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なんとなく歪んだ未来

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 その女の子は、いつも一人でいたのに、なぜか気が付けば自分のそばにいる。一人でいると思った時でも、自分のそばにいるという同時進行の発想が、修にはできなかった。
 修は、同時に違うことをできるような器用な性格ではなかった。
「楽器は俺にはできないな」
 と、小学生の頃に早々と音楽に見切りをつけたのは、同時に左右の手で別の動きをすることなどできないと思ったからだ。友達の中にはピアノを習っている人もいたが、
「よく同時に左右の手で別々の動きができるよな」
 と言うと、
「小さな頃からやらされていたので自然とできるようになったんだ。要するに慣れなんじゃないかな?」
 と言われたが、
「そうなのかな?」
 と曖昧に答えたが、自分が曖昧に答える時というのは、ほぼ相手を信用していないことだというのは分かっているので、その時の話も、普段よりもすぐに忘れてしまっていたに違いない。
 その友達も修のことは分かっていた。分かっていたからこそ、そんな曖昧な回答をされても怒ることはなかったのだが、もし他の人から曖昧な回答をされると、少しムッとしたことだろう。
 修の態度は、分かりやすいようだ。
 もちろん、仲良くならなければ分からないことだろうが、最初は、
「とっつきにくいやつだ」
 と、まわりから勘違いされやすいタイプの修だったが、仲良くなるにつれて、その真っすぐな考え方に賛同してくれる人も結構いる。賛同しないまでも、付き合いやすいと思ってくれる人が多いようで、少し変わった修の性格を刺激しないようにうまく付き合っていけば、これ以上付き合いやすいやつもいないと思われているようだ。
 利用されやすいともいえる。
 利用はされるが、修が困るような利用のされ方ではない。修自身が気づかないほどの些細な利用され方なので、別に大きな問題になることもない。
 修は、自分の性格がまわりにバレバレだということを意識していない。まわりもそのことが分かっているので、敢えて刺激しないのだ。そういう意味で修のまわりには仲がいい奴はトコトン仲がいいが、少しでも距離を持とうとすると、近づくことさえできない関係になるのだった。
 そういう意味では両極端な性格だと言ってもいい。人によっては、
「修ほど付き合いやすいやつはいない」
 という人もいれば、
「あいつのどこがそんなに付き合いやすいんだ?」
 というやつもいる。
 修に対しての意見がバラバラなくせに、修はどんな相手にも同じ付き合い方しかしない。やはり不器用なのは、どうしようもないことなのだろう。
 そんな修だったが、いつもそばにいた女の子のことは、気にならないわけにはいかなかった。
 今も昔も一人の人への態度がどのようなものであっても、まわりを気にすることのない修だったのに、その時だけはまわりを意識していたのである。
――僕のそばにいるこの子を見ながら、まわりの人は僕に対してどんな風に思っているんだろう?
 という思いだった。
 どうしてそんな風に感じたのかというのを考えていたが、すぐに分かるはずもなかった。そんなことがすぐに分かるくらいなら、まわりのことすべてが分かってしまうだろうと思うほどだった。
 まわりの目を意識しているということは、自分もまわりの目になって自分を見ているということでもある。そのことには気づいていた修は、その女の子が自分に対して気があるということに自分が気づいていない様子を見ているような気がした。
――そうか、彼女は僕に気があるんだ――
 まわりからの目がそう言っているのだ。
 これが修にとっての先入観だった。
 それならば、少々彼女に対して主導的になっても、別にかまわないではないかと思う。それが今の自分の性格を作っているのか、それとも、元からあった性格がその時に覚醒してしまったのか、自分でも分からなかった。
 修は自分が人を好きになるというシチュエーションを子供のくせに描いていた。しかし、その女の子の出現は自分のシチュエーションとは少し違っていた。だから、
――これは好きになったわけではない――
 と思い込んでしまった。
 いつもそばにいる彼女をわざと遠ざけるようにしてみた。もちろん、遠ざけようとする態度を表に出すようなことはしない。自分なりに不自然ではないようにしていたつもりだった。そのせいもあってか、彼女との間の関係が変わることはなかった。
 それならそれでもいいと思えればそれでよかったはずなのに、その時の修はどこか意固地になっていたのだろう。自分の思ったことがうまくいかなかったことは、自分にとっての屈辱のように感じたに違いない。そう思ってしまうと、修は少し露骨な態度に出なければいけないと思うようになっていた。
「好きな女の子には辛く当たってしまう」
 という言葉を聞いたのは、思春期になってからのことだったが、その時でさえ、自分が彼女を好きだったという思いを否定していた。
 今は、その時の思いが分からなくなっている。好きだったと言われればそうなのかも知れないと思うのだが、それは歩み寄りに近いものであり、自分の考えから来ているものではないように思えていたのだ。
 子供の頃から思い込みが激しく、それを先入観だと思っていたことで、曖昧なことは却って自分の考えではないと思うようになったのだ。
 高校生になって修はその女の子と再会することになった。中学三年生の頃に、異性を意識するようになった修は、彼女がほしいという意識をいつも持っていたにも関わらず、なかなか彼女ができなかった。
 自分が彼女を作るためには、好きになった人に告白する必要があるのだろうが、彼女がほしいと思いながら、誰が本当に好きなのか、ハッキリと分からなかった。その時々で気になる女の子はいるのだが、告白できずに終わると、その女の子を本当に好きではなかったと思うからだった。
 また好きになった人に彼氏や、彼氏ではなくても、誰か好きな人がいるという話を聞くと、すぐに諦めていた。
「後から来た自分には、好きになる権利はない」
 と口では言っていたが、明らかに綺麗ごとである。
 好きになった人に好きな人がいると、すぐに諦めてしまうのは、もし、自分が告白して成功し、付き合うようになっても、いつその人、あるいは他の人に心変わりしないとも限らないという思いがあるのと、修自身、自分が好きになった人に、他に好きな人がいるという時点で、すでに気持ちが冷めてしまっていたと思うからだ。潔いと言えば聞こえはいいが、逃げであることに違いはない。
 そのため、修は相手に誰か好きになった人がいたのだとすれば、最初からその人を好きになったという事実を消し去ってしまう。最初からなかったことにすれば、余計なことを考えずに済むからで、そんなことを繰り返していると、修にはずっと好きになった女性がいなかったことになってしまっていた。
 修は故意に忘れようと思うと、忘れることができる性格だった。それがどうしてなのかということに気づいたのは、小学生の頃にいつもそばにいた女の子に再会した頃のことだった。
 彼女の名前は直美と言った。
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次