なんとなく歪んだ未来
確かに人に無理強いをすることはないが、それは、自分が言っても説得力に欠けると思っているからだ。そもそも自分の性格が人と関わりたくないという思いが根本にあるので、理解できない人にまで分かってもらおうとは思っていない。むしろ無理に分からせたとしても、どこかで歪んだ発想になってしまうと、何かの判断を行う時、同じ考えだと思っている相手に、
「何だよ。お前なら賛成してくれると思ったのにな」
と言われるのがオチだ。
お互いに仲間意識を持ってしまうと、その一言が気持ちが離れる前の前兆になっているとすれば、岡崎にとっては、辛いだけでしかない。
――結局、人と関わってはいけないんだ――
という思いを裏付ける結果にしかならないだけだからだ。
岡崎は、彼女の母親に会ってみたくなった。
「君のお母さんに会ってみたい気がするな」
というと、彼女は少し寂しそうな顔になった。
「お母さん、去年交通事故で亡くなっちゃったの」
というではないか。
――なんてことを言ってしまったんだ――
と思った岡崎は何と言っていいのか分からずに言葉を失っていると、
「いいのよ。岡崎さん。無理に何かを言おうとしなくても、言葉が出てこないのが岡崎さんなの。下手に何かを言わないといけないと思うと、しょせんありきたりのことしか言葉としては出てこない。そんな言葉、期待している人なんて誰もいないんじゃないかしら?」
岡崎は、ハッとした。
――なるほど、何も言わない方がいいのか――
と思うと、自分が彼女の立場になった時のことを考えてみた。
――余計なことは言われたくないだろうな――
と感じた。
岡崎は、彼女と話をするようになってから、
――自分が相手の立場になって考えることができる人間だんだ――
と感じた。
本当はもっと前から感じていたはずなのに、自分の中で否定しているところがあった。なぜ否定しているのか分からなかったが、岡崎の性格の中で、自分の感情や感覚を、自分自身で否定していることが多いことを悟った。そのことを教えてくれたことで、さらに彼女のことを好きになったのだが、岡崎が彼女のことを好きになった一番のピークがその時だったのだ。
岡崎は、彼女のことが好きだった。彼女も岡崎のことが好きだったはずだ。それなのに別れは突然訪れた。
いや、正確には付き合っていなかったのだから、別れが訪れたというのもおかしな話である。岡崎が彼女のことを好きだと感じるようになった時、お互いに急にぎこちなくなった。そのうちに、
「二人だけで会うのはやめにしましょう」
と彼女から言われた。
いきなりのことだったのでビックリしたが、心のどこかで何となく分かっていたような気がした。その証拠に、
「ホッとした気がする」
と、答えてしまった。
それに対して彼女は何もリアクションを起こさなかったが、どう思ったのだろう?
――負け惜しみに聞こえたのだろうか? それとも、付き合ってもいないのに、付き合っていると勘違いしていなんじゃないかって相手に思われていたと感じたからなのだろうか?
というどちらかではないかと思った。
岡崎としては、そのどちらも半々くらいの思いだった。
正直、負け惜しみだと言われても言い返すことはできない。もし、反論して、言い合いになってしまっては、勝ち目がないことが分かっていたからだ。彼女が何も言わなかったことは却って、
――助かった――
と感じたのだ。
ただ、助かったと思ったのは彼女の方も同じだった。岡崎にいろいろ言われ、未練がましいことを言われてしまうと、何と言っていいのか分からないと思っていたからだ。だが、彼女の中で、
――今の岡崎さんなら、何も言い返してはこないわ――
と思っていたのも事実で、もし、これ以上付き合いが深くなり、ぎこちなさが増してしまっていると、男性の中の妄想がどんどんエスカレートしてしまうだろうと思ったのだった。
岡崎は、そこまで妄想する男性ではなかったが、岡崎と違って彼女の方は結構妄想する方だったので、どうしても自分の立場からの発想になると、妄想が激しくなることを嫌ったのである。
――妄想なんてするものではないわ――
と、彼女はその時本気で感じていた。
岡崎も、彼女の妄想癖は分かっていたが、何を考えているか分からないところがあることでそのことに気が付いた。しかし、別れの際にそのことを気にしていたなど、思ってもいなかった。岡崎というのは、そういう男だったのだ。
パラドックス
愛梨は、しばらく岡崎と遭うことがなかった。
自分から言い出したにも関わらず、どうしてこんな気持ちになるのか分からなかった。
愛梨は一人で暮らしているわけではないのに、寂しさが募ってくる。そのことを一番分かっているのは同居人だった。
「ごめんなさい。でも、今はこうするしかないの。もう少しの我慢だから、お願いね」
と、同居人はそう言って、ベッドで横たわっている愛梨の背中をさすっていた。
「ありがとう。大丈夫よ。これは私だけのことではないというのは重々承知していることだからね。私よりもあなたのほうが切実なのかも知れないわね」
そう言って、俯いたまま顔を上げることをしない愛梨は、そこまで言うと、次第に悲しいと思っていた感情が薄れていくのを感じた。
「ねえ、私は本当だったら死んでいたの?」
愛梨は気持ちが落ち着いてくると、自分に話しかけてきた相手に返事をした。
「ええ、それは本当のことなの。でも、それまでに子供を宿していて、女の赤ちゃんを産むことになるのよ」
愛梨の部屋は薄暗く、電気をつけていないため、表からの明かりのせいで、二人はシルエットに浮かび上がっている。
「そうなのね。それがあなた……。つかさだということなのね?」
「ええ、そうなの。だから私はお母さんの顔を知らずにここまで生きてきたんだけど、まさかこんな形でお母さんに遭うことになるなんて思ってもいなかったわ」
「あなたが住んでいる未来には、私たちが想像もできないような世界が広がっているのかも知れないわね」
と愛梨がいうと、
「そんなことはないわ。過去に戻った私には、そんなに変わりなく思うもの。でもお母さんにとっては、まるで昨日のこと。早くお父さんを探してあげないといけないわね」
つかさの表現には少し不可解なところがあったが、二人にしか分からない事情なので、二人にとって何ら問題はない。
「お母さんは、本当に覚えていないの?」
「ええ、どうやら、私の記憶はどこかで飛んでしまったような気がするの。あなたから私のことを聞かされても、何も思い出せないの。これは何かの力が働いているからなのかしら?」
「そうかも知れないわ。でも、お母さんと私は、もう戻れないところまできているの。もっともそのレールを敷いたのはお父さんなんだけどね。だから、お父さんを探さなければいけないの。お母さんには申し訳ないと思うんだけど、岡崎さんとは、しばらく遭えないと思ってもらわなければいけないわ」
とつかさはそう言いながら、
――二度と会えないようにだけはしたくないわ。この私が何とかこの場を納めないといけない――
と考えていた。
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次