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短編集9(過去作品)

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 私にとってそれは間違いなくいいことだ。しかしあまりにもいつもそばにいてくれるので、それが当たり前となり、いないことなど考えられなかった。聞こえは悪いが、まるで道端に落ちている「石ころ」のような存在だったのかも知れない。
 みゆきと知り合い、初めて女性というものを知った私は、しばし逸子のことを忘れかけていた。舞い上がっていたとしか言いようがない。
 だが付き合い始めてからのみゆきに少しずつ変化が現れてきた。今まで黙ってそばにいた逸子とは違い、みゆきは実に感情的な女性であった。
 猜疑心が強く、何かと言えば私の行動に口を出すようになった。
 私が男同士で呑みに行くといっても信じられないのか、あれこれ聞いてくるようになったのだ。学生としての私と、高校を卒業して遊びをほとんど知らず就職したみゆきとでは、感覚が違って当然である。二人きりになった時、泣いて私に訴える姿も最初は可愛かったのだが、それもわざとらしさを感じると鼻についてくるのも仕方がなかった。
 どちらかというと詮索されることがそれほど気にならず、却って気にしてくれていることが嬉しかった私だが、それも逸子との自然な付き合い方と違い、新鮮だと思っていたからだ。
「ごちゃごちゃ言うな」
 この一言が決定的だったのかも知れない。
 それまで溜まっていた不満が一気に噴き出したのだろう。一触即発の状態だったと気が付いたのは、言った後すぐに「しまった」と思ったからだ。
 しかし、もう遅かった。
「何よ、これだけ心配しているのに。あなたには分からないの?」
 いったい何を心配してくれているのだろう。
 その日は確かに私も苛立っていた。タイミングが悪かったというべきか、朝からなぜかイライラしていたのだ。得てしてそんな日にはトラブルが起きやすいもので、ことに相手が人間となれば収拾は難しい。
 ヒステリックになられては、こちらが折れるしかない。そうなると理不尽な思いがストレスとなって残ってしまい、それが相手に対しての不信感を募らせてしまう。
 私の場合、相手に対して今まで根に持つことなどなかった。
 ストレスを溜めることなく、こんな相手とは話をしなければいいだけだと思うことで解決していたのだが、それがつい最近まで一番信じていたはずのみゆきだったことは私にとって不幸だったのかも知れない。
 しばし人間不信のようになり、そのうち自分すら信用できなくなる。
 そうなってくると嫌な予感が頭をかすめ、それがすぐに的中してしまうといういつもの最悪のパターンである。
 友達といても口数が少なくなり、私が鬱状態に陥ったことを悟った者はもちろん、私に話しかけてくるはずもない。話しかけられれば嫌な顔することもなく答えるだろうが、ぎこちなさを拭うことはできず、会話などできようはずもない。
 鬱状態に陥った時の私は私ではない。
 確かに陥る前と立ち直る前には前兆のようなものがあって、自分で分かるのだが、泥沼に入ってしまった時は、どうやら自分ではないようだ。
 鬱状態の時ほどいろいろなことを考える。悪い方に悪い方にと発想が流れていき、会話で気まずくなると売り言葉に買い言葉、喧嘩腰になってしまうことすらある。
――誰か止めてくれ――
 鬱状態の自分を客観的に見ている自分が心の中で誰かに助けを求めている。まったく隠れていて、誰にも気付かれない場所にいる自分は、まったく表に出てくることはない。それでいて、相手やまわりの冷静な目をまともに受けるのは隠れている私なのだ。自分の知っている景色でありながら、見えている色が違う。微妙だが、淀んで見える世の中は紛れもなく私の住んでいる世界なのだ。
 悪循環はどうにもならない。ヒステリーと鬱状態では「交わることのない平行線」である。いや、それだけならいいのだが「水に油」のようにお互いが反発しあっていてどうしようもなくなってしまうのだ。
 そんな状態の自分たちにもはや相手のことを考える余裕などあるはずがない。あの日もいつものように喧嘩になった。どちらが先に切れたかなど覚えているはずもなく、ただ自分が最後に覚えている言葉までが正常に話せたことを裏付けている。
 今考えてもその日が特別だったような気がして仕方がない。待ち合わせの時間に遅れることの嫌いな私はいつも相手より少しでも早く行こうと考えるのだが、急な用事でどうしても間に合いそうにもなかった。実際遅れることは目に見えていても、いつもなら相手のことを考えて気が気ではないはずなのだが、その日に限っては、嘘みたいに落ち着いていた。
――まぁ、しょうがないか――
 溜息とともに大きな深呼吸をすると、気分が大きくなってくるのが分かった。元々「しょうがないや」で片付けられる性格ではないはずだった。気になることがあれば、それが些細なことでも自分の中で勝手に膨らんでいく。それが私という人間だと思っていたのも束の間、これほど気が大きくなるのは、みゆきに対しての気持ちが薄らいでいるからかも知れない。
 しかし、最後に会ったあの日は違っていた。
 私にも何らかの予感めいたものがあった。
 その日のみゆきは、やけに私に甘えていたのだ。今までヒステリックな後に急に甘えたような態度に出ることはあった。だが、それは自然な態度であり、それまでのヒステリックな態度を忘れさせてくれるものであった。
 私も根は単純で、甘えられたりするとすぐにそれまでのことを忘れてしまう。熱しやすく冷めやすいタイプだと言われるが、まさしくその通りだ。
 数日前だっただろうか、私の父親が亡くなった。会社社長をしていていずれは私が二代目だと言われていたが、まさかまだ学生の時に社長がいなくなるなど考えてもいなかったので、私も会社の者も戸惑っていた。
 何と言っても私には優しかった父である。社長、会社といった俗世間もことよりも、父を亡くした悲しみは今までの人生の中でもなかなかなかった辛さである。
 初めての肉親の葬儀に戸惑いを見せながら、ただうな垂れているだけの私とは別に、母は強かった。さすが社長夫人、取り締まり役の人たちを仕切りながら見事に立ち振る舞っていた。
 しかし、そんな母親が頼もしく見えたのは、実に短い間だけであった。
 専務と呼ばれる人と抱き合っているのを偶然見てしまったのである。父の死に続いて見てしまった母の醜態、目に焼きついて離れそうになく、夢に出てくるのを防ぎようがなかった。
 抱き合っている母の背中が笑っている。抱きしめながらこちらを見る専務の口元は嫌らしく歪み、まるで私に見せつけるかのようであった。それが夢であることはすぐに分かった。最初から夢に見るだろうという意識があってのことだろうか。私自身唇が震えてくるのを感じた。
 隙間がないほどに密着して怪しげに蠢いて見える二人だったが、急に女性がこちらを振り向いた。
 紛れもなく母親だと思ったその顔は、想像以上に若かった。明らかに母の特徴を持ったままの若返っているが、その顔に見覚えがあると感じるまでにしばらく時間がかかった。
「みゆき?」
 声にならなかったかも知れないが、叫んでしまった。女性は私の驚愕の表情に対し、怪しげに歪んだその顔は、まさしくみゆきに違いなかった。
作品名:短編集9(過去作品) 作家名:森本晃次