タイム・トラップ
年齢が近いということは、環境が違っても感じ方に変わりはないと思う。どちらかが若干早く時代を進んでいるという考えもあるが、自分の知らない発想を相手が知っていると思うと、実際に面と向かって話をしてみたくなる。
――彼の小説は、そのことを無言で自分に語り掛けているのではないか?
と感じた江崎だった。
彼の小説を最初に読んだ時、
――こんなの、とても僕には書けない――
という思いと、
――でも、こんな経験、僕もしたことがあるような気がするな――
書いている本人はフィクションだと言っている。それは恋愛小説だったが、あまり一般的にあるような恋愛とは少しかけ離れていた。だから、
「フィクションだ」
と言われても、その通りだと思うのだが、江崎にはどうしてもフィクションに思えなかった。その理由は、
――自分が同じような経験をしたから――
であった。
いつ経験したことなのか覚えていないし、相手がどんな女性だったのか覚えていない。もちろん、付き合っている頃は意識を集中させていたので、
「決して忘れることはない」
と言えたはずなのに、気が付けば忘れてしまっていたのだ。
「気が付けば忘れていた」
という表現もおかしなものだが、その言い方がピッタリだった。まず、
「何かを忘れてしまったかのような気がする」
という意識があって、その後に、読んだ本の中に、
「どこかで感じたことはある」
あるいは、
「以前に経験したことがあったような……」
と感じるものがあるのだとしたら、
「気が付けば忘れていた」
という表現も、まんざら的を得ていないわけでもないだろう。
それが、たまたま読んだ小説の中にあることだった。
それを書いた作者を知っていて、彼に聞けば、
「フィクションだ」
というのだから、彼に対して興味を持つのも当たり前だった。
今までに相当忘れてしまったこともある。その中には、
――忘れたくない――
と思うことも含まれているような気がする。
忘れてしまったことの多くは、潜在意識が成せる業で、思い出したくもないことを、忘却の彼方へと追いやるのだ。しかし、気配のようなものまで消し去ることはできない。何かのきっかけがあれば、
「頭の中に悶々としたものが残っている」
という意識を植え付けてしまうこともあるのだ。
彼の小説は奇妙な話が多い。ただ、そのきっかけになる話はいつも恋愛からだった。
そういう意味では、彼の小説はワンパターンであり、しかも奇妙な話が絡んできているので、あまり一般受けがしない。
「俺も一応、出版社関係の公募にいつも投稿したりしているんだけど、いつも一次審査ではねられるのさ」
と言っていた。
「それでも、俺は書き続けてるんだ」
「どうしてですか?」
「俺の書いている小説はフィクションなんだけど、必ず将来、誰かが経験することに思えるんだ。だから、同じようなことを経験したことがある人から、『ノンフィクションではないか?』と言われるのは、心外なんだ」
それは、遠回しに江崎のことを言っていた。
江崎は以前に、
「ノンフィクションのようだ」
と指摘したことがあり、彼を不機嫌にさせたことがあったが、その時はハッキリとした理由を言っていなかった。
実はその時に言いたかったのかも知れないが、敢えて言わなかったのは、本当にノンフィクションだと言われることが心外で、その理由についても、彼には察しがついていたからなのかも知れない。そう思うと、いろいろ彼のことが分かってくるような気がして、彼が思っていたよりも、自分に考えが近いところがあると感じた江崎だった。
それにしても、自分の書いた小説が、どうして未来に起こることだと、ここまでハッキリと感じるのだろう? 彼の話は奇妙な話が多く、SFを書いている自分に近いところがあった。
だが、どこか根本的に違っていた。
「僕には、彼のような小説は描けない」
と、彼の才能に脱帽してしまうようなところがあった。
しかし、すべてにおいて脱帽しているわけではなく、どこかに自分には分からない何かのカギがあり、それを捻ると、彼の発想に到達できるのかも知れないと感じた。
「扉一つを挟んだだけなのに、遠くに感じられる。まるで次元が違っている世界が広がっているようだ」
そんな思いが彼の小説に神秘的な要素をもたらすのだが、決して信憑性がないわけではない。やはり、江崎がかつて感じた思いがそこに含まれているからで、江崎の過去を彼が知っているのではないかと感じさせるところだった。
彼の小説は、江崎の三十代に経験したことに似ていた。
「そういえば、あの頃、自然消滅だと思っていたが、何か見えない力に操られていたような気がする」
その思いは、ずっと持っていたが、
「忘れよう」
という思いが強くあった。
自分の中で、自然消滅として片づけたい何かがあったとは思っていたが、それが「見えない力」だったとは、彼の小説を読むことで、初めて思い知らされた。
三十代に経験した恋愛とは、他ならぬ慶子とのことだった。
途中までは、本当にお互いに結婚してもいいと思い、思いはお互いの中で徐々に暖めていたのだ。
決して焦っていたわけでもない。焦りが募る年齢でもあったが、
「急いては事を仕損じる」
ということわざもある。年齢を重ねていく上で、落ち着いてくる反面、焦りが募ってくるのも仕方のないことだ。それがジレンマになるから、なかなか先に踏み出せなくて、慎重になってしまうのだろうが、えてして慎重になりすぎると、せっかくの好機を逃してしまうことに繋がってしまう。
そんな時に感じたのが、「見えない力」だったのだ。
今までずっと自然消滅ばかりしていたことに疑問は感じていたが、その理由について、敢えて考えてみようとは思わなかった。考えることが怖いという意識もあったし、考えて結論を見つけたからといって、自然消滅以外の別れが自分に存在するとは思えなかった。つまりは、
「自然消滅こそ、一番綺麗な別れ方なんだ」
と思っていた証拠である。
しかし、「見えない力」の存在を感じると、本当に自然消滅が一番綺麗な別れ方なのか、疑問に感じるようになっていた。
「別れ方に、綺麗を求める方がどうかしているんだ」
と考えるようになった。
「一番傷つかない別れ方」
というのを考えるのなら分かるが、綺麗、汚いというようなものは、外に向けた体裁を繕っているだけではないかと思えるようなことは、本当の自分が望むはずはないと思う江崎だった。
江崎は、三十代に同僚だった松永のことを思い出していた。同僚だった時期はあまり長くはなかったが、とにかく印象的なことを口走る男性だった。彼が年を重ねて小説を書くようになったとしても、別に驚かない。桜井信二の小説を読んでいると、松永のイメージがよみがえってくるようだ。
「近き過去よりも、遠い過去のことの方が覚えているというのは、年を取ったことにかなり影響があるのかも知れない」
と感じた。