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短編集9(過去作品)

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 それでも気の強い逸子が学校を一歩出て、そんなことを口にするわけもなく、どうにもたまらなくなった時だけ私に話しかけてくるようだった。そんな心境の変化を鈍感な私が最初は分かるはずもなく、今までどおり接しているつもりでも、どうしてもぎこちなくなったことは如何ともし難かった。
「最近、少し冷たくない?」
「そんなことないよ」
 逸子の方からの一方的な話題提供に合わせて相槌をうつだけの私に、一瞬逸子が痺れを切らせた。
 しかし私の冷静な返事にそこから話が続かなくなったのも事実で、変な雰囲気に二人ともしばらく身の置き所を失ったかのように固まってしまっていた。
「学校は大変なのか?」
 さすがにこれではまずいと思った私は苦し紛れにも近い状態で出した話題に、逸子の表情が急に崩れた。
 目頭を熱くし、みるみる真っ赤になっていくその目から零れる涙のわけを、私は知る由もなかった。さぞかし私も愕然となった表情で逸子を見つめていたことだろう。
「ええ、でもまさとがこうやって話を聞いてくれるから、それだけでいいわ」
 搾り出すようにそれだけを言った。
 まだ何か言いたげな逸子だったが、負けん気の強い性格と、頭の中で整理し切れていないためか、それ以上の言葉が出てこないようだった。
「うんうん、いいよ。無理して話さなくても」
 私のその言葉に、さらに逸子の目頭が熱くなっているようだった。
 その時のことは、はっきりと覚えている。
 お互い言葉が詰まった時の男女の行動がどんなものか、それまで想像もしたことがなかった。それだけに、そこからの私の取った行動は、無意識に近いものだったに違いない。もちろん逸子にもそれは分かっていたであろう。お互い以心伝心というやつなのかも知れない。
 逸子の、肩を抱いた腕に力が入る。
 小刻みに逸子の震えを感じる。今まで逸子の肩を抱いたことは何度もあるが、無意識の行動で、そこに震えなどまったく感じたことなどなかった。しかしその時にははっきりと感じ、自分の中から「いとおしい」という気持ちが湧き上がってくるのが分かった。きっと私の手も震えていたことだろう。もちろん、逸子にもそのことは分かっていたはずだ。
 今まで遠くなりかけたと思っていた逸子の存在が、急に身近なものに感じられた。しかも自分のものだとまで感じていることに気付くと、さらに腕に力が入ってくる。今まで漠然と感じていた暖かさが、熱さとなって私を感じさせてくれた。
 少しずつ紅潮し始めた顔から、息遣いを感じる。温かな息遣いはまるでイチゴのような甘い香りを感じ、気がつけば逸子が背伸びをしている。
「ごくっ」
 思わず飲んだ生唾に逸子は気がついたであろうか?
 腰を抱く手に力が入ると逸子の顔に自分の顔を近づけていく。肩まで伸びた髪が風に靡いて頬を擽るようだ。
――何と心地良い感覚なんだろう――
 女性に対する感情は、どうしても好奇心旺盛で多感な青春時代というと、まわりから教えられる歪んだ性知識に左右され、誇大妄想を抱きがちである。かくいう私もご多分に漏れずその一員であったが、逸子に対しての今の感情は、素直に自分に正直でいたいと思うだけだった。
「熱い」
 唇が触れた瞬間に感じたことだった。
――さぞや逸子は私の唇を冷たく感じているだろう――
 と思えるほどに彼女の唇は熱を持っている。
「おや?」
 先ほどの甘いイチゴのような香りとは打って変わって、合せた唇からはミカンのような柑橘系の香りを感じた。これは今まで本で読んだり、友人から聞かされていたファーストキッスの味そのままであった。
――こんなものなのか?
 夢のような時間を過ごしていると感じた反面、頭の中で戸惑っているのも事実である。もう少し違った感覚があると思っていたからに違いない。
 脣を放してからの逸子は、しばし呆然とした表情であった。貝のように閉じた唇からは荒くなった息遣い以外は、声を発する雰囲気を持っていない。
「ありがとう」
 重くなった雰囲気をぶち破るかのように、逸子の口から言葉が漏れた。
 しかし、それからの逸子の態度はまるで何もなかったかのようにはしゃいだ口調となり、いち早くいつもの逸子に戻っていたのだ。
――女性って分からないな――
 女性とはロマンチックを重んじると思っていた私は呆気に取られていた。逸子だけが特別なのかとも思ったが、照れ隠しも多分にあるのだろうとも思える。ただ、逸子の「ありがとう」という言葉だけが、やけに耳の奥に残っていた。
 その日、私がなかなか寝付かれなかったことは、後から考えてもはっきり思い出すことができる。その日の逸子はどうだったのだろう? もちろんそんなことを聞けるわけもなく、同じ想いであったことを願うだけである。
 しかし、それから数日は逸子の方から連絡をしてくることはなかった。
 たった数日であったが、それがどれだけ長いものであるか、今さらながらに思い出すことができる。短いようで長かったと本当に感じた時期でもある。
――忙しいのかな?
 それは半分当たっていたが、次に会った時の逸子には、私に対する愛情などかけらも感じなかった。
――あれは何だったんだろう?
 聞きたくてウズウズする中、聞けるはずのないことであった。
「逸子、君にとっての僕は、何だったんだい?」
 喉の奥から出掛かりながら、何度もつっかえた言葉である。
 いつまでもイジイジ考えているのは男だけ……。意外と女性の方があっさりしていて、その時々を真剣に過ごしてさえいれば、ただの通過点としての思い出が残ればいいだけなのかも知れない。私が女性というものに対して考え方が変わったとすれば、その時だったのだろう。
 高校を卒業するまで逸子だけを見つめていた私だったが、辛かった受験生時代を何とか一年で終え、現役で大学に入学できたことは、ある意味幸運だった。まわりが予備校に通う中、大学生として一歩抜け出したような優越感は、正直気持ちのいいものだ。
 逸子を忘れたわけではないが、忘れさせられそうな誘惑がキャンパス生活にはあった。生活そのものもそうだが、新しくできた友達の影響はかなりなもので、真面目一本槍だった私にはまともに眩しく見える。
 もっとも逸子は最初から進学など頭になく、就職を考えていたようだ。高校に入学する頃は進学を考えていたであろうに、卒業する頃には二人の立場は逆転していたのだった。
「私、大学には行かない」
 そう言って初めて私に相談してくれた時の逸子はいかにも寂しそうだった。それもそうだろう。あれだけがんばって勉強していたのに急に進学をあきらめるなど、私には理解できなかった。
 しかし逸子の表情から私への相談は最終手段であったことが伺える。私に対し口にした時点で、腹の底は決まっていたに違いない。
 もし私から反対されたらどうするつもりだったのだろう。私なら反対しないだろうというもくろみがあったに違いないが、しっかり私の性格を見透かされているようで、憎らしくもあった。
――ひょっとして反対してほしかったのかも?
 そう思ったのは、就職してからすぐに逸子が失恋したと聞かされたからだ。
作品名:短編集9(過去作品) 作家名:森本晃次