なんとなく歪んだ未来
大体、父が帰ってきても、母との会話があるわけではない。父が帰ってきた時のことは、岡崎は自分の部屋に引きこもっていたので、分かるはずはない。それなのに想像できるというのは、想像力が豊かなのだと思っていた。冷静にその状況を自分が判断できるからだとは思っていなかった。
「岡崎君は、判断力には長けたものがあると先生は思うよ」
と、中学時代に担任の先生に言われたことがあったが、その言葉の意味が分かっていなかった。
――何を言っているんだ?
という程度にしか思っていなかったくらいで、素直にその言葉を信じることはできなかった。
それだけ、大人の言葉を真っ向から信じてはいけないと思っていたからで、その原因を作ったのは両親だと思うと、不思議な気がしていた。
岡崎が小学生の五年生の頃、両親は離婚した。
その原因は、父親の不倫が原因だった。父親が家に帰ってこなかったのも、母親がイライラし始めたのもすべてそのせいで、父の不倫に気づきながら、追及することができない母親は、その苛立ちを誰にぶつけていいのか迷っているうちに、自分では意識することなく苛立っていたのだ。
だから、母親には、どうして岡崎が引きこもってしまったのか、その理由が分からない。その思いも、父親への苛立ちと一緒になって、苛立ちに拍車をかけたのだ。
完全に家族の歯車は狂ってしまった。
両親を見ていて、
――結局、大人は自分のことしか考えていないんだ――
と思うようになった。
母親はある日、意を決したかのように父親を糾弾した。父親は、バレていることを知らなかったのか、少し戸惑いを感じてしまい、最初は臆していたようだが、そのうちに開き直って、反論し始めた。
開き直りの反論など、理屈に適っているわけもない。そんなわけで二人の喧嘩はまるで子供の喧嘩のように、泥仕合を演じることになっていた。
聞いていて、それまで抱いていた父親へのイメージは一気にトーンダウンしてしまい、
――大人なんて信じられない――
と思うようになり、子供がそばにいるのに、そんなことはおかまいなし、ただ、喧嘩の端々で、
「子供のために」
という言葉が発せられたのを聞いて、
――僕を喧嘩の出しに使うのはやめてくれー―
と言いたかった。
それを聞くと、やはり、大人は自分のことだけしか考えていないという結論に達し、誰の言うことも信用できなくなっていた。当たり前のことを当たり前にしか言わないロボットは、両親だったのだ。
岡崎は、それまで、
――孤独は寂しいということであり、寂しいということを、孤独だというのだ――
と思っていた。
しかし、孤独と寂しさが本当は別物だと思うようになると、
――孤独であっても、寂しくなんかない――
と感じるようになった。
「寂しいなんて思わない」
これが、これから自分が感じている感情なのだと思うようになった。そして、その思いが、自分が大人、つまりは両親に感じた、
――当たり前のことを当たり前にしか言わないロボットだ――
と感じていることと同じなのだった。
――自分は、人の影響を受けない、ウケたくない――
と思うようになった。
ただ、思春期になると、身体がムズムズしてくる。それがどこからくる感情なのか分からなかった。
学校に行くと、普段から軽蔑したくなるような連中に、女の子が寄り添っているように見える。
それまでであれば、
――軽蔑している連中が、傷の舐めあいをしているだけではないか――
と感じたのだろうが、その時に感じた女の子の目線に、ドキッとしてしまっている自分がいた。
――羨ましい? そんなバカな――
どうして羨ましいと感じたのか自分でも分からない。
今までの感覚であれば、羨ましいなどという感覚が浮かんでくるはずもなかった。それなのに最初に羨ましいと感じたことで、どうしてそんな思いを抱いたのか、不思議でならなかった。
――羨ましいと思うのは、自分の心があさましいからだ――
と感じていた。
しかし、あさましいというのは、どういうことなのだろう? あさましいというのは、自分の立場で求めてはいけないものを、求めようとしている行為をまわりから見た時に感じるもので、本人が感じることではないと思っていた。だから、自分に対してあさましいという感情が浮かぶなどないと思っていたのだ。
岡崎は離婚した両親の話し合いで、母親方で育てられることになった。父と離婚した母は、それまでの鬱憤が吹っ切れたように、イライラはなくなっていたが、生活面での後ろ盾を失ったことで、マジでの生活を考えなければいけなくなったことで、子供に構っている場合ではなくなっていた。
岡崎も、それは仕方のないことだと割り切っていた。イライラして、自分の居場所がなくなるほどの息苦しさがない分、かなりマシだと思ったからである。
結局、母との二人暮らしになっても、岡崎は相変わらず自分の部屋に引きこもっていた。それが一番安心するからであり、今さら表に出てくる気にもならなかったからだ。
そんな岡崎は、中学に入り、思春期を迎えた。
どこか、毎日が違っているようには感じていた。
――昨日と今日とでは、同じ一日でもどこかが違う。今日と昨日が違うのだから、明日はもっと違っているはずだ――
と感じるようになった。
ただ、それが思春期を迎えたからだということには気づかなかった。思春期という言葉は知っていたが、自分にも他の人と同じように訪れるとは思っていなかった。
――僕は他の連中とは違うんだ――
という思いは親が離婚した時に決定的なものになり、その頃から、
――他の人皆に訪れることが自分に訪れてたまるものか――
と思うようになっていた。
それは、逆に言えば、
――大人になんかなりたくない――
という思いを反映していた。
人と同じでは嫌だと思うことが大人になりたくないと思うと感じると、
――大人になりたくないから、人と同じでは嫌だと思うのか、人と同じでは嫌だと思うから大人になんかなりたくないと思うのか――
まるで、卵とニワトリの、どちらが先かというたとえ話と同じように思えるが、それでもどこかが違っている。
岡崎は、自分がどこに向かっているのか分からなかった。
それを最初に感じたのが、クラスで自分が嫌っている連中に群がっている女性のその視線を見て、
――羨ましい――
と感じたことだ。
――僕は一体どうしたというんだ?
という思いを感じると、それまでの孤独を寂しいと思わない感覚が、錯覚ではないのかと思うようになった。
岡崎の思春期は、そんな思いが支配した時代だった。
――僕は女性を好きになったりなんかしない。人から影響を受けたくないんだ――
と思っていたのに、好きになる人が出てきた時には、本当に自分がどうしてしまったのか分からなくなってしまった。
その思いがハッキリしたのは、自分の気になっている人が、岡崎を意識しているように感じた時だった。
――僕は誰の影響も受けない――
と思えば思うほど、自分への意識を感じる。
いや、感じさせられるのだ。
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次