短編集9(過去作品)
――そういえば、みゆきが誰かに似ていると思ったのは、母だったのだ――
母親からの愛情をあまり受けた記憶のない私は、みゆきの顔に浮かんだ母親の雰囲気に気がつかなかったのだ。
――ひょっとしてコンプレックスがあるのでは?
これは小学生時代から思ってきたことである。授業参観などでどんなに綺麗な恰好をされても友達の母親に絶対にかなわないと思っていたくらいだ。
そんな母親のイメージを拭い去ってくれた女性、それがみゆきだったのだ。
私にとってのみゆきは今から思えば母親そのものだった。それだけに受身の愛情を求めてしまう。ヒステリックになったとしてもその後に甘えてくれたり、私に甘えさせてくれたりするみゆきと離れられないと感じたのも無理のないことだ。
――まさか、そんなみゆきから裏切られるなんて――
それも偶然だった。まるで母親の葬儀の時に見た光景を、まさかみゆきが私に見せてくれるなんて……。
その記憶を封印しようとして夢に見た。
みゆきは私が見ていたことを知らない。男も同じだった。怪しく蠢く二匹の獣、二度と見たくないと思っていたその姿、その時頭に浮かんだのが逸子である。
「助けてくれ」
唇を震わせながら、心で叫んだ。
そこまでは覚えている。私が助けを求めたい時に浮かぶ顔はいつも逸子の顔だった。そしてそんな時いつもいるのも逸子である。
――逸子には私が助けを求めているのが分かるのだろうか?
きっと分かるのだ。そして逸子が現れた時はいつも私から苦しみは消えている。
私は逸子がとてもいとおしかった。
こんなことは今までになかった。ただの幼なじみとして見ていただけで、唇を重ねた後もそれ以上を望まなかったし、彼女が少し距離を置くようになって寂しくなったのは事実だが、それほど苦しみがあったわけではない。
しかし今目の前に現れた逸子は今までにないほど綺麗に見えた。私にとって天使に見えたとのだ。
その日の逸子は積極的だったのか、私の欲望に満ちていたはずの気持ちが分かるはずなのに、さらに私に対して何かを求めるような目をしている。足がホテル街に向いても抵抗なく、ホテルの入り口を潜った時も自然だった。
「いいのかい?」
その言葉に頷いただけの逸子を連れて部屋に入ってから後は、すべてを逸子に任せきりとなった。こうなることは前から分かっていたかのようで、初めて入ったはずの部屋なのに、とても懐かしく感じるのはなぜなのだろう。しかもつい最近に味わったような気さえする。
「あれ?」
初めてのはずの逸子の身体に、私の全身に残った記憶が反応する。以前の記憶が目を覚まし、その時も任せきりだったような気がするのだ。
――やはり初めてではない――
そう感じて逸子の顔を見るが、上目遣いに見上げるその目は私の知っている逸子ではない。妖艶な雰囲気に酔っていた身体は今までにない興奮を覚える。
私のことを熟知していると思っていたのはやはり間違いではなかった。ベッドの上でもそれは生きていて、すべておまかせが二人の間での暗黙の了解だった。
熱くなった欲望が逸子の中で果てた時、私の分身が逸子の中で芽生えたような気になったのは意識が朦朧としているからかも知れない。
「あなたはもう、私のものよ」
逸子にそう言われて、思わず頷いた。しかしそれは意識してのことだったのかも知れない。私は逸子のものになったという意識は、部屋に入る前からあったような気がしてならない。
「あなたはもう何も心配しなくていいの」
一瞬みゆきの顔を思い出した。しかし逸子の目の前にある顔の印象が深いのか、みゆきの顔を思い出すことができない。頭の奥にあるはずのみゆきの顔が、もうすでに消えているような気がする。二度と思い出すことはないだろう。それを逸子の言葉が物語っているようだ。
それから数日が過ぎ、みゆきが遺体となって発見された。
場所は彼女の部屋で、私にも警察の人が事情を聞きに来たが、どうやら自殺として処理されたようで、形式的な話で終わった。
「自殺じゃないんですか? それなのにわざわざ私に事情を聞きに来るというのはどういうことですか?」
「確かにそうなんだけどね。状況もすべてが自殺を示しています。しかしね、どうやら彼女は懐妊していたらしく、少し気になったから友人関係をあたっています。まあ、あまり気にすることはないですよ。本人に懐妊の意識があったかどうか、それすら怪しいという医者の話ですからね」
そう言って本当に形式的な参考程度の話を聞いただけで刑事は帰っていった。
子を宿しての自殺に疑問を持ったのだろう。
――僕の子供?
確信に近いものがあったが、今さら分からない。
それにしてもみゆきが自殺など考えられない。
ただ、その日が逸子との一夜の日だったことは本当に偶然で片付けていいことなのだろうか?
きっと私はこれで本当に逸子のものになってしまったのだ……。
( 完 )
作品名:短編集9(過去作品) 作家名:森本晃次