タイム・トラップ
年を重ねるごとに、毎日が早く感じられる。そして、その毎日もマンネリ化したものだ。毎日が早く感じられると思っているが、実際に日々そのことを感じているわけではない。むしろ、一日一日は長く感じられるくらいだ。
一週間だったり、一か月だったりと、長いスパンで考えると、その時を思い出している時、長いと感じるのだった。
若い頃は逆だった。
毎日があっという間だった気がするのに、長いスパンで考えると、結構前のことだったように感じる。同じ期間でも、思い出すために費やす時間が長いと、そこに若い頃と違った感覚が培われていたのだ。この錯覚が、
「昨日のことはなかなか思い出せないのに、かなり昔のことがまるで昨日のことのように思い出される」
という感覚に陥らせるのだろう。
そして年を重ねるごとに、毎日が長く感じられるくせに、長いスパンではあっという間に感じられる原因として、
「毎日がマンネリ化している」
という感覚があるからかも知れない。
さすがに、数時間前のことを忘れてしまうことはないが、下手をすると、さっきのことが昨日のことだったのかも知れないと思うほど、毎日に変化がなく、決められたレールの上を、ただ進んでいるだけのような気がして仕方がないのだ。
松永も、三十代だった自分に同じような話をした。
「俺はこの間まで、五十代だったからな」
と嘯いていた。
「まるで夢物語のようですね」
半分、相手にしないようにしようと思いながら、なぜか気になってしまっていた。しかも、松永からその話を聞いた時、
――最初から、その話題に触れられるような気がしていた――
と感じた。
スナックに一緒に行って、自分がこの間まで五十代だったという話をした時、それまで松永と親密に話をしたこともなかった。その日も、松永から、
「今日、一緒に呑みに行こう」
と言われるまで、まったく松永を意識することもなかった。
それなのに、
――やっと来たか――
と感じたのも事実だ。
「やっと」というのは、それまで松永から誘われることを予期していたような気がしたからで、どこかホッとした気がした。しかし、江崎は松永と本当に一緒に呑みたいと思っていたわけではない。誘われるような気がしていたことで、誘われるまで精神的にたまってくるストレスが増幅してこなくなったことで、素直に安心していただけだった。
松永との話は、将来に感じるであろうことを今感じさせていたのだ。
ただ、松永の話し方を見ていると、どこか自慢げに聞こえる。
「俺は、五十代を知っているんだぞ」
と言わんばかりだった。
しかし、桜井信二の作品を読むと、五十代の人間が三十代にやってきて、
「自分は未来からやってきた」
ということはタブーだと書かれていた。
それには江崎も賛成だった。
違う時代、あるいは次元にいる自分以外の人間に、自分の正体を明かすのはタブーのはずだった。
――では、自分にならどうなんだろうか?
他の人の小説などでは、自分に対してこそ、秘密にしておかなければいけない。むしろ、違う時代の自分に出会うということはあってはならないことで、もし会うということになると、タイムパラドックスを引き起こし、世界全体がどうなるか分からないというのが、一般的な考え方ではないだろうか。
しかし、桜井の小説では、このタイムパラドックスを肯定しているところがあった。
「未来や過去に行くことができないのを、タイムパラドックスのせいにしている」
という考え方で、
「もし、未来や過去に行くことができるようになれば、タイムパラドックスという縛りから解放され、自由に時代の違う自分の前に現れることができる」
という、いわゆる逆の発想だったのだ。
江崎は、そんな桜井信二の小説を、
「なんて寛大な小説なんだ」
と、目からウロコが落ちたような発想でいたが、それだけではなかった。
「過去や未来の自分に自由に会うことができるのはいいが、会ってしまうと、そこでミッションが発生し、ミッションを解決できなければ、そのまま、その時代から抜けることができなくなる」
と書かれていた。
「つまりは、同じ人間として生きることはできないので、他の人間として生き直すことになる」
というのだ。
そこまで読んでくると、一つの疑問が浮かんでくる。
「五十代の桜井信二は確かに松永なのだが、本当の松永ではなく、本当の松永は他にいて、桜井信二は自分に出会って、ミッションを解決できなかったことで、そのままその時代を生き直すことになったのではないか?」
というものであった。
「ということは、五十代のこの世界に、別に松永は存在しているのかも知れない」
と感じた。
そして、江崎は先に桜井信二に出会ってしまったことで、松永とは、もう二度と出会うことはできないと思っている。もちろんすべては勝手な妄想なのだが、その根拠は他ならぬ桜井信二の小説である。
――まるで、僕にこの結論を導き出すように、そこに彼の作為が加わっていたような気がする――
と、桜井信二の意図が見えない中で、そんな風に考えるのだった。
「俺は、密かにタイムマシンを開発していたんだ」
と、自分の小説を読んでくれたことを確認した松永は、江崎にそう言った。
「そんなことが可能なんですか?」
「信じる信じないは君の勝手だよ。でも、あなたは俺の小説を読んで、限りなく信憑性があることを感じてくれていると思う。だから、少し考えれば、タイムマシンという発想も、あながち無視できることではないはずだよね」
下から舐めるように見上げられると、それ以上何も言えなくなった。
――僕は、同じことを前から考えていたような気がする――
またしても、過去に考えたことを思い出すという感覚に陥った。そう思った時はほぼ間違いなく、自分の直感を信じていいと思える瞬間であったのだ。
「あなたは何でもお見通しなんですね?」
と、半分呆れたように答えたが、桜井は満面の笑みで、
「そうだね」
と答えた。
その表情を直視できないはずなのに、見つめられると、目を逸らすことができない。まるで、
「ヘビに睨まれたカエル」
だったのだ。
「どうして、僕にタイムマシンの話をしたんだい?」
「君は、俺と同じ匂いを感じるんだ。だからタイムマシンの話も信じてくれるだろうし、少し時間が経てば、そのタイムマシンを使ってみたいと思うと感じているんだ」
と、どや顔になっていた。
――何を勝手なことを言っているんだ――
と反発したい気持ちもあったが、反発するだけの力が江崎にはその時残っていなかった。話をしている間、かなり無意識ではあるが身体に力が入ってしまっていて、その疲れからか、表情すら変えることができなくなっていた。
金縛りにも遭っていたようで、
「人と話をするのに、こんなにも身体が硬直してしまうなんて、五十年も生きてきて初めてのことだ」
と感じていた。
「江崎さんは、今おいくつですか?」
急に話が変わったかのように、江崎は急に身体から力が抜けてくるのを感じた。
「今年、五十二歳になります」
「江崎さんは、自分が五十二年生きてきたと思っているんでしょう?」
「え? 違うんですか?」