを嫌っているのかも知れない――
と感じた。
それは、大学時代に要領よく立ち回ることのできなかったことに通じ、その時の自分を正当化するには、人との関わりや人のペースに嵌りこむということを、自分で否定しなければ自分ではないと思うからだった。
その日、スナックを後にして、一人になって歩いていると、店で話をした女の子のことを思い出していた。彼女の言葉も嬉しかったし、
――俺に気があるんじゃないか?
と思わせる素振りも、どこか暖かさを感じた。
もちろん、スナックの女の子なので、営業トークや思わせぶりな態度なのだろうが、それを分かっていても、その日くらいは、心地いい気持ちでいたいものだった。
表に出ると、冷房が効いていた店内と違って、表は夜だというのに、生暖かかった。今にも雨が降ってくるのではないかと思うほど湿気が肌にまとわりついてきて、歩いていて足に重たさを感じていた。
風がかすかに吹いていたが、吹いてくる風に、まるで石のような匂いがまとわりついていた。雨が降る前兆なのは分かったが、すぐに降ってくるわけではないのは分かっていた。空を見上げれば月が出ていて、月に掛かった雲が、黄色く光っているのを感じた。そんな時は今すぐというわけではないが、雨が降る前触れであるというのが、今までの経験で培ったものだった。
「慌てて帰る必要もないな」
適度な酔いが心地いいが、それも急いで帰ろうとして早歩きなどをしてしまうと、酔いが一気に回ってくる。ゆっくり空を見ながら歩くくらいの方がちょうどいい。途中に公園でもあれば、少しベンチに座るのもいいかも知れない。
そんなことを考えていると、公園が見えてきた。
「公園のベンチに座るなんて、いつ以来のことだろう?」
ベンチに座って空を見上げていると、大学時代には、よく公園のベンチに座って、ビールを呑みながら、空を見上げたものだということを思い出した。月が出ていれば、その月の大きさを過去に見た月を思い出しながら、比較してみたものだった。その日も月を見ながら、
「今日の月は小さいな」
と、少し遠く感じていたのだ。
その時江崎は、五十歳になった自分を感じていた。まだまだ三十歳を超えたに過ぎないのに、五十歳など、遠い未来でしかないと思っていたので、想像することもなかった。三十代という世間一般には、脂の乗り切った時代と言われる年齢で、夕暮れから夜に向かおうという意識が強い五十代のことを思い浮かべるなど、考えたこともなかった。
「その頃には、自分の人生の方向性は、完全に固まっているんだろうな?」
そう思うことでも、五十代の自分を想像したくはなかった。想像するということは、怖いことでもあった。
「ひょっとして、五十代の自分は、くたびれてしまっているかも知れないからな」
自分の人生の先を見るというのは、上を見るしか考えたことがない三十代だった。時系列とともに、下り坂になるなど、考えるだけで無駄だと思っていた。
だが、五十歳になった自分を想像し、五十代としての自分を意識してみると、過去を振り返り、三十代の途中から、下り坂になってきている自分を意識していた。ただの想像でしかないくせに、やたらリアルに感じるのは、
「想像している五十代というのが、本当の自分の将来ではないからなのかも知れない」
自分とは違う人ではあるが、絶えず自分のことを見てきた人の目から見た、自分の人生というのは、自分の目で見るよりもリアルに思えたのだ。
「物忘れが激しいという意識が、そんな発想にさせたのかも知れないな」
と感じさせた。
そう思うと、今の自分が過去のことを考えている相手は、本当に自分の過去なのかというのも怪しいものだと思うようになった。大学時代やその時々の節目であれば、明らかに自分のことなのだろうが、それ以外のところは、自分に近しい人の目から客観的に見た自分なのかも知れないと思うと、
「何を信じていいのだろうか?」
と、考えるようになった。
江崎は、
「僕はどうも、人見知りしてしまう」
と思うのは、その頃からだった。人見知りというよりも、
「信じられない」
という思いが強く、その理由が、自分が記憶していると思っているリアルな部分が、自分の記憶ではなく、近しい人から見た客観的な記憶だという風に意識するようになったからだった。
「初恋の人に似ている」
と言った、スナックの女の子の顔を思い出そうとしていた。しかし、今日が初めてだったわけでもないのに、そして、さっきまで話をしていた相手であるのにすぐには思い出せなかった。
「ひょっとして、自分の中での彼女に対する目と、客観的に自分を見ている自分の中の誰かの目とでは、記憶の中のイメージにかなりの開きがあるからではあいか?」
と感じた。
そう思うと、自分が物忘れが激しかったり、しっかりと覚えておけないのは、客観的に自分を見ている他人と自分の中で、かなりの感覚の違いがあることで、記憶に隔たりが生じ、ピントが合わないまま記憶しようとする強引な記憶の仕方が原因なのかも知れないと思うようになった。