なんとなく歪んだ未来
自分の感覚ではないと思うと気が楽になるはずなのに、それが相手の影響を受けているということで、自分では認めたくない。いわゆる自分の感覚の中での矛盾が作られることになったのである。
そんな岡崎は、人を好きになるという感覚は、人を羨む気持ちからしか生まれないものだと思っていた。しかし、大学に入って友達ができるようになると、そんな思いが次第に変わってくるのを感じた。
それは、
「人を羨む気持ちからでは、一目惚れなどというのは、存在しない」
と思っていたからである。
つまり、一目惚れをしたという話を聞いても、その人は本当にその人を好きになったわけではなく、好きになったと勘違いをしているか、その気持ちを自分に納得させるため、好きになったのだと自分に言い聞かせているに違いないと思っていた。
しかし、岡崎は一目惚れをする女性に出会ってしまった。
その女性は、岡崎にはとても優しく、痒いところに手が届くような女性であることに気が付いた。
今までに優しそうにしてくれる人もいるにはいたが、そんな女性のほとんどは、彼氏のいる人だったのだ。
「何だよ。自分に彼氏がいるという余裕から、彼女のいない男性に対して優しくしているだけではないか」
と思うと、見せかけだけの優しさの裏には、余裕という名の、上から目線が潜んでいることを感じた。
岡崎は、騙された感を拭うことはできなかったが、恨むことはできなかった。なぜなら、もし自分が同じ立場なら、余裕を見せることで、まわりに優位性を保とうと図るに違いないと思ったからだ。
それに、人を羨むことで苛立ちを覚えてしまったことが、自分の中に女性を好きになるきっかけを与えられたことに憤りを感じているのに、いまさら優しくされた裏に潜む余裕に対して羨ましく思うなど、愚の骨頂だと思ったのだ。
だが、その女性は違った。
岡崎に対してだけ優しさを見せていた。ただその優しさは彼氏がいる上から目線の女性たちのあからさまな優しさなどではない。岡崎の感じた優しさは、
――他の人には見せないその人の本性のようなものを自分だけに見せてくるつところだ――
と感じたことだった。
それを優しさという言葉で表現するのは少し違っているのかも知れない。しかし、岡崎にはそれを優しさ以外の言葉で表現することはできなかった。その人には彼氏がいるわけではない。まわりから見ても目立つタイプではないし、パッと見で、一目惚れしてしまうようなタイプではなかった。
むしろ自分以外の男性に対してはドライであった。何かを聞かれても、いつもオドオドしていて、怯えのようなものが見え隠れしている。
――過去に何かあったのだろうか?
という意識が頭をもたげ、その思いがなければ、岡崎も気にするほどの相手ではなかっただろう。
岡崎が意識し始めたと同時くらいに、彼女の視線を感じるようになったのも、彼女に対して思い入れるようになった一因であった。正確には一目惚れというほど一瞬で恋に堕ちたわけではないが、彼女の視線を感じるようになった時、
――これって運命なのか?
と思ったのも事実。
その時は意識はしていなかったが、後から思えば好きになった瞬間がいつかと聞かれると、
「運命を感じた時だ」
と答えるだろう。
そう、運命を感じたその時が好きになった瞬間であるならば、岡崎が一目惚れだと感じているのも無理もないことであった。
その女性は、他の人と明らかに違っていた。それを見た時、
――僕と同じように、他の人と同じでは嫌な人なんだろうな――
と感じた。
一目惚れに輪をかけたのがその時で、その時を一目惚れだと思わなかったのは、もしその時が一目惚れだとすれば岡崎にとっては矛盾だった。
同類で傷をなめ合うようなマネはしたくはない。それなのに、彼女のことが気になってしまっていて、元に戻れなかったのは、好きになってしまっていた証拠ではないか。その時に好きになったとハッキリと分かった。だが、どの瞬間に好きになったのかというと、自分でも分からなかった。一目惚れという感覚を信じるのであれば、やはり過去に何かあったのではないかと思ったあの時だろう。
岡崎は彼女に直接聞いてみた。
「あなたは、過去に何か男性で嫌な思いをしたことがあったんですか?」
と聞くと、
「私、男性が怖いんです」
「というと?」
「母は、私が子供の頃から苦労をしているのを分かっているつもりだったんです。その母が私に対して、『男性の言葉には気を付けなさい』っていつも言っていたんですが、子供の私には、そんなことは分かりませんでした」
「それはそうでしょうね」
子供に分かるはずもない話をして、
――余計な不安を煽るようなことをする母親って、どんな母親何だろう?
と感じた。
しかし、考えてみれば、いくら何でも、それくらいのことは分かりそうなものだ。それでも話をし続けるというのは、何かの意図があるのではないかと思えた。
「もちろん、私は分からないので、きょとんとしていたんだけど、母はそれに対して何も言わないんです。『どうして分からないの?』って、言い聞かせているつもりだったら、それくらいのことは言うはずですよね?」
「ええ、そうでしょうね。いうだけで相手が理解していないのであれば、それほど中途半端なことはありませんからね」
「僕もそう思います」
「でも、今は母の言いたいことが少し分かってきたような気がするんです。何度も言われ続けると、嫌でも頭の片隅に置かれているでしょう? 後になって、そのことに関係するようなことが起これば、思い出すこともあるでしょう。その時にお母さんの顔が浮かんでくる。それを狙ったんじゃないかって思ったんです」
「そうでしょうね」
「それにね。言うだけ言って、私が理解していないのも百も承知。だからと言って、その時に無理に言い聞かせようとすると、相手が身構えてしまって、聞く耳を持たなくなってしまっては元も子もないでしょう? 相手に言い聞かせるには無理を通すわけではなく、何度も同じことを言い聞かせるのが一番だということを母は分かっていたんでしょうね」
――なるほどーー
と岡崎は思った。
自分に対して母親が何かを言い聞かせようとしているのに、分かっていないかも知れないことを、無理に押し付けようとはしない。人によっては考えてしまう人もいるだろうし、考え込まなくても、頭の片隅に置いておけば、後で思い出すことで、その人の役に立つことになるだろう。それを狙ったのだとすれば、彼女の母親はなかなかの心理に対しての手練れだと言えるのではないだろうか。
彼女はそこまで言うと、ニコリと笑った。
「私のお母さん、どこか岡崎さんに似ているところがあるような気がするんです。岡崎さんも人に何かを言う時、言い聞かせようとはしても、無理に説得しようとはしないのではないかと思ってね」
「確かにそうかも知れないね」
中途半端にしか答えなかったが、岡崎は頭の中でいろいろと考えていた。
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次