タイム・トラップ
江崎は違和感を感じながら、それ以上のことは聞かなかった。もし聞いたとしても、うまく煙に巻かれるような気がしたからだった。
しかし、彼は確かに、
「見てきたこと」
と言った。
それなのに、江崎が夢の話をした時、それに逆らった言い方はしなかった。なるべくこの言葉に触れてほしくなかったのかも知れない。
「やっぱり、夢を見るというのは、その時の何かが気になっていて、記憶の奥に封印してしまったことが、夢となって現れるのかも知れませんね」
そういうと、
「そういう考えもあると思いますが、私は少し違うんですよ。夢というのは、過去のことを見た時と、未来のことを見た時で、違っているものです。しかも、過去のことだと思って見ている夢が、本当に自分の記憶の中にない時がある。その時が、私には未来のことのように思えるんですよ」
「あなたには、未来のことがたくさんあるんですか?」
少し聞き方がおかしな言い回しになったが、彼は江崎が何を言いたいのか分かっているようだった。
「ええ、私は記憶の一部が欠落しているようなんです。最初は、起きていてもまったく意識していないことなのに、夢の中ではしっかりと出てくる。ただ、目が覚めると覚えていない。あなたにも、その日の朝見た夢を覚えていないということが、何度かあったと思いますよ」
「ええ、私には結構たくさんあります。ひょっとすると夢で見たことすべてがそうなのかも知れないと思うこともあるくらいです」
「でも覚えている夢もあるんでしょう?」
「ええ、でもそれは封印することができなかったもので、本当は忘れてしまいたいことは記憶の奥に封印しているものとして、夢で見ることは許されても、目が覚めてから、そのことを記憶することは許されないと解釈しています」
そうでも思わないと、目が覚めてから夢の内容を覚えていないということの説明がつかない。
覚えていることもあるのだが、実際に夢を見た中で覚えていることの確率となると、ほぼ低いものであるように思えてならないのだ。
「覚えていないことの中には、私は『未来に起こること』という思いがあるんです。夢の中は現実世界と違って、発想が柔軟だと思う。だから、未来のことを想像したとしても受け入れることができるが、現実世界の自分は、未来のことを受け入れることはできない。だから、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだと思うんだ」
と話していた。
突飛な発想ではあるが、そう言われてみれば、十分に納得がいく。
――話をしているのが、彼だからなのかな?
もし、他の人に言われたことであれば、納得できなかったかも知れない。いや、ちょうど江崎の中で同じ発想を抱いていたのかも知れない。ただ、それにしても、
「ただ、タイミングが合ったからだ」
というだけでは説明がつかない気がする。
夢というものに対しての発想は、さまざまである。その時の精神状態にもよるし、どんな夢を見たのかにもよる。
「思い出したいのに思い出せない」
そんな夢は、目が覚めてから考えるとすると、一番遠いところに存在しているのかも知れない。
「一度一番遠くまで行って、夢を思いださせないようにするために、わざとさせているのかも知れない」
それは潜在意識のなせる業で、イタズラというには、かなり手が込んでいるように思えた。
彼とは同人誌仲間の飲み会で仲良くなり、結構いろいろな話をするようになった。最初にした夢の話が印象的で、彼も江崎が気になっていることなどに興味を示していた。
お互いに興味津々な二人だが、ある日、
「俺は、あなたと昔から知り合いだったような気がするんだ」
と言われた。
お互いに結構呑んでいたので、
「酔いに任せて」
だと思っていたが、少し違っていることに気が付いた。
「昔から知り合いだったというと、相手は気持ち悪がるか、それとも、仲がいいことを強調したくて、比喩のつもりで話をする人もいるが、俺はそうじゃない。確かに、第一印象から、昔から知り合いだったという発想をする人は少ないだろう。相手のことをいろいろ分かっていって、以前の知り合いに、同じような考えだったり、同じような話をするのが好きな人がいたりして、それで、以前から知り合いだったと思うのだろうが、俺は違うんだ」
「どう違うというんだ?」
「俺は最初からあなたを見た時、すぐに以前から知り合いだったような気がするって感じたんだ。だから、話をしていて感じたわけではない。いわゆる直感なんだ」
「直感でそう思う人もいるんじゃないかな? 今まで自分の知り合いにはそんなタイプの人はいなかったんだけどね」
「でも、確かに最初は直感だったと思ったんだけど、具体的にいつ頃のあなたを知っているのかと言われると、どうも三十歳代じゃないかって感じたんだ。実は俺が書いている小説の内容のほとんどは、その頃から温めていたものが多くて、その時の発想を与えてくれたのが、ちょうど知り合いだったあなただったような気がするんだよ」
「じゃあ、同人誌に発表している作品の元は、三十歳代の頃に知り合いだった人との会話が引き金になっていると?」
「ええ、そうなんですよ。江崎さんには、俺の小説を読んでみて、何か心に引っかかるものってなかったのかい?」
彼の作品を何作品か読んだことがあったが、確かに言われてみれば、共鳴できるところがたくさんあった。
今から思えば、彼に興味を持ったから作品を読んだわけではなく、彼の作品に興味がわいたので、彼に対しても興味を持ったのかも知れないと思った。
確かに、彼と初めて話をした時には。すでに彼の作品を二作品ほど読んだ後だった。最初に読んだ時は衝撃を感じたが、どこか、自分の考えている発想とは違っている気がして、認めたくないという気持ちがあったのも事実だった。しかし、なぜか彼の作品を無視することができない自分がいて、ちょうどその頃、
「僕は二重人格なんじゃないか?」
と、感じていた頃だったので、彼の作品を読んだ時の自分がどっちの自分だったのか、後から考えると分からなかった。
自分が二重人格だという思いを、江崎は以前から持っていた。
最初に感じたのは、確か三十歳代ではなかったが、そう、ちょうど彼が江崎と知り合いだったことがあると思っていた時代である。もちろん、若干の誤差はあるだろうが、江崎には、ほぼ同じ頃だったように思えてならなかった。
ただ、江崎が自分の二重人格を気にしていたのは、その時だけだった。
「別に二重人格でもいいじゃないか」
と思うようになったからだ。
「人間、誰にでも裏表はあるものだ」
と考えるようになってから、二重人格なのかも知れないと思っていた自分の背負っていた荷物が急に軽くなったような気がした。
もし、彼が江崎と昔から知り合いだったというのであれば、江崎にとって、ちょうどその時「裏」だった部分の江崎を知っているのかも知れない。
その時の江崎と今の江崎を、彼が結びつけて考えられるのであれば、
「当時の自分の『裏』の部分というのは、今の自分の『表』になっている部分なのかも知れない」
と感じるようになると、
「二重人格の人間というのは、定期的に裏と表が入れ替わっているのではないだろうか?」