短編集9(過去作品)
二人の女
二人の女
「まさと、あなたは今幸せなのね。それはよかったわ」
「幸せ? そうかも知れない。でも、最近は不安がないこともないんだ」
昼下がりの喫茶店、まわりからは主婦と思しき女性たちの笑い声が聞こえ、差し込んでくる日差しにポカポカとした暖かさを感じていた。逸子にとっても私にとっても至福の時と心得ているせいか、会話があまりぎこちなくなることもない。
朝夕はそれこそ暖房がないと辛く、顔を洗うにもお湯を使わなければならないくらいだが、陽が高くなり始める頃には、差し込んでくる日差しに汗ばむような陽気を感じてしまうほどである。
歩きながらでも汗をじんわりと掻くのを感じているが、さすが季節は冬、足元から伸びた地を這うような影の長さにかなりなものを感じてしまう。
それでも、少しでも風の強さを感じれば冬だけあって、木枯らしにも似た寒さを感じる。そんな中、オープンカフェに寄るなど少し冒険に近いかと思っていたが、風がないのが幸いしてか、とても心地よく感じてしまう。
もちろん、陽気だけではない。
同伴者が私にとって、とても心地よい存在の人であればこその安らぎであって、そうでなければ、こんな時期にオープンカフェなど選んだりはしない。
「喫茶『ラスカル』に行ってみよう」
と問いかけた時、二つ返事で、
「はい」
と大きく頷きながら返ってきた。
喫茶『ラスカル』は以前から二人ともお気に入りで、半分常連化していた。二人にとってこの場所は「聖域」であり、たとえお互いにどんな気の知れた知り合いであろうと連れていくことはなかったのだ。
「ねえ、みゆきさんと一緒に来たことあるの?」
逸子の口からいつその言葉が出るか、不安がないわけではない。
不安ということはない。実際にみゆきとここでデートしたことはない。あくまで私にとっての「聖域」は崩したことがないのだ。
だが、その言葉が出ないまでも、私の姿を見ていれば、逸子であれば私の心境はお見通しかも知れない。もし、悩みや迷いがあるならば、私自身よりも私のことをよく知っている人がいるとすれば、それは逸子以外にはいないだろう。
――みゆきには私のことは分からない――
心の中でそう思っている。分かってほしいとは心の中で願いながら、すべてを知られるのは少し怖い気もする。彼女のすべてを知りたいと思いながら、自分のすべてを知られるのが怖いなどと、私も何とわがままなのだろう。
だが、そんな私が唯一心から安心して一緒にいられるのが逸子なのだ。
逸子とは私にとってそういう存在で、それ以上でもそれ以下でもない。逸子が私のことをどう思っているかは分からない。
なぜなのだろう?
知りたいという思いが意外に小さく、だからと言って、気にならない存在でもない。いつもそばにいて不思議のない人、それでいて、いつもどこかへ行ってしまうことへの少なからずの不安を抱き続けているといった摩訶不思議な関係だと思っている。
逸子と私はいわゆる「幼なじみ」である。
物心ついた頃からいつもそばにいる。幼稚園の頃から残っている写真にはほとんど逸子が写っていて、一切の違和感がない。
湿地帯に裸足で座り込み、手に持ったおもちゃのスコップでバケツに泥を入れている二人。真上から覗き込むようにシャッターチャンスを狙っていたのか、見上げる二人の屈託のない笑顔が、今見ても印象的だ。私が今までに撮った逸子との写真の中で一番のお気に入りと言えばどれかと聞かれると、私は迷いなくこの一枚を挙げるであろう。
たぶん潮干狩りに行った時の写真だと思う。
それがどんなシチュエーションで撮られたものか、ほとんど覚えていないのだが、はっきりと覚えているのは、その翌日二人して熱を出し仲良く寝ていた記憶がある。きっとその日逸子は遊びに行ったまま私の家に泊まったことが、そのまま翌日枕を並べて寝込むことに繋がってしまったようだ。
今思い出してその写真を見ると、心境は複雑である。
熱が出た時のぼ〜っとした気持ちを思い出すのと、その表情から、とても仲が良かったあの頃を思い出し、思わず顔が緩んでしまうのである。
もちろん、今も仲がいい。
しかしそれは幼い頃の屈託のない心境と同じだと言えるであろうか?
一緒にいるようでも、少しずつ変わってくる回りの環境、何といっても私は男で、彼女は女、これだけでもかなりの違いがあるというものである。
中学に入った頃であろうか。初めて逸子以外の女の子と話をして、不思議な気持ちに陥ったことがあった。はっきりとその時のことは覚えている。今まで気にならなかったまわりの目をはっきりと感じたのもその時だったし、明らかにまわりの人たちの好奇の目が感じられたのだ。
恥ずかしいということを、それまで女性と話して感じたことはなかった。
恥ずかしいというより、くすぐったいと感じたのかだろうか。それまでの女性に対する見方が明らかに変わった。
しかしそれでも逸子に対しては、今までと何ら変わりなく接する自分に戸惑いのようなものを感じながら、まったく変化のない逸子に対し、やはり違和感なく話しできるのは逸子だけという思いが確立していったのだ。
「お前たちはいつも仲がいいな、羨ましいよ」
いつも男性仲間から茶化されていた。
そう言われて、当然のごとく、
「うん!」
と答える時の私が一番自分らしいと思い、そんな私を見ている逸子の視線にも熱いものを感じながら、それでも女性として感じなかった私である。
――幼なじみとは、こんなものなんだ――
そう感じながらずっと一緒にいたのだ。
しかし、それが少し変わり始めたとすれば高校に入学した頃からであろうか?
私と逸子は高校が別だった。こればかりは努力を持ってしてもどうにもならなかった。確かに成績優秀な逸子に私の学力はついていけなかったが、それ以前に彼女が進学に選んだ学校が女子高ではどうにもなるものではない。
「ごめんね。私女子高を選ぶわ」
中学の頃、そう言って話しかけてきた逸子に、
「うん、がんばるんだよ」
と答えたが、答えた時には実際一緒にいれないことに対し、真剣な感情などなかったのかも知れない。しかし、逸子は感じていたのだろう。わざわざ私にそう告げた時の寂しそうな顔は、それまでに見たこともない顔になっていたからだ。
――私から次第に遠い存在になっていく――
逸子にそんな感情を抱き始めたのはその頃からだった。
しかし、それが私の勘違いであることを知るのはしばらく経ってからで、女子高に行ってしまった逸子がそれからも私に時々連絡を入れてくれていた時も、最初は分からなかった。
逸子は元々まわりに染まるタイプではない。まわりに染まるくらいなら一人でいるタイプだったこともあり、学校でもどの派にも属さず、孤独という苦汁を舐めさせられていた。
いや、正確には進んで選んだ道だった。だがそれを許さない人たちがいるのも事実で、少なくとも普通の学校生活を平和に過ごせる環境でなくなっていたのも事実であった。
作品名:短編集9(過去作品) 作家名:森本晃次