短編集10(過去作品)
次第に表が暗くなるのに呼応したかのように、車内の明るさを感じることができる。しかしそれはあくまで実際の明るさを感じるのであって、窓に写った明るさを感じているのではない。むしろ窓に写った車内の明るさは、ほとんど感じることができない。ぼんやりと写し出された車内の雰囲気は不気味なくらいの明るさでしかなかった。
まるで確認するかのように後ろを振り返り車内を見渡してみる。
乗客のほとんどは途中の駅で降りてしまって、同じ車両に残っているのは私を含め三人しかいない。しかも皆バラバラの席にゆったりと座りながら、私と同じように窓の外を見ている。
その表情には精気は感じられず、ただ漠然と見ているだけだった。
――私も同じように見えるのだろうか?
いや、そんなことはないだろう。少なくとも自分を見つめていた先ほどなどは、さぞかし真剣な面持ちだった気がして仕方がない。とはいうものの、自分がそう感じるだけで、他の人が見れば同じように精気のない顔に写っているかも知れない。
再度窓ガラスを覗いてみた。
今度はそれほど気負った気持ちもなく、ただ漠然と見るつもりである。他の人の表情を見て、そう思ったからだ。
肘をついて、ただ見つめている。
――おや?
漠然と見ているからか、先ほどとは明らかに何かが違う。最初はそれが何か分からなかったが、明らかな違いがあるのだ。
――女性?
じっと私を後ろから誰かが見ているような感覚になった。窓には誰も写っていない。しかし窓に写っている明るさは、先ほどよりも暗さを増していた。不気味さがさらに私に襲いかかる。
写っているものすべてが「影」のような気がしてくる。シルエットのようにぼかしのかかったとでも言うべきか。しかしそれもまわりに集中するからで、目の前に浮かび上がっている自分を見つめることを忘れていたからだ。
――自分がいない?
明らかな違いとは自分が写っていないことだ。漠然と見ていたのでそれほどの驚きはなかった。そう思った瞬間、目の前に広がった明かりがとても明るくなっている。そのせいだろうか、写っているはずの窓の外の山を、まったく感じることができなくなっていた。
そこから私の頭の回転が速くなったのか、それとも時間の感覚が麻痺してしまったのか、自分の置かれた状況について次々と発想が浮かんでくる。
――鏡の中の世界――
鏡を見る時にいつも想像してしまう鏡の中の世界を垣間見た気がする。ひょっとして今がその鏡の中の世界なのかも知れない。そう考えると自分の今の状況が分かってくる気がするのだ。
自分の方が明るくて向こう側が暗いと、ガラスであっても鏡の役目を果たし、向こう側を見ることは難しい。しかし、自分が暗く相手が明るければ、向こう側がはっきり見えるだけで、自分を確認することができない。
今、私は表の世界にいるのではないだろうか。だからガラスに写っている自分を見ることができず、しかも写っているところがやけに明るく感じる。
鏡の中を見ながらいつも思っていた。
――本当に鏡は真実を写し出すものなのだろうか?
真実を写し出すものには違いないだろう。しかし、そこに釈然としないものを感じていたのも事実であって、それがどこから来るのか分からないでいた。
――表裏一体の世界――
鏡を見ることで私は時々鏡の世界と入れ替わっていたのではないかと考えれば、不本意ながら説明がつく。鏡の中の世界はこちらと何ら変わることのない世界で、ただ、自分の性格が変わる時にそのゲートが開かれるのかも知れない。
――うすうす気がついていたような気がする――
鏡を見つめると心に余裕ができて、落ち着いた気分になれる。
自己暗示に掛かりやすいのだろうか、そんなことを考えているから鏡の前に立つ回数も次第に増えてくるのだ。
最初は鏡の中にもう一人の私がいて、
――入れ替わっているのでは?
とさえ思ったりまでしたが、どうやらそうではないことが、自分が車窓に写らないことで、はっきりと分かったようだ。
鏡を自分が気にし始めたのは、公園のお姉さんと出会った時からだろう。その頃は漠然と鏡を見ていた。お姉さんに見つめられた自分がどんな顔をしていたか知りたかったのもあるのだが、そのうち鏡を見ないと落ち着かなくなったのも事実だったのだ。
その頃から自分の躁鬱が次第に気になり始めて……。
気がついた時にはいつも鏡を見つめていることが多かった。鏡に写っている自分の表情が普段しない表情に変わった時に我に返るのだ。
鏡の中の世界で私がしてきたことがどのようにこちらに影響するのだろう。影響など何もないという気がする。
それより、私が今まで出会った人たちの何人が、果たして鏡の中の人たちなのだろう。そっちの方が私には興味がある……。
( 完 )
作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次