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タイム・トラップ

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――いや、別の世界の自分なら、容易に考えていたかも知れない――
 と感じたのは、五十代になってやっとパラレルワールドや、過去や現在や未来について考えられるようになったからで、
「どうして、若い頃に考えようとしなかったのだろう?」
 と思ったからだ。
 感じてみれば、これほど考えが進むこともない。
「なんだ、そんなに難しく考えるようなことじゃないな」
 と感じたのは、一つのことを思い浮かべると、どんどんその先が頭に浮かんでくるからだった。
「連鎖反応」
 とでもいうべきだろうか、
「元々、俺は昔からそんなタイプだったはずなのに、どこで道を踏み外したのだろう?」
 と感じた。
 踏み外した道を何十年かかかって、元に戻すことができた。
「人生とは、一度狂った道を元に戻すために費やす時間」
 と言えるような気がしてきた。
 五十代になった自分がどこまで狂った道を元に戻したのか分からない。ひょっとすると、死ぬまで分からないことなのかも知れない。しかし、おぼろげながらに見えていることもある。見えていることをどこまで信じることができるかというのも、その人それぞれの性格だとは言えないだろうか。
 五十代の江崎は、目が覚めた時、明らかに自分の中に三十代の自分がいるのを感じた。しかし、目が覚めてしまうとそこにはもう三十代の自分はいなくなっていた。
――錯覚だったのだろうか?
 錯覚というのとは違うかも知れない。
 もし違っているとすれば、
――三十代の自分が、五十代に存在した――
 ということである。
 江崎は、そんなことはありえないと思っていた。それは、
――一人の身体の中に、多重で感情が入り込むことはできない――
 と思っているからで、特に相手が、違う世代の自分であればなおさらのこと、なぜなら、自分の肉体には、三十代の自分が存在していて、肉体と精神で共存できるのは、その時代の自分だけだという思いがあったからだった。
 江崎がこんなことを考えるようになったのは、江崎自身、自分でタイムマシンをイメージして、小説に残しているからだった。
 五十代の江崎は、プロにまではなっていなかったが、小説を書いて、同人雑誌に載せるメンバーに入っていた。その同人雑誌には江崎のような年配者はいないと思っていたが、結構いた。そして、一番少ないのは三十歳代。ぽっかりと空いていた。やはりある程度年齢を重ねて、自分の考えを整理できるようになった人間の所属が多いようだった。
 さすがに二十歳代までの若者と年配では発想するものが違う。根本は同じなのかも知れないが、どうしてもシチュエーションには違いがある。
「若者に年配の発想が分かってたまるものか」
 と言っている人がいるが、それを聞いていると。
「我々が若者の書いているものが理解できない」
 と、遠回しに言っているようなものだ。
 しかも、若者と年配という括りにしてしまっているということは、年配である江崎までも含んでいるということになる。そのことをその人は分かっていないのだ。
 頑固だという言葉だけで片づけられるものではないが、どうしてその人がそんなに若者に対して固執し、敵対心を抱いているのか分からなかった。
 彼は、若者との確執さえなければ、発想は素晴らしいものがあった。江崎も彼の書いた小説に少なからずの影響を受けているのは間違いない。下手に本屋で小説家という人たちの書いた本を読むよりも、よほど江崎にとっては勉強になった。
「あなたの小説はなかなか興味深い」
 月に一度、交流会が催され、自由参加で盛り上がるのだが、同人誌の仲間になってからの江崎は、その時ちょうど半年が過ぎていた。
 それまでは交流会に参加したことがなかったが、
「一度くらいは参加してみるのもいいものだ」
 と、参加してみることにした。
 参加メンバーは数人だけだったが、いつも人数的には変わらないという。
「でも、いつも同じメンバーとは限らないんですよ」
 彼はそう言っていた。
「あなたは、毎回参加しているんですか?」
 と聞くと、少し恥ずかしそうに、
「ええ、毎回参加しています。それだけ暇なんですけどね」
 と言いながら、さらに照れ笑いをした。その表情を見ている限り、毎回参加するのは暇だからだというのは嘘に聞こえる。それだけ寂しさをいつも募らせているということなのかも知れない。
 もちろん、思っていることを口にするようなことはなかったが、面白そうなその人と、会話するようになった。
 その人のペンネームは、「桜井信二」と言った。彼の小説もSFチックなものが多く、それまでジャンルをあまり決めずに書いていた江崎に。SFの面白さを教えてくれた。
「あなたの小説はなかなか興味深い」
 という気持ちになったのも、まんざらでもなかった。
「そういってもらえると嬉しいですよ」
 彼はまたしても照れ笑いをしたが、先ほどの照れ笑いとは種類が違っていた。その表情には自信が満ち溢れているように見えた。その思いをなるべく表に出さないようにしようという気持ちが現れているようだった。
 しかし、本当に彼が表に出さないようにしているようには思えない。書いている小説を読んでいる限り、内容には信憑性が感じられた。SFという架空の空想物語であるはずものなのに、まるで自分の目で見てきたかのような描き方が、江崎の心を捉えて離さなかったのだ。
「一体、あの発想は、どこから来るんですか?」
 と尋ねてみると、さっきまでの照れくさい笑いとはまったく違った表情になり、
「想像? いえいえ想像などではありませんよ。私は見た通りのことを書いているつもりなんですよ」
 想像していたようなセリフだったが、どうにも上から目線に感じられる話し方に、こちらも対抗意識を燃やしてしまったのか、
「ほう、ではあなたは、あの小説はフィクションではなく、ノンフィクションだとおっしゃりたいんですか?」
「いえ、そんなことは言っていませんよ。ただ、見てきたものをと言ったっだけです」
 不思議な言い回しだが、
「じゃあ、見た夢に出てきたと解釈していいのかな?」
「ええ、そうですね。ただ、それが想像なのかどうなのか、自分でも分かりません。本当なら想像で片づければいいんでしょうが、私はそれで片づけてしまっては、気持ち悪い気がしたんです。だから、文章にして残したいと思うようになり、小説を書くようになったんですよ」
 彼のいうことには一理あった。確かに彼は嘘をついているわけではない。彼の言葉から、想像というよりも確かに、見てきたことだという方が真実に近い。だが、そのことを理解できる人は、そうはいないだろうと思えた。
 夢というものが、現実とはまったく違ったものでないということは分かるような気がする。
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
 と言っていた人がいたが、その意見に江崎も賛成だった。そういう意味では話をしている彼が、
「想像ではなく、見たものを言っているだけだ」
 と最初は言っていたのに、江崎の質問に、念を押す形で答えた時、
「見てきたもの」
 と言ったのは、口が滑っただけであろうか。
作品名:タイム・トラップ 作家名:森本晃次