なんとなく歪んだ未来
高校一年生の間は、ずっと頭の中を直美が占めていた。しかし、直美の夢を見たその時、直美は自分の独占だった。直美もそのことを理解していて、逆らうことをしない。しかし、それも永久ではなかった。時間で限られていたのだ。
「まるでシンデレラのようだ」
時間がくることで、妄想の世界は消えてしまう。その妄想というのは、自分の中に揺るがぬ征服欲があることを裏付けていた。
だが、妄想は妄想として、限られた時間の中だけで展開されるものであるということで、必要以上に直美に執着することはなくなった。直美が本当の自分の中にある征服欲を満たしてくれる女性ではないということなのだ。
――直美は、僕の中の征服欲の存在に気づかせてくれるためには必要な女性だったのだ。しかし、彼女は征服欲の対象となる相手ではない。きっと近い将来、その女性と出会うことになるだろう――
と、自分に言い聞かせた。
直美の後ろに誰か他の人を感じたというのは、きっとその近い将来に予感めいたものを感じていたからなのだろう。
その感情が本当のものになったのは、出会いがしらでお互いを意識するようになった愛梨の出現だった。中学時代から一緒にいたのに、お互いにまったく意識していなかったというのもおかしなものだが、そのことを仲良くなってから話してみると、
「私も、あなたと知り合う前、他の男性を意識していた時期があってね。でも、その人の後ろに誰か他の人の存在も感じていたの、それがあなただったような気がしているのは、やっぱり同じような経験をしているあなたなら分かってくれると思ったからなのかも知れないわ」
と、愛梨は言った。
さらに愛梨は続ける。
「私は、その時に自分の本性に気が付いた気がしたの。私が今度知り合うことになる人が、私の運命を決めてくれると思うの。大げさなようなんだけど、私には時間がないの」
――時間がないとは、どういうことだろう?
その時は軽く聞き流したが、すぐに意識しないわけにはいかなくなったのだ。
「私、知ってるの。このままいくと、あと数年しか生きられないということを……」
冗談にしてもほどがあると思ったが、その言葉を口にすることはできなかった。愛梨は真剣に信じているようだからだ。
さすがに冗談でも言っていいことと悪いことがあることくらいは分かっているつもりだったが、いきなり糾弾することはできなかった。いつもであれば、
「縁起でもないこと言うんじゃない」
と言って、恫喝するくらいのはずなのに、その時はどんな顔をしていいのか、自分でも分からなかった。
その時、愛梨は謝らなかった。
「ごめんなさい」
の一言があれば、すぐに忘れてしまえたものを、謝ってくれなかったことで、その言葉が頭の中に残ってしまった。
愛梨との間の立ち位置はその言葉で確定してしまった。愛梨がどんなことを言おうとも、一歩下がって聞くことしか修にはできなくなってしまったのだ。
――やられた――
と感じた。
愛梨に対して直接的な感情を持つことができなくなってしまった修は、自分が愛梨のことを好きになったという思いがあるのに、どうしても、勇気に繋がらなかった。告白することはもちろん、愛梨の前で、心からの笑顔を見せることができなくなってしまったのを自覚していた。
そうなってしまうと、愛梨に対しても、相手の表情を信用できなくなってしまった。
自分の表情が相手に対して、信用されるものではないと感じたからで、そんな自分に対して相手もまともな表情をしてくれるはずはないという思いであった。相手も、もし同じことを考えているのだとすれば、それは、
「ニワトリが先か、タマゴガ先か」
という禅問答になってしまう。
最初は、愛梨に対してだけそのことを感じていたが、次第に他の人に対しても同じような表情を浮かべていることに気づくと、自分が孤独であることを再認識した。
孤独は嫌いではない。
「どうして自分が孤独な立場にいなければいけないのか?」
という理屈さえ分かっていれば、孤独であっても、別に構わない。
「人は助け合って生きていくものだ」
という話をよく聞くが、どうしても客観的にしか感じることができず、要するに他人事にしか聞こえないのだ。
そんな自分に孤独と言う言葉はふさわしいと思うようになった。下手に人と関わると、相手の意見に合わせなければいけなくなり、自分の意見がどこまで通るのか分からない。
「話し合って決めればいいことじゃないか」
と言われるが、自分と同じ意見の人がそうたくさんいるとは思えなかった。
元々、
「僕は、他の人とは違うんだ」
と思っているところがあり、他の人と同じだと言われると、ムカッと来るところがあった。だから、
「皆と同じ意見」
と言って、人から意見を求められた時に、自分の意見を言うこともない人を見ていると、本当に腹が立ってくる。
「お前には自分の意見がないのか?」
と言いたい。
もし、似たような意見であっても、まったく同じということはないだろう。言葉にすれば、少しは違う言い方になるというものだ。語尾の違いというだけでも、その人の感情であったり個性であったりが出てくるものだ。それを思うと、修はどんなに奇抜な発想をする人であっても、その人のことを糾弾する気にはならない。何かしらの思いがあって口にしているからだ。
だが、高校生になってから、修の中で、
「本当に自分の意見のない連中がいるんだ」
ということに気が付くようになった。
他の人には分からないことなのだろう。しかし、修には分かっている。どうして分かるのかということを、
「孤独を自分なりに理解して自分のものにしているからだ」
と考えているからだった。
このことは、今までに誰にも話したことはなかった。どうせ言っても、
「お前は何を言っているんだ。トンチンカンなことを言うんじゃない」
と言って、一喝されるに違いないと思ったからだ。
これも、自分の意見は世間一般の常識的な考えだと思っているからで、修自身そんな考えが一番嫌いだということを、まわりの人は誰も分かっていないのだ。
分かってもらおうとは思わないが、世間一般常識の範囲内しか認めないという考えは、ヘドガ出るほど腹が立つ。自分が孤独えお自覚する人生を選んだのも、そんな世間一般常識という言葉への反発からなのかも知れない。
「そんな強情張るんじゃない」
と、まわりの大人たちは言うだろう。
しかし、大人というのは、自分たちの都合で、子供を自由に扱っている。説教にしても、教育という名の下に、世間一般を押し付ける。押し付けられた方は、それでいいと思っている人が大半だろうが、中には反発する子供もいる。そんな子供たちを「不良」というレッテルを貼って、特別扱いをしたり、手に負えないからと言って、国家権力に任せてしまい、相手にしない風潮が、昔から続いてきた。
しかし、あからさまに不良となって暴れたりする人以外にも、ここ数十年の間に増えてきた「引き篭もり」や「不登校」、昔でいう「登校拒否」に値するものも世間一般から外れた者の行き着く先であった。
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次