なんとなく歪んだ未来
どこか欺瞞のようにも感じたが、自分の中で分かっていることだけを口にするのは欺瞞でも何でもない。相手がどう感じるかということだけで、それを口にした本人に強要して責任を押し付けてしまうのは無理のあることだった。
「私ね。カラスが見えないのよ。人が死ぬことが分かっているのだから、カラスの存在は分かっているの。どこにいるのかというこさえ分かれば、私は救われる気がしているんだけど、ずっと分からないでいたのね」
「それで?」
「いい加減、考えるのも疲れてきたので、考えるのを止めようと思ったその時、カラスを感じることができたの。でも、その実態を見ることはできない。自分のすぐそばにいるのは分かっても、それがどこなのか分からないということほどもどかしいことはないのだと感じたわ」
「それは分かるような気がする」
修も、自分が何かを思い出しそうになっている時、必死に思い出そうとすればするほど思い出せない。すぐ目の前にあるはずなのに、それが分からないというもどかしさが、どれほど自分の神経を消耗させるかということも分かった。
しかし、その時修は感じた。
――そうか、一番近くにあって、気配を感じることはできるのに、見ることはできない。それは自分なんじゃないか――
と感じた。
自分の中に、今こうやって考えている自分とは違う自分がいるということを感じることができると、精神的な消耗は一気に解消される。しかも、分からなかったことが一気に分かってくるような気がして、それまでの自分の人生とは違う人生が開けた気がしてきた。
それが人生の一つの分岐点である。
人にはいくつもの人生の分岐点があると言われているが、その分岐点がいつどうやってやってくるのか分からない。それなのに、
「これが人生の分岐点なんだ」
と分かることができるのは、分岐点を通り超えて、結果が見えてからではないか。それでは遅い場合が多い。しかし、それでも分岐点には変わりはない。その分岐点がよかったのか悪かったのかは、自分の意思の中で決められることではなかったのである。
修は、人生の分岐点を感じたことは何度かあった。おばあちゃんの死の時もそうだったし、直美を意識していた小学生の頃、直美と疎遠になった時、そして直美との再会もそうだった。ただ、直美との決裂が分岐点だったのかどうか、今でも分からない。
――分岐点というのがそんなにたくさん存在してもいいのだろうか?
修はそんなことを考えていたが、逆にそれ以外の人生は、まったく持って、面白くも何もないものだった。
一口で言えば、
「刺激のない人生」
今の修はそれでもいいと思っているが、直美と決裂し、愛梨と心を一つにするまでは、「刺激のない人生がいいとは思わない」
と感じていた。
ただ、愛梨と一緒にいると、どこか刺激がなくても、別に構わない気持ちになってきた。刺激を感じることが良くも悪くも時間の感覚を歪めてしまうということに気づいたからだ。
「同じ日を繰り返してみたい」
と思ったのもその頃で、
「もし、抜けられなくなったらどうしよう」
と今であれば容易に感じることをまったく考えなかった自分が恐ろしい。
同じ日を繰り返すということは、やり直したいことがあるということであり、知っている一日なのだから、やり直したい場面に立ち返れば、きっと自分が後悔することなくやり直せると単純に考えてのことだった。
しかし、そのために、一度回ってしまった歯車を別の形で嵌めなおすことになる。開けているのは、本当は進むはずだった道とは違う道になっている。つまりは、二十四時間前に想像していた未来と、変えてしまった未来だけが変わっているというわけではないということだ。自分だけの都合で過去を変えてしまうと、未来はどういう形になるか分からない。そんなタイムパラドックスを、刺激という言葉だけを追い求めてしまうと、考えられなくなってしまうかも知れない自分に気づいていなかったのだ。
そんな時、愛梨から自分の人生が短いと聞かされた。ショッキングなことだったが、どこか他人事のように感覚をマヒさせて聞いている自分がいることに気が付いた。
その時の愛梨の言葉が、自分の将来の発想に繋がっていることに後になって気が付いた。それだけその時は他人事のように聞いていたのだろう。
「あの時、すぐそばにいて気づかなかったのは、そのカラスというのが、この私自身だったのだということなの。だから、私は自分自身が『死神の使い』であるカラスだったということに気が付くと、自分の命が短いことを悟ったんだって分かったの」
「それは飛躍しすぎなのでは?」
「確かにそうかも知れない。でも、私は自分自身がカラスだったと気づいた時、本当に自分の死を意識したの。その前にあなたに自分が長くないと言った言葉にウソはなかったはずなのに、どうして自分が長く生きられないと思ったのか分からない。でも、死を意識したのは、カラスのせいなの。じゃあ、他に長く生きられないという意識を持たせるために、何かを感じていたんじゃないかって思うと、また考え込んでしまったのね」
「何か、死神の化身のようなものが取りついていたということなんだろうか?」
修は、他人事としてしか考えられない自分に憤りを感じながら、愛梨と一緒に考えている時は、冷静になって考えていた。
「私は、このまま死んでしまいたいとは思わない。ミイラになって肉体を保存してほしいと思うようになったの」
「今の科学でどこまで保存できるのか分からないけど、現実的に一個人で簡単にできることではないよね」
「そうね。でも、私は今不思議なことを考えてるの。私の考えているこの頭は、元々私のものではなかったんじゃないかってね。ずっと過去の記憶が次第によみがえってくるような気がしているの。それを感じたから、長く生きられないんじゃないかって思ったのかも知れないわね」
修は自分がミイラに興味を持っていることを、愛梨が気づいているのではないかと思えてきた。そう思うと、今度は愛梨と知り合ったのも、ただの偶然ではなく、会うべくして出会った相手なのではないかと思うようになっていたのだ。
「でも、愛梨が自分をカラスの化身のように思うというのは、何となく分かる気もするんだ」
「どういうことなんですか?」
「僕も、時々自分が『人間ではなかったら、何だったんだろう?』って思うことがあるんだ。そんな時、自分は本当に人間嫌いなんだって感じるんだけど、愛梨にはそんな気持ちになったことあるかい?」
愛梨は少し考えたが、
「ええ、あるわよ。今はそこまではないんだけど、子供の頃は特にそう思っていたわ。自分が何の生まれ変わりなのか、そして、自分が死んだら、何に生まれ変わるのかってよく考えたりしていたわ」
「子供の頃にそんなことを考えていたのかい?」
「ええ、自分の前世は人間ではなかったんだって思ったものよ。だから、死んだら人間以外になるんだって真剣に思っていたわ」
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次