タイム・トラップ
と考えるようになっていた。
彼の小説は、パラレルワールドを基礎にした話だった。
最初に読んだ作品は、
「少し無理なところがあるな」
と思いながら読んでいたので、そこまで深く入り込むことはなかったが、どうしても気になってか、もう一度読み直してみると、今度は、まったく違ったイメージが頭をよぎった。
これも二重人格性を意識したからなのか、彼と話をしているうちに、自分も、
「前から知り合いだったのではないか?」
と感じるようになっていった。
それを感じているのは、表の自分ではなく、裏の自分である。そのことは彼の小説を読み直しているうちに感じることだった。
彼の小説で意識したのは、SFの中でも、いろいろな時代を行き来している者がいるということだった。
それは人間ではない。人間ではないが、人間よりも優れた力や科学力を持っていた。
彼らは、元々は人間によって作られた者たちで、人間が利用するつもりで作った連中が、いつの間にか人間に取って代わったという、SF小説にはよくある設定だった。
しかし、彼はそこに「裏表」の人種を作った。普通の小説であれば、同じ人間で裏表を持っている人が同じ時代に、他に存在しているとすれば、それはパラレルワールドでしかない。
だが、彼の話はそのパラレルワールドを基礎にしていながら、決してパラレルワールドで起こっている出来事ではないことを、前面に出して描いていた。
彼の小説では、
「同じ時代」
というのが、実はトラップで、ずっと読者に、
――同じ時代に存在している、別の自分――
を意識させていた。
読む人は、強調されると、意識して目を逸らそうとするか、それとも、作者の術中に嵌ってしまうかのどちらかであろう。
小説を読んでいると、ところどころに作者の思い入れが明らかになっている部分がある。読者によっては、
「こんな話、作者の勝手な思い込みが生み出した『驕り』のようなものだ」
として、読むのを途中でやめてしまう人もいるだろう。
どうやら、彼はそれでもいいと思っているようだ。
「自分の作品を自分の思いに沿って読んでくれない人に読まれるのは迷惑だ」
と言わんばかりの内容に、彼の意図が隠されているように思えてならない。
「俺は、書きたいことを書いているだけなんだ。読みたくない人に、無理に読んでもらいたいとは思わない。最後まで読んで不愉快な思いをするくらいなら、最初から読まないでもらいたい」
と言っていた。
だが、彼の言う通り、思ったことを書いているだけだと思って読んでみると、別に不愉快には思えない。却って、
「どんな気持ちで書いたんだろう?」
と、興味が沸いてきて、そこに作者の意図が隠されているなど、思いもしない。それがまた彼のうまいところで、読む人間を絞りこむことが、自分の作品に磨きをかけるのだと分かっているようだ。
彼の話は、完全にフィクションである。同じ時代の裏側に回っている自分が、表の世界に現れるという設定から始まるのだが、彼は必要以上に、「裏表」という思いを前面に押し出している。
「こっちが表で、向こうが裏だ」
この発想は、鏡に写ったもう一人の自分に似ている。鏡を見ている自分は鏡に写った自分を見て、虚像であるとして疑わない。鏡の中に写った自分は、自分でしかありえないという発想だ。
主人公は、五十歳代だった。
「俺がこの小説を書いたのは、三十代だったんだが、今から読んでも、よくこれだけの発想ができたなと思うほど、五十代をよく書けている。本当に怖いくらいだな」
と言っていたが、主人公の陰に隠れるように出てくる三十代の男性がいるが、それが作者である彼と重なって感じられる。間違いなく、主人公に隠れて陰のような存在になっている男は、小説を書いていた時の、彼に違いない。
彼はパラレルワールドを基礎に小説を書いているが、最後にはパラレルワールドを否定している。
「それは、パラレルワールドが「無限」の元に成立しているからだ」
という考え方からだった。
人間一人に、たった一瞬でも無限の可能性が存在している。それがさらに無限に続いていく時間にどのような影響を与えるかということを考えると、
「無限と言っているものにも、実は限界があり、限界が存在しなければ、同一時間に無限の可能性が存在しているとすれば、すべてはそこで終わってしまうはずなのに、時間は無限に続いていく。そうなると、無限という言葉が、有名無実になってしまうのではないかと思ってしまうんだ」
それが、パラレルワールドを誰よりも信じたいはずなのに、考えれば考えるほど、パラレルワールドを否定しなければならなくなってしまう自分に気を病んでいたのだ。
「俺を二重人格だって思ってるだろう?」
と言われて、
「ええ、まあ」
と、適当な返事をした時、
「やっぱりそうだよね」
と、寂しそうな顔をしたのが印象的だった。
彼の小説を読んでいると、すぐに分からなくなってしまう。五ページも読まないうちに、前に読んだ内容を忘れてしまっているのだ。
――僕は、こんなにも物忘れが激しいのだろうか?
確かに物忘れが激しいのは意識していたが、嵌って読んでいるはずの小説で、たった五ページ前を覚えていないなど、今までの感覚からすればありえない。
きちんと順序だてて物語は進行していた。確かにSF小説なので、時系列での話ではないのは仕方のないことだが、それでも、なるべく時系列に沿った物語展開になっている。そういう意味で、彼の小説は、
「読み手に優しい」
はずだった。
ただ、彼の中でどうしてもパラレルワールドを描くことができないという思いが、読み手に伝わってくるのか、読んでいて、ついつい違う世界に入り込んでしまっているような感覚に陥る。だからこそ、ちょっと前のことでも、忘れてしまうという現象に陥ってしまっている。
「無理もない」
とは思うが、それだけだろうか?
「そういえば、彼も言っていたっけ」
「覚えていないことの中に『未来に起こること』が含まれている」
と言っていた。
自分も彼の小説を読んでいると、読んでいた内容を忘れてしまっている。ということは、彼の書いている小説は、本当に未来に起こることを書いているのだろうか?
ただ、彼がその小説を書いたのは、かなり前のことである。その時点で、「未来」だったことが、今になれば過去であるかも知れないし、さらにまだ起こっていない未来であるかも知れない。
江崎は、若い頃の自分も、学生時代に小説の真似事のようなものを書いたことがあった。
もちろん、どんな内容だったかなど、すっかり忘れてしまっている。部屋を探せば、どこかからか出てくるかも知れないが、その当時、
「これは残しておこう」
などという発想になったという記憶はない。
だが、小説を書いている頃は、結構物忘れが激しかったのを覚えている。小説を書いているから、物忘れが激しいという発想に結びつきはなかったが、今から思えば、あの時の記憶を思い出すことができれば、新鮮な気持ちで彼の小説を読むことができるような気がしてきた。