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タイム・トラップ

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 江崎は、桜井と一緒にいて話をしている時はそこまで分からなかったが、桜井と離れてから自分の頭の中に、桜井が考えていたことが注入されているのではないかと思うようになっていた。
――本当にいいんだろうか?
 桜井の考えに共鳴しているという程度のものではない。考え方が少しでも違えば、自分という人間が成立できないのではないかと思えるほどだった。そうでもなければ、彼が開発したタイムマシンに乗ることなどありえない。
――タイムマシンでの移動の記憶がないのも、わざとかも知れない――
 桜井によってわざと消されたのかも知れないと思った。
 それは、
――先入観を捨てなければ、過去の時代で生きていくことはできない――
 という思いが潜在しているからではないかと思った。
――本当に、桜井という男は恐ろしい――
 と感じる江崎だったのだ。
 この時代に来てしまった以上、もう後戻りができないことを自覚した時、目の前が真っ暗になった。そして、桜井の口車にまんまと引っかかってしまったことに対し、後悔を通り越し、どう自分の気持ちを表現していいのか分からなかった。
 しかし、この時代からやり直さなければいけないと思うと江崎は、
――僕以外にも、同じように未来から来た人がいるかも知れない――
 と思うようになっていた。
 人生をやり直すと言っても、同じ時代には、二十代の自分がいる。タイムパラドックスでは、同じ時代に、同じ人間の存在は許されないとされている。確かに鏡で見てみると、自分の姿は自分の記憶している二十代とは違っていた。鏡を見た記憶というよりも、二十代の頃に撮った写真を見ての判断だった。
――でも、写真写りというのは、自分で見るのとまわりの人が見る本当の自分とでは開きがあるような気がするからな――
 と感じていた。
 江崎のその思いは間違いではない。同じ自分であっても、まわりが見る生身の自分と、媒体を通してでしか見ることのできない自分とでは、考えているよりも、かなりの違いがあるだろう。
 それは、声を聞いた時に感じたことだった。
 自分が喋っている声を感じている時に比べて、録音した自分の声を聞いてみると、
――こんなにも、違うのか?
 と感じるほど違いがあった。実際の声は自分で感じていたよりも籠っていて、しかも、少し高い声であった。ハスキーな声だと思っていた自分にとって、最初に聞かされた録音した自分の声は、少なからずショックだったことを今でも覚えている。
 江崎は二十代の自分を探してみた。本当であれば、顔を合わせることはタブーなのだろうが、この時代の自分の存在を確認しなければ、この時代でやり直すことができないと感じたのだ。
――見つからなければいいんだ――
 確かにそうなのだが、出会い頭に出会った場合も、事故が起こるというのだろうか?
 ただ、同じ自分がいる時代に来ることができたという時点で、同じ時代に同じ人間の存在が否定されなかったということは、もし出会ったとしても、見えない力が何か影響を及ぼすということはないと考えた。
 もちろん、何も知らない二十代の自分は仰天することだろうが、そこで何かが変わるというのだろうか?
 一般的には、出会ってしまったことで、二十代の本人に予期せぬ出来事が起こったことで発生するハプニングが、その後の自分を大きく変えてしまい、違った人生がそこから広がることになる。したがって、
――二十代に戻った自分の存在も、否定されるかも知れない――
 と考えられる。
 しかし、考えてみれば、自分が二十代に戻らなければハプニングは起こらない。そこからの人生は、少なくとも今の自分に近いものになるだろう。そうなると、タイムマシンで過去に戻る可能性は限りなく高くなる。
 そうやって、堂々巡りを繰り返す考え方は、あくまでも可能性の中だけで存在しているものだ。その可能性が矛盾を伴ってしまうことを、「タイムパラドックス」と呼ぶのである。
 タイムパラドックスを肯定するなら、いろいろな可能性を否定できなくなる。今までであれば、
――そんなバカな――
 と思うようなことも、考えてもいいのだと江崎は思うようになっていた。
 考えが自由になればなるほど、考えられる範囲は限りなく増えてくる。どこまで自分の中で消化しながら考えていけるかが大きなポイントになるだろう。
――でも、どうして二十代なんだろう?
 江崎にとって、二十代は
――古き良き時代――
 だった、
 思い出すことは悪いことではなく、絶えず前を向いていて、前途洋々の気持ちが大きかった。
 順風満帆と言ってもいいのだろうが、そんな時に限って、拭い去ることのできない不安が付きまとうものである。
「好事魔多し」
 という言葉があるが、
――神風満帆な時ほど、余計な心配をするものだ――
 として、不安はあっても、あまり余計なことを考えることはなかった。
 余計な心配をするのは、ある意味本能によるものなのかも知れない。
 人間というものは、いいことが続いている時ほど、悪くなった時のことを心配するのではないかと江崎は思っていた。有頂天になって浮かれている時、いきなり悪いことが起こったら、普通に歩いていて、急に足元の道がなくなり、奈落の底に叩き落されるようなものである。
 江崎には、そこから先のことを想像することができない。叩き落された奈落の底がどんなところなのか、そもそも、身体が宙に浮いて井戸の底のようなところに叩きつけられるというイメージなので、生きていられる保証はまったくない。しいて言えば、
「気づかないうちに、命を落としている」
 という意識があることで、苦しまずに死ねるという意味でだけ、
――奈落の底に叩きつけられるのも悪くない――
 と感じるのだった。
 しかし、無事に死ねればそれでいいのだが、死ぬことができなかった場合はどうなるのだろう?
 傷を負ってしまって、死ぬのを待っている状況や、無傷であっても、もはや落ち込んでしまった奈落の底からは、
――死ぬまで出ることができないのではないか?
 と考えると、
――果たしてどれがいいのか?
 という「負の世界の究極の選択」になるのではないかと思えてならなかった。
 江崎は、今までに何度か奈落の底の発想をしたことがあった。そして一番最初にこの思いを実感として感じたのが、二十代の有頂天になっている時ではなかったかということを、過去に戻った自分が感じることになるというのは、実に皮肉なことだったのだ。
 二十代に戻ってきた江崎は、姿恰好こそ、若返っているが二十代の自分とは似ても似つかぬ外見だった。もしバッタリ出会ったとしても、二十代の自分に気づかれることはないように思えた。
 だが、一度三十年を地道に生きてきて、一気に三十歳若返ることになった自分の、昔の考え方が手に取るように分かっていた。
――いや、あの時に疑問に思ったまま分からなかったことも、今になって思えば、その時の答えは、自分で見つけていたような気がする――
 と感じていた。
 要するに最初から分かっていたのだ。分かっていたのに、分からなかったと思っていたのは、そこで防衛本能のようなものが働いていたからではないだろうか?
作品名:タイム・トラップ 作家名:森本晃次