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短編集8(過去作品)

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 それが、あの時のおねえさんの言葉であったことに気がついたのは、上り詰めていく快感の中であったのか、それとも爆発したあとであったのかはっきりと覚えていない。
「潮を含んだ砂って重いのかしら?」
 真っ暗な中での汗が熱気となって湿気を帯びた空気の中で、私が感じたのはこの「重い」という感覚だった。佐和子が先ほど言った言葉がまるで伏線にでもなったかのように、見事なほどにはっきりと思い出した言葉だった。
 一気に訪れた興奮が爆発へと変わると、目の前に戻ってきた現実は、真っ暗な部屋で目が覚めたことだ。真っ白な頭の中に入り込まんとする暗闇が、どこまでも続いている気がして、気だるさの中に不安すらあった。
 さっきまであれほど溢れていた汗だったのに、気がつくとすっかり乾いていた。お互い空気の入り込む隙間のないほど身体を擦り合わせ、お互いの暖かさを感じながら次第にそれがごく自然な感覚へと変わりつつあるのだ。
「こんな思いは初めてだよ」
 確かに、ことが終わった後の気だるさはいつものことだった。しかし、いくら女性経験が少ない私とは言え、皆それぞれ違う肢体であることは周知の上のことである。特に初めての女性の身体はその特徴を感じるものだが、彼女に関しては違っていた。
 何か懐かしさのようなものがあり、ずっと昔に感じたことのある“安らぎ”を与えてくれている。目を瞑れば、潮の香りとともに潮騒の音が聞こえてきそうである。しかも暖かい水の中に浮かんでいる気もするが、それは母親の身体の中の羊水に浸かっている思いに近いのかも知れない。
「私も、あなたを初めてだって気がしないの」
 そう言って私の顔をじっと見つめる。お互い初めてでない感覚を抱きながら、それがいつどこでだったかを思い出そうとしているのだ。しかもお互い思い出す寸前まで来ていて思い出せず、あがいているような気がする。
 共通の思いは海だった。となれば私の記憶の中で思い出すのは「おねえさん」の記憶だけである。確かに、身体を重ねる以前から佐和子に「おねえさん」のイメージを抱いていた。だが、それが本当に佐和子の思いの中の「海」のイメージと合致するかどうかが分からない。佐和子自身がはっきりと覚えていないようだ。
 潮の香りを感じていると、襲ってくる睡魔に耐えられなくなった。横で佐和子はすでに静かに寝息を立てていた。それを聞いているとさらに襲い掛かる睡魔を跳ね除ける気力など消え失せていた。
 潮の香りと潮騒を感じながら、落ちていく睡魔に気持ちよさを感じていた。
「おはようございます」
 時計を見ると朝の六時半、すでに佐和子は目を覚ましていて、朝食もできていた。着替えているうちに次第に目が覚めてきた。多少の照れ隠しもあるだろう。昨夜のことに触れないように気を遣ってテーブルに着いた。
 お互い無口で話題のない食卓だったが、別に気まずい雰囲気があるわけでもなく、淡々とした朝の時間が過ぎていった。ほとんど会話らしい会話をすることなく、まるで新婚家庭での亭主が出勤するかのごとく、
「行ってらっしゃい」
 と、玄関にて一言声を掛けてくれた。
 私は無言で微笑んだが、何となく釈然としないものを感じていた。あまりにも違和感がないせいであろうか。近い将来同じ光景を予感していたが、それが悪いと言うわけではない。どちらかというと、リアルすぎるわりにはそこに流れる空気が薄いような気がしたからだ。
――リアルなわりには、現実味に欠けるのかな――
 言葉で表現するのは難しい。目の前の現実が“薄く”感じるのだ。
 私のそんな表情を察したのか、佐和子の表情にも少し翳りのようなものが感じられた。さっきまでは頬が紅潮し、はっきりと感じられた顔色を急に感じなくなっていた。いや、私の今の気持ちをして彼女をそんなふうに見せるのかも知れない。
 佐和子の部屋から離れるにしたがって、次第に昨夜のことが幻のように思えてくる。しかし何より辛かったのは、当分消えることはないだろうと思っていた佐和子の身体の感触が消えていくことだった。
 会社に着く頃にはすっかり自分の中で幻となっていて、味気ない一日が始まると思っただけでも辛かった。逆に今夜また佐和子の店に行ってみなければ、という思いが、どんどん強くなってくる。
 朝課長とも挨拶を交わしたが、すでに頭は仕事モードになっているせいか、昨日のことに触れることもなかった。まるで、
――昨日のことを覚えていないかも――
 とまで思えるほどである。
 その日の仕事が定時に終わり、私は一人で昨日の店に立ち寄った。
 佐和子は私を待っていてくれたのか、私の顔を見るなりほっとした表情になった。そのまた彼女の部屋に行ったのだが、
「あなたの顔を見ると落ち着くの」
 という言葉を彼女の口から、何度も聞いた。
 その言葉が引き金になったのか、その日から、私と佐和子は離れられない関係になっていったのだ。

「私、未来のことが分かるみたいなの」
 佐和子が言い出したことがあった。愛を確かめ合った後の言葉のいらない余韻の残った時間帯にふっと出た言葉だった。
 私も少し夢見心地の時間だったので、それほどの驚きもなく、どちらかというと夢の中で聞こえてきたような気がするくらいだった。
「どういう風に分かるの?」
「私、とても今不安なの。あなたの顔を見るととても落ち着くんだけど、あなたの顔を見ていないととても不安なの」
「それは僕たちの未来ってこと?」
「ええ、そう」
 今の私に、佐和子との未来は見えてこない。彼女だけではなく、未来というもの自体あまり考えたことがない。だから、佐和子の言葉を聞いただけで想像すら沸かないので、佐和子のいう「僕たちの未来が不安」という言葉に対してピンと来なかった。
 もし私が真剣に考えているのであれば、説得の言葉もいろいろ出てくるのだろうけど、ピンと来ない以上、半分他人事である。しかも快感の余韻の残った身体と頭には気だるさ以外は何も感じることはなかった。
「漠然とした不安なんだろ?」
「ええ、でも少しずつ大きくなるの。本当はあなたに言いたくはなかったんだけど、どうして口から出てきたのか、私にも分からない」
 確かに佐和子の身体は小刻みに震えていた。
 無意識に腕に力が入る。佐和子の震えを止めてあげようという気持ちからであるが、その思いをどう受け取ったのか、佐和子は身体を思い切り摺り寄せてくる。
 その日の佐和子は確かにおかしかった。前日までは、お互いの気持ちに正直に行動し、お互いそれに応えていた。そうすることが、二人にとっての至高の悦びであり、すべてのように思えたのだ。
 「本能」という言葉を聞いて、今までの私は「野性」というイメージが強かった。あまりにも動物的で、悪い言い方をすれば「下等」なイメージがあった。性を貪ることはまさしく野性の本能であり、いくらその時を正当化しようとも、ことが済んだあとに訪れる気だるさの中で、自己嫌悪に陥ってしまったことが何度あったことか。
 最初の頃は新鮮さもあり、そんな思いを感じることなどなかったが、それが毎度となると、さすがに嫌悪感が募ってくるのも仕方のないことかも知れない。
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次