タイム・トラップ
その疑問は三十歳代からどんどん深まっていって、年齢が近づくにつれて、思いは反比例しているかのようだった。
四十歳後半からは、ほとんど疑問しかなかった。
「そんな答えが簡単に見つかるはずはない」
という思いだった。
それは、自分が五十歳に近づくにつれ、年齢を重ねているという意識があるにも関わらず、考えていることは、さほど変わっていなかったからだ。
その思いは、三十代に松永から聞いた話と同じだった。
「精神的には、さほど変わりない」
もし、今自分が三十歳代のあの時に戻って、店の女の子に同じことを聞かれると、そう答えるに違いない。
「でも、どこか松永とは違うんだよな」
そんな風に四十歳代後半は考えていた。
当の松永は、一緒にスナックに行ってから一年もしないうちに、会社を辞めてしまった。それから一、二度くらいは一緒に呑みに行ったこともあったが、次第に連絡をしなくなり、音信不通になってしまった。会社にとどまった者、会社を去った者、それぞれに思いが交錯していたのか、次第に気まずくなっていったのだろう。
五十歳になると、それまであれだけ五十歳への思いを馳せていたにも関わらず、そのことを考えないようになった。
完全に忘れたわけではないのに。思い出そうとすることをやめたのだ。
年齢を指定してその時になれば分かるという待ちわびていたことが、その年齢に達すると、急に冷めた気分になるというのもありなのかも知れない。
江崎はタバコは吸わないが、学生時代に、隠れて吸っているまわりの同級生を見ていると、
「僕は、意地でも二十歳になるまで、タバコはやらない」
と思っていた。
その頃は、吸い始めるかどうかは別にして、
「二十歳になったら、絶対に一度は吸ってみるぞ」
と思っていた。
しかし、実際に二十歳になると、そんな思いは完全に失せていた。
もちろん、忘れてしまったわけではない。待望していたのは間違いないことだ。それなのに、実際にタバコを吸ってもいい年齢になると、
「どうして、こんなものを吸ってみようと思ったのだろう?」
と、自問自答を繰り返した。
――吸い始めるかどうかは別にして――
という意識があり、その意識に素直に対応すれば、それでいいだけのことなのに、実際にその年齢に達すると、
――遠い過去の遺物――
のようにさえ思えてきたのだ。
「冷めてしまった」
と、口にすればそれまでなのだが、理由もなく冷めてしまったことに自分の中で違和感があった。
「僕は、ずっと思っていたり、憧れていることがあれば、自分で考えている年齢に達すると、急に冷めてしまう性格なのかも知れない」
と感じた。
その思いを持っているのは、江崎だけではないように思う。口にする人がいないだけで、誰もが感じていること、そして、その中で、本当に冷めてしまっている人がどれだけいるというのだろう? 江崎はその思いを抱いたまま、三十代から生きてきた答えを見つけようと思っていたのだ。
ただ、その答えを見つけようと思っているのは、
「どうして、その年齢に達すれば、急に冷めてしまうのか?」
ということよりも、
「原因は、飽和にある」
と思うようになったのだが、そのタイミングが、ちょうど自分の目指している年齢にピッタリなのは、
「本当にタイミングの問題というだけで片づけられるものなのだろうか?」
と思うようになった。
自分の気持ちの中のことなので、偶然というのはありえない気がする。自分の中で忘れている何かがあり、それを思い出せないと、この問題は解決しないような気がする。そうなると江崎は、
「この問題を解決することはできないのではないか?」
と思うようになった。その理由は、
「敢えて、解決させたくない」
という思いがあるからで、
「タイミングまでもが、自分の潜在意識ですべて操作できるからではないか」
と考えるようになったからだ。
その思いに達したのは、やはり五十歳という年齢が、今まで重ねてきた年齢の集大成のように思えたからだった。
実際には何も成果があったわけではないここまでの人生だが、これから自分の身に起こることは、果たしてそれまでのツケが回ってくることになるのか、それとも今まで頑張ってきたことに対するご褒美なのか、怖いようで楽しみでもあった。
楽しみだということは、やはりご褒美を期待しているからであろう。
「五十代が果たしてご褒美なのかツケなのか」
そう思うことで、それまで思いを馳せてきたことを冷めさせたのかも知れないとも考えられ、それならば、
「ご褒美というよりも、ツケが回ってきたということになるんだろうな」
と感じる江崎だった。
「五十歳になって、人生を逆に戻るような気がする」
そう思ったのは、五十歳になって、それまで馳せていた思いが急に冷めてしまったからだ。
今の会社の同僚の中には、
「五十歳になって今までの人生を思い起こしてみることはあるんだけど、考えれば考えるほど、白紙に思えてくるんだ。だから、時系列もめちゃくちゃ。この間のことが遠い昔に思えることもあれば、二十代を昨日のことのように思い出すこともある。でも、そんな時に限って、自分の人生が何もなかったかのように思えるんだ」
「それは、この間のことというのが、ずっと年齢を重ねてきた結果であるはずなのに、そのことを思い出せないからなんじゃないか?」
「いや、俺もそうだと思ったんだけど、思いを馳せるのは昔のことばかり。まるで若い頃に今の自分がどうなっているかというのを想像した時、年齢を重ねるごとに新しい自分を発見し、成長していると信じて疑わなかったかのように、昔のことに思いを馳せてしまう」
「それは何もなかったのとは違うんじゃないか?」
「だって、経過とはいえ、最近の自分を思い出せないということは、本当に何もなかったのか、それとも、思い出すに当たらないことだから思い出さないのか、どちらにしても過去から見た未来を思い出せないのであれば、最初から何もなかったと考えるのも自然なんじゃないかな?」
同僚は淡々と話していたが、その言葉には重みが感じられた。
しかし、そこで江崎は少し違う考えを持っていた。
「だったら、人生を逆に生きてみるという考え方もあるんじゃないか?」
「そんなことできるはずないじゃないか」
「確かにそうなんだけど、逆に生きている自分がいるから、目標にしていた地点に到達しても、周りが見えてこないことで、冷めてしまうんじゃないか?」
「というと?」
「目的地には、もう一人の自分がいて、その自分が馳せてきた思いを達成してくれているんだよ。その自分を見つけることができなかったので、冷めた気持ちになってしまったんじゃないかな?」
「まるで夢のような話だ」
「そうなんだよ。夢なんだよ。いるはずの自分がそこにいない。その思いはきっと誰もが感じているんだ。もう一人の自分の存在なんて普通は信じられない。だから、皆ある程度の年齢に達すると、人生に冷めてしまうんだ。そこから先をどう生きるかで、その人の人生は決まってくるのかも知れないな」