タイム・トラップ
だが、その頃の小説も、今書いている小説も、彼の小説の前ではかすんでしまう。別に彼の小説と自分の小説を比較してみようという意識はなかった。同人誌に書くようになるまでは、
「他の人の小説、特にプロの小説を読んで、勉強にしよう」
と思っていたが、同人誌に書くようになると、今度は、
「人の書いたものなんか、どうでもいい。下手に他の人の小説を読んで、変な影響を受けたくない」
と思うようになっていた。
「僕は、自分が書きたいものを書ければそれでいいんだ」
と思っていた。
文章が下手くそであってもそれでもいい。他の人の小説を読んでしまうと、どうしても作風が似てきてしまう。気づかぬうちに、マネをして書いてしまっているということも、あるかも知れない。
それだけは自分で許せなかった。
最初から他の人の小説をパクるというのはありえないと思っていた。そこまでするくらいなら、最初から小説など書こうなどと思わない。
「フィクション」は書こうと思うが、「ノンフィクション」は嫌だと思っている。どこかで見たような話を自分で書くなど、ありえないからだった。
「本を読むなら『ノンフィクション』、自分で書くなら『フィクション』だ」
と思っていた。
本屋で最初に行くコーナーはエッセイコーナーや歴史小説だった。歴史小説も、史実に乗っ取ったものであり、史実を捻じ曲げてしまうような作品は、面白いかも知れないが、読もうとは思わなかった。変なところにこだわりを持っている江崎だった。
そんな江崎の性格を、彼は見抜いていた。
「あなたは、小説を読むのと書くのでは、違う次元のものだって考えていませんか?」
最初は何を言っているのか分からなかった。江崎は、
「本を読むなら『ノンフィクション』、自分で書くなら『フィクション』だ」
という思いを、意識して持っていたわけではない。無意識に感じていたことなので、人から指摘されても、まさかそのことだとは、すぐには発想できないでいた。
「俺も実はあなたと同じなんですよ」
いきなり主語もなく言われて、一瞬、
「何のことだ?」
と感じたが、実はこの話術は彼独特のもので、文字で表すと、その思いは伝わらないが、抑揚のある声では、一瞬あっけにとられた後、おぼろげながら、彼が何を言いたいのかが分かってくるのだった。
「文章を書く人間というのは、他の人には分からない独特の感性のようなものがあって、それがこだわりになるのだが、それを個性として見てくれればいいのだが、変わっていると見られるのが一般的だよね。でも、分かる人には分かると思うと、それがどこにいる人なのかということを探してみたくなりますよね」
「でも、小説を書いている他の人にも分からないようなんですよ」
「それはそうでしょう。同じように小説を書いている人だからこそ、分からないことだってあるかも知れない。逆に考えてみればどうですか? あなたの考えていることが、簡単に他の人に分かってしまって、それで嬉しいですか?」
「確かに、自分の考えていることを他の人に読まれたくないと思うこともありますね。同じように小説を書いている人なら、なおさらに『同じことを考えていてほしくない』という思いが強く感じられますね」
「そうでしょう。それが個性であり、自分だけにしかないものとして、他の人から見られたいという意識もあるというものです」
「あなたは、そんな目で見られたいですか?」
と逆に聞いてみると、彼は少し苦笑いを浮かべ、
「いいえ、そんな目で見られたくはないですね。個性というものは、無意識に醸し出されてくるものだと思っているので、それを感じる人も、意識して感じてほしくないというのが、俺の持論ですね」
時々彼は、自分の考えていることを、相手に喋らせることがある。これも彼独特の考え方から来るものなのだろうが、江崎はそんな彼を嫌いではない。
もっとも、彼が江崎以外と話をしているところを見たことがない。江崎が知らないだけなのかも知れないと最初は思っていたが、彼と話をしているうちに、他の誰かと話をしている姿をどうしても思い浮かべることができなくなっていた。
「だけど、どこかで彼が他の誰かと話をしているのを想像したことがあったな」
なかなか思い出せなかったが、話をしている相手を思い出してみると、どうにも他人のように思えなかった。
「あれは、昔の僕ではないか?」
いつの頃の自分なのかは分からない。たぶん、夢に見たのだと思っていたが、夢にしてはかなりリアルだった。
自分が夢の中で見たというのであれば、潜在意識のなせる業が夢だと思っているので、その相手の男に対して、かなりのイメージを深く持っていたことになる。最近になってこれだけ物忘れが激しいのに、それでもイメージが消えないということは、それだけ自分と関りが深い証拠であろう。
「あれは、昔の僕ではないか?」
と思ったのも無理もない。いや、そう感じなければ、ずっと相手が誰なのか気になってしまって、通常生活ができなくなるかも知れないとさえ思えた。
誰なのか思い出せないだけで通常生活が脅かされるなど、あってはならないことだと思えたのだった。
昔の自分と言っても、一体いくつくらいの自分だったのだろう?
五十歳を超えている彼から見れば、かなり若い人には変わりない。ただ、それが二十代なのか、三十代なのか見当がつかなかった。もし、江崎が自分に似ていない人を想像していれば、年齢の幅もぐっと狭まるのだろうが、昔の自分だと思うと、いつ頃の自分なのか、なかなか分かるものではない。
「自分の姿は、鏡に写したりして、何かの媒体を使わないと、なかなか見ることはできない」
確かにその通りだ。
だからこそ、昔の自分をそれほど鏡で見たことのなかった江崎には、それがいくつの頃の自分なのか分からない。それなのに、
――よくそれが、昔の自分だと分かったものだ――
という思いがあるのも間違いではない。
二十歳代と、三十歳代の自分とでは、かなり違っているのを自覚していた。
「本当に同じ人間なのだろうか?」
と感じるほどで、普通年齢を重ねれば、その時系列で重ねた年齢分、以前の自分を振り返ることができる反面、未来から過去を遡るというのは、結構遠い道のりに感じられた。それだけ、自分が生きてきた人生に重みがあるとも言えるのかも知れないが、それ以上に、江崎の場合は、忘却の二文字が頭にあって、離れないのだった。
昔の自分を顧みていると、想像として浮かんできたのは、三十歳代の頃、スナックで、言われた、
「初恋の人に似ている」
と言われたことだった。
その言葉自体には、それほど思い入れがなかったのだが、それ以前に、同僚の松永が言った、
「この間まで五十歳だったんだ」
と言っていたのを思い出した。
その時女の子から、
「五十代と今とでは、どう違うの?」
と聞かれて、
「今と精神的には変わりない」
と答えていたのが気になっていた。
江崎はその言葉を今ま追いかけていたのかも知れない。
確かに、三十代、四十代と、その意識は強く、
「五十歳になったら、その答えが見つかるのだろうか?」
と思っていた。