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短編集10(過去作品)

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 あまり精気が感じられる顔ではないのだが、なぜか表情に余裕のようなものがある。きっとまだ鬱に完全に足を踏み入れてないからそう思うのであって、それだからこそ、私も鏡を見ようという気になるのだ。本当に鬱に入ってしまった顔など、見たいとは思わないはずだからである。
――私が鏡を見る時、感じる余裕はいつも同じだ――
 微笑みかけるような顔ではない。余裕といっても心の余裕というよりも、表情に柔軟性があると言った方がいいのだろうか?
――笑顔にも、落ち込んだような表情にも、いつでも変わりそうな気がする――
 瞬きする間に、いつ表情が変わっていても驚かないという意味である。余裕という言葉が果たして適切かどうかなど分からないが、雰囲気があるだけで、実際表情が変わることは今までにはなかった。
 鏡の前を離れてからの私は、なぜか心境に変化がある。
 一瞬、表情が変わるのだ。
 鏡の前の私は緊張しているのか、表情を変えることはない。正面に写った自分の表情に釘付けになっていることもあるが、逆に鏡の中から見つめられている気がするからだ。どうかすると自分が鏡の中から見つめているような気になり、思わず鏡に向かって手を合わせてみたりしたこともあった。
 ピタッと鏡の表面に手を添える。
 鏡の向こうの自分も当然手を添えてくるので、鏡の表面での手合わせになる。冷たくなっているはずの鏡に手を合わせるが、冷たさというより、軟らかさのある暖かさを感じてしまう。こんな錯覚を感じるのだから、鬱は間違いなくすぐそこに迫っていることを知るのだ。
――きっと鏡の中の自分は何でもお見通しなのだ――
 そう感じるのは、やはり余裕に見える表情からなのだろう。私のことを一番よく知っている「限りなく自分に近い他人」、鏡の中の私はそんな存在なのだ。
 鬱に突入した時の私が最初に感じるのは、他人からの視線の変化である。
 いつも顔を合わせている人と同じように顔を合わせるのだが、表情に微妙な変化を感じる。鬱でなければ笑顔を向けられると、本能的に私も笑顔を返しているのだが、それも笑顔に何の屈託も感じないからだ。しかし、鬱に突入してしまうと、同じ笑顔を向けられても、どこかが違う気がしてくるからぎこちない笑顔しか返せないでいる。きっと相手の絵顔がまったく普段と変わらない屈託のないものなのだろうが、そうと感じないところからも、自分が鬱に突入したことを自覚しているのかも知れない。
 鬱に入ると、学生時代の頃など旅行に行くことが多かった。それも予定など立てずにフラリと出かける気ままな旅。
 最初の頃は分からなかった。たとえ旅に出てどこに行こうとも自分の気持ちから逃れることなどできないということを……。
 しかしそれでもよかった。
 旅があまり面白いものでなくとも、心の中にくっきり残っていれば、躁状態の時に出かけたくなるような衝動に駆られる思い出として、必ず思い出すことがあるからだ。そんな旅でも私にはよかった。しかし、それが学生時代の頃だけだったというのは、今はそれほど気持ちに余裕がないからかも知れない。
 そう、社会人になってなくした一番の大きなものは、学生時代に感じていた「余裕」だったのかも知れない。社会人になって少しずつこじんまりとしてきたような錯覚に陥るのは、「余裕」が気持ちの中で小さくなっていったのを感じるからであろう。
 私が旅に出てよかったと思えるところにはその後何度か訪れることにしている。
 一度行った時の記憶と、二度目以降に行く時の気持ちが同じであればあるほど、必ず訪れた時に新しい発見があるからだ。以前来た時に感じなかった思いを発見することによって、自分の中の知らなかった部分が見つかるような気がするのだ。それだけ最初に行った時の印象が頭の中にこびり付いているのだろう。
 それは、有名な観光地でなくともいいのだ。ガイドブックに載っていないようなところであっても、自分の感じたことが一番なのであって、却って変な先入観がなくていいのかも知れない。
 特に私の場合、欝で旅行に出る時は、あまり人と出会いたくない。
 それが観光ブックを見てやってくるミーハーなおばさんたちであれば尚のこと、「いい加減にしてくれ」と叫びたくなるような状況に陥ることは目に見えていた。
 しかし不思議なことに、私が鬱で旅行に出かける時に見つける先は、必ずもう一度訪れたくなるようなところなのだ。人里離れた一軒屋だったり、それでいてゆったりとした温泉が湧いていたりするところで、私にとってはありがたかった。それなりに値は張るが、気取らないサービスが私を喜ばせてくれる。
 今回訪れるところは、やはり以前に鬱状態で行ったことのある山奥の温泉だった。
 今精神的には落ち着いている。躁状態というわけでもないが、もちろん落ち込みがあるわけでもない。そんな時にふっと心に隙間ができてしまい、そんな隙間を埋めようと出かけてきたのだ。
 車窓から見える景色はまったく変わりなく私を迎えてくれる。前に来たのは数年前だったにもかかわらず、まるで昨日もここを通ったような錯覚に陥るのは、今に始まったことではない。
 そういえば以前来た時は夕方だったような気がする。今通っているあたりは日が落ちる寸前で、西日が強く当たって暑かったような記憶がある。
 あの頃は季節的には真夏だった。私が鬱になる時はなぜか夏が多い。冬にまったく落ち込まないというわけでもないのだが、本格的な鬱状態というと夏の時期しか記憶にないのだ。
――偶然なのだろうか?
 何度となく自分に問いてみたが、結論が導き出せるはずもなく、偶然として片付けるしかなかった。
 したがって、最初鬱状態で行った時と、再度訪れる時の最大の違いは、季節の違いだった。最初は夏が多く、二度目は冬が多い。特に、冬というと落ち着ける雰囲気があるだけに、私は嬉しかった。
 今回など車窓に写った山の上に雪が見える。それが前との最大の違いなのだ。
――もう少し行ったら、景色が見えなくなっていたな――
 初めて見るであろう景色に、心はウキウキだった。同じところを通っていたのに見えなかった景色である。
――窓に写った自分の顔をじっと見つめていたっけ――
 外は真っ暗で、明かりというと私の後方から当たっているので、ガラスに写った私の顔は逆光になり、はっきり写ったものではなかった。
――どんな表情をしていたのだろう?
 自分でもはっきりと覚えていない。
 鬱状態なので、当然寂しそうな暗い表情をしていたことには違いないだろうが、浮かび上がった暗さに、さらに寂しさが現れていた気がして仕方がない。
――あれ?
 どうやら思い出そうとしているのだが、はっきり思い出すことができないようだ。
 窓の外で、大きな山が影となり動いているのが見える。列車の音に同調するかのように動いている山を頭の片隅に置きながら、私はじっと写っている自分を見ていた。
作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次