短編集9(過去作品)
秋が少し深まりつつあるこの時期はさすがに夕方になると涼しく、ちょうどレストランに入る頃に夕日を見ることができる。もちろん、ここに来るのは初めてだった私だが、デートを真剣に計画し始めてから、ここを探し当てるまでに、それほどの時間を費やすこともなかった。
予約を入れていたので、エレベーターから出るとすぐに寄ってきたボーイにそのことを告げると、
「お待ちしておりました」
と一言言うと、黙ってリザーブと書かれたプレートの席に二人を導いてくれた。
まわりをキョロキョロ見ている彼女は、どうやらこういうところは初めてのようだ。
「まあ、素敵。ねえ、ごらんになって、素敵な夕日だわ」
席に座るなり、みゆきは感動していた。私が頭で描いていたシチュエーションそのままで、それが却ってまるで夢を見ているかのような錯覚を呼んだ。
「喜んでくれたかな?」
「ええ、最高ですわ」
今日の私にとってのメインディッシュへの効果は抜群で、さぞかし彼女の私を見る目が変わることを、自分勝手ではあるが確信していた。
夕日が水平線に隠れてしまい、夜の帳が下りてくると、漆黒の闇とともにその中から浮かび上がるネオンが綺麗であった。
これも見事な演出効果を呼び、食事をしながら夜景を楽しむには最高である。
下心がないと言えば嘘になる。
今まで女性経験がまったくないわけではないが、自分が計画したデートからのシチュエーションという中では、少なくともなかった。
学生時代にも自分が計画したデートというのは何度かあった。もちろん下心がないわけではない。しかしそこまでは行かなかった。どちらかというと子供っぽい娘が好きだったのだが、なぜか付き合う女性は冷静沈着で、大人を感じさせる人が多かった。
要するに雰囲気なのだ。
学生時代も別に臆していたわけではないのだが、雰囲気が出来上がらずに、どちらからともなくぎこちなくなってしまった。一旦ぎこちなさが残ると、そこから雰囲気を作るなど不可能で、二度とそんな雰囲気が起こらなかった。
それもこれもタイミングなのだろう。
お互いにタイミングを見計らって、それこそ相手の呼吸や心拍まで感じとろうとすることでタイミングを計ろうとする。しかし私はそれがどうも苦手だった。いつもその場しのぎの行き当たりバッタリで行動してきた私に、今さら相手のタイミングを計るなど土台無理なことだったのかも知れない。
しかもそういった駆け引きのような付き合い方にある程度の嫌悪を感じている私だったので、そのことを相手が悟った瞬間から、私に対しての気持ちも冷めていったに違いないのだ。
最初は私も分からなかった。付き合っている頃は、
「どうしてなんだろう?」
と自問自答を繰り返した時期があった。しかし分かってしまうとそれが自分の性格だと割り切り、そのうち私と性格面でも理解し合える人が現れると信じて疑わなかった。
ではみゆきはどうなんだろう?
会社で毎日合わせている顔と、一日一緒にデートした顔とではまったく違った印象を私に与えた。彼女の性格はある程度把握しているつもりだったが、違った面を発見することによって、さらなる感情が私の中に芽生えた。それはより一層彼女のことを知りたくなる想いを私に与えるものだった。
――彼女のすべてを知りたいー―
今まで感じてきた想いにさらに拍車が掛かったのである。
私が想像した以上の感情をみゆきはその日に表わしてきた。
腕を組んで歩くくらいは当然のこととし、見つめる目は潤んでいる。もはや私が誘いかけても断る術はなさそうだった。
果たして雰囲気は出来上がっていた。夜の帳が下り、ネオンサインが包む街を歩いていると、少しほろ酔い加減の彼女はビッタリと私に寄り添ってくる。海の見えるところの公園にあるベンチに腰を下ろし、軽く抱いていた腰に掛かった手に力が入ると、彼女は目を瞑ってこちらを見ている。
まわりはすでにアベックでいっぱいだった。ポツンポツンと点在する街灯に薄っすらと浮かび上がった光景は、秋の虫が聞こえてくる涼しさのある中で、ムンムンとした感じを私に与えた。それに影響されてか、私の気分は最高潮に達し、胸の鼓動を相手が確認できるほどであることを確信している。もちろん彼女の胸の鼓動も同じことで、それゆえ別に隠そうという気もなかった。
まるで麻酔に掛かったかのようで、ここから先は自分の意識の元ではなく、もし働いたとしても潜在意識の成せる業に違いない。展開は頭の中で想像することはできても、実際に行動するのは私の意識ではないであろう。
熱い唇をどちらからともなく合わせていたが、ほろ酔いも手伝ってか、想像していたより熱い感じがした。しかしそれは一瞬感じたことで、そこから先、感触は感じることができても、熱さを感じることはなかった。気がつけばお互い相手の唇を激しく求めていたからである。
「おや?」
一瞬、頭の中に不安のようなものがよぎった。
それがどこから来るものか分からなかった。
だいぶ経ってから気付いたことであったが、腰を抱いていた腕が彼女の背中に回ったその時、私は彼女の微妙な震えのようなものを感じたのだ。それがそれまでに感じた不安の元凶であると気付いたのは、さらにそれからしばらく経ってからのことであった。
――今日の彼女は少し変だな――
しかし、なるべくそのことを感じさせないようにしようとする彼女の健気な態度のためか、私もそのことに触れてはならないでおこうと感じた。だが、そう感じれば感じるほどいとおしくなるもので、抱いている腕に一層の力が入り、自分に手繰り寄せる。その都度胸の張りや、耳元での息遣いを感じずにはおられず、私の男としての感情に拍車が掛かるのは必至だった。
「あの」
「え? 何だい?」
震えていた彼女の身体が、ビタッと止まった。その目はカッと見開いた状態で私を見つめている。
「ごめんなさい」
そう言って私の胸に顔を埋めて謝った。
またしても少し震えを感じたが、しばらくして顔を上げる頃には、震えは消えていた。
気になってはいるが、彼女が自分の口から説明するまで待つことにした。言い出すまでの時間と勇気が必要なら、それを与えてあげようと思ったのだ。
「どうしたんだい?」
私が口を開いた時、それは彼女が私の胸から顔を上げ、しっかりとした視線で私を見つめているのを感じたからだ。
「ごめんなさい、大丈夫です。本当に今日、私を誘ってくれてありがとうございます」
「いいんだ。僕も君だから誘ったんだよ」
「ええ、分かってます。でも私まだ心の整理がついてないんです」
「それは今までに誰かと付き合っていて別れた後だということで?」
「付き合っていたとまでは言いません。少し気になる人がいたというだけなんですが、でもいいんです、それが私の誤解だと分かったから……」
誤解?
それはどういう意味での誤解であろうか? 付き合っていたということへの誤解なのか? 男を好きだったということへの自分自身の誤解なのか? どうやら彼女自身分からないようである。
「じゃあ、僕が君を好きになっても問題ないんだね?」
「ええ、あなたから今日お誘い受けて、私は本当に喜んでますのよ」
そう言うとみゆきは微笑んだ。
作品名:短編集9(過去作品) 作家名:森本晃次