タイム・トラップ
確かに言われてみれば、五十年を思い返すと、本当にそんなに長く生きてきたという感覚がなかった。年齢を重ねるごとにどんどんあっという間に過ぎていく時間を、恨めしく思っていたほどだった。
「江崎さんは、たぶん三十代をつい最近のように思えているはず。でも、二十代となると、かなり遠くに感じているでしょう?」
「え、ええ」
何が言いたいのか、頭の中を整理してみたが、ハッキリとはしなかった。
「それは、あなたの中に、二十代と三十代の間に、結界のようなものを築いているからなんですよ。もちろん、そんな意識が表に出ているわけはない。そんな思いを絶えず持っていると、普通に生活などできるはずないでしょうからね」
「あなたは、二十代から三十代を、二回繰り返しているんですよ。しかも最初はかなりの時間が掛かったと思っている。でも、次はあっという間のこと。そう、タイムマシンでもなければここまであっという間の感覚になるはずはありませんからね」
「どうしても、僕にタイムマシンを使わせたいんですか?」
「ええ、あなたが使ってくれるように、私が開発したんです」
「よく分からないんだけど、僕が使うためだけに、タイムマシンを開発したということですか?」
「そう思ってもらっていいと思います」
「どうして?」
「それは、今は言えません。ただ、一つ言えることは、あなたにとっては些細に感じられることでも、俺にとっては切実な問題なんだ」
人のために、自分が何かをしなければいけないというシチュエーションは、江崎にとっては不本意なことだった。
しかし、ハッキリとそのことを面と向かって言われると、却って潔く感じられる。何かをしなければならない相手から、遠回しに言われることほどイラっとくることはない。そんな時は、意地でも、
――絶対にしてやるものか――
と思うのだった。
だが、五十歳を超えると、少し人間も丸くなってきた。それでも人からは、
「お前は頑固だからな」
と言われることもあったが、
「これでも人間は丸くなってるんだぞ」
と言って苦笑いをしたが、相手も同じように返してくる苦笑いに対して、
――どこまで、僕の言葉を信じてくれるんだろう?
と思ったりした。
やはり五十歳を過ぎた自分でも、容易に信じられないことが多く残っているようだった。
確かに年を重ねるごとに落ち着いてきたことは自覚していたが、逆に許せないことも増えてきたような気がする。それが自分の信念によるものではないことで、タチの悪さも感じていた。
桜井と、松永を重ね合わせて考えていたが、次第に、
――本当にこの二人、関係あるのだろうか?
と感じていた。
三十歳の頃の短い時期しか知らない松永だったが、今の桜井のように、自分にとっての切実な問題を、ハッキリと理由も話さずに押し付けるようなことはなかった。
しかし、その代わり、今の桜井には、面と向かっていうだけの「自信」のようなものが存在する。
――相手を納得させるというよりも、屈服させるとでも言うんだろうか?
という思いであった。
松永には感じられなかった「威圧感」を、桜井信二には感じるのだ。それは、
――年齢を重ねたから――
という単純なものではないような気がしていたが、江崎にとって、桜井信二に見つめられると、説得力を感じないわけにはいかなかったのだ。
第三章 二十代
江崎は、桜井の依頼通り、二十代の自分のところに行った。桜井の開発したタイムマシンを使って行ったのだが、さすがに一人で行くには自信がなく、桜井がついてきてくれた。
江崎は自分にとって、二十代の世界というのがどういう時代だったかということを、結構覚えていた。普段は漠然としてしか記憶がなかったのだが、いざ二十代に行くということになると、引き出しにしまい込んでいたはずの記憶が次第に鮮明に思い出されてきたのである。
時代的には、昭和から平成へと変わった時代。国家経営の機関が、民間の企業となり、サービスと競争が激化した時代だった。
自由ではあるが、競争の激化は免れず、いい意味では、
「活気に溢れた時代だ」
と言えるだろう。
ちょうど、やる気に溢れていた二十代が、そんな時代だったことで、
「二十代が一番楽しかった」
と言えるのではないだろうか。確かに大学時代も楽しかったが、結果を残せた時代という意味では、二十代には遠く及ばない。
ただ、そんな時代が長くは続かなかった。バブルが弾けてからというもの、会社では人員整理が進み、それまでは、
「やればやるほど、成果が出せた」
という時代だったが、バブルが弾けると、
「やればやるほど、経費の面で、会社を圧迫する」
という会社事業も縮小傾向を余儀なくされていた。やる気のある人間がもてはやされたのは、
「今は昔」
になり果てていた。
つまりは、
「第一線で活躍する兵隊よりも、絞めるところは絞めることのできる管理職」
が求められるようになっていた。
そのため、リストラが激しく行われ、ずっと会社のために勤めてきた中高年が無惨にも切り捨てられるという、それまででは信じられない時代を迎えることになった。
「年功序列で出世するなどという時代は終わり、これからは実力主義になってくる」
と言われ、ある意味、アメリカ式の合理主義と言われるようになっていった。
江崎が、どのようにしてその時代を乗り越えてきたのか、今は自分でも記憶がない。何とか生き残ろうと必死になったという意識はなく、むしろ、
「何とかなるだろう」
という程度の楽天的な、いや、能天気とも言える考えだったに違いない。
ただ、そんな時代は、江崎が三十歳に近づいてから起こってきた問題だった。
もし、バブルが弾けなくても、それまで第一線でしてきた仕事が、今度はステップアップして、中間管理職に向かっての勉強を余儀なくされる年代に変わっていく。
ある意味では、二つの大きな課題を背負い込むことになったのだ。
中間管理職に向かっての勉強には、江崎も違和感を感じていた。
「それまでの第一線の仕事こそが、自分の本懐だ」
とまで思ってきて、第一線での仕事ができなくなることに、大きな疑問を抱えることになった。
元々、分業制のように、一部だけを自分でやるということは親だった。手がけた仕事は、最初から最後まで自分でしてこそ、達成感が感じられたからである。
しかし、さすがに会社に入ってからは、そんな仕事はなかなか存在しない。そのことへの柔軟性は最初の頃に持つことができたので、第一線での仕事をしっかりこなすことができたのだった。
そんな江崎だったが、三十代になってから、役職がついてくると、自分でこなすというよりも、
「いかに人を使うか?」
ということが求められるようになってくる。
「僕にできるだろうか?」
自分の中で、
「人に任せるなんていうのは、自分が楽をすることになる」
という本音があり、
「仕事をしていく上で、自分が楽をすることは罪悪だ」
というこだわりがあった。
本音がもたらしたこだわりなのだろうが、そんなことが通用しないことくらいは考えれば分かることだった。