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短編集8(過去作品)

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「とにかく、逆恨みなどないように、よろしくお願いしますね」
「それはもう十分心得ております」
「じゃあ、今日はこの辺で失礼します」
 頭を下げ、部屋を後にしたが、その時私を見つめる他の社員の目も、担当者ほどではないが変だったのが印象的だった。
その時の私を見るみんなの表情も担当者同様、私の中でしばらく忘れられないものとなった。
不思議なことにその翌日から私を見つめる他の人の目も、何となく違って見えていた。どこがどう違うのかと言われてもはっきりと分からないが、明らかに昨日までと違う。私のまったく知らない人までが、私が通り過ぎた後も振り返り目で追っているような視線を感じるのである。
しかもそんなことが気になり出してからであろうか。ある一定の時間になると視界が一変する。まったく違う風景が瞼に浮かんでくるわけではないのだが、夕方近くでもないのに、急に目の前が薄暗く見えてくるのである。それはいつも決まった時間で、まるで夕焼けでも見ているかのようにオレンジ色の幕が目の前を覆っている。
「最近、疲れが溜まっているのかな?」
 確かに仕事は忙しい。ネコの手も借りたいとはまさしく最近のことをいうのだろうが、それでも仕事の最中はそんなことを考えている暇もなく、却って疲れも感じないはずである。仕事が原因ではないのかも知れない。
 その証拠に目の前が暗くなることは今までにも何度かあった。モニターを見て仕事をすることが増えた頃は、一瞬目にクモの巣のような線が無数に入ったかと思うと、激しい頭痛や吐き気に襲われろことが多かった。いわゆる“職業病”の一種だろうと、病院で言われた。
 今回の現象に頭痛と吐き気は現れない。ただ、目の前がオレンジ色に見えるだけなのである。
 不思議なことはそれだけではない。最初気が付かなかったが、何度か起こるうちに、ある規則性に気が付いた。それは現象が起こるのが午後二時十分という、いつも決まった時刻なのだ。ちょうど時計の短針と長針が重なる時間帯、会社のデスクから目の前に見える時計で確認しているから間違いない。
 最初起こった時は無意識に時計に目が行っていたのだが、そこまで気が付く余裕がなかったのかも知れない。
 私にそんなことが起こり始めてだろうか? 隣の住人と出会うことがめっきりと減った。
 それまでは、会いたくなくとも毎日顔を合わせていたのにである。まだ、音が気になり始めるまでは顔を合わせれば、きちんと笑顔で挨拶を交わしていた。しかし、気になり出したら最後、挨拶などできようはずもない。
 どうしても無意識に目を逸らすようになり、目が合ってしまうと今度ははっきりとした意識を持って相手を睨みつけている。もちろんそんな自分が好きでいるわけもなく、嫌気が差していたのも事実だ。それだけに余計に私をそんな気分にする隣人に嫌気が差していた。
 完全に堂々巡りである。ノイローゼに陥っていたので、そんな状況を分かっていても自分でどうすることもできず、ただ自己嫌悪が溜まっていくのを黙って見ているしかなかった。
 相変わらず物音が耳に残る毎日を悶々と過ごしていたが、隣人と顔を合わせることがなくなっただけでも救いかも知れないと感じていた。
 そういえば最近は隣人だけでなく、他の部屋の人と顔を合わせることもほとんどないのも気になるところだった。
 いつも部屋の前に三本、傘が置かれている。一本は小さいので子供用であろう。
 ここのマンションは玄関が狭く、傘立てがないと傘を置くスペースもない。しかも雨が降った時など濡れた傘を玄関に置くことはかなりな無理があると思われ、ほとんどの部屋の人は表に出している。
 部屋の造りとして玄関の横に洋室があるのだが、そこの窓に格子がはめ込まれている。皆さんその格子に濡れた傘をぶら下げているのだが、隣人もご多分に漏れず同じようにぶら下げている。
 だが、雨の多い梅雨の時期ならいざ知らず、あまり雨の降っていない今日この頃にもかかわらず傘が毎日のように置かれている。以前なら雨の翌日はなくなっていて、玄関先にある傘立てに置かれているはずだった。
 しかも、たたんで掛けてあるわけではない。雨の日に使ったそのままの状態である。あれから何日か経っているので、
「変だなあ」
 と感じるのも当然のことであった。
 普段なら見ていても気になることはなかったのに、最近はそれが気になって仕方がない。
 見ていることのどれくらい、頭の中に入っているのだろう?
 いつもそんな疑問を抱きながら毎日を過ごしているような気がしている。“見ていることの”というよりも“目に入ってくることの”と言った方が正解かも知れないが、いつも見ていることであれば、余計にそれを感じる。
 いつも見ていることであれば、今度は時間的な感覚が薄れてきて、少しいつもと配置が違っていても、それが昨日のことだったか、一昨日だったか、さらにはたった今のことだったかすら分からない時がある。
 まるで“石ころ”のように、見つめられる方は見られている意識があっても、見ている方はただの不特定多数としてしか見ていないようなものである。
 そんなことが気になり始めてから最近では、あまり物音が気にならなくなった。管理会社からの忠告が効いたのかとも思ったが、それなら今までに気が付いてもいいのではないかとも思う。しかしそれでも被害がだいぶ解消されたことには違いなく、喜ばしいことだった。
 私に平和な毎日が戻ってきたことを感じた。部屋に帰ることが恐ろしく、なるべく他で時間を潰して帰ろうと思ったりしなくていいのはうれしい限りだ。仕事をしていても、その日の帰宅後のことを考えると憂鬱な気分に陥り、言い訳ではないがそれが元でミスを誘発したことも何度かあった。
 部屋のテレビの音を大きくしたり、耳栓を使ったりという、ささやかな努力も今から考えれば滑稽にさえ感じてしまう。
 いつもイライラと日付が変るまで眠れなかった毎日だったが、何といっても自分が眠たくなったら気にせずに眠れるというところが最高だった。
 何のことはない。これが当たり前の生活なのだ。今までが普通ではなく、妨害さえなければ当然の権利として持てた安息が戻ってきただけなのだ。
 今まで気にしないようにしてきた累積しているストレスや疲れが一気に噴出したのか、音が気にならなくなってすぐくらいから熱を出して寝込んでしまった。
 風邪を引いたり、発熱で寝込むなどあまりなかった私だったので、休みの電話を入れた時の女子社員の声に少々驚きがあった。最近はそんなちょっとしたことにも気付くようになっていたのである。
 休まなかった理由の一つとして、
「どうせ、家で寝ていてもうるさいだけで、却って良くなる病気も悪くなる……」
 と感じていたことも否めない。
「そういえば隣の夫婦って、どんな顔だったっけ?」
 ふと頭をよぎった。引っ越してきて最初の頃はちょくちょく見かけていたが、ここ最近めっきり見かけることがなくなった。子供を連れて出かけているのは扉を閉める音や、廊下を走る子供の足音で想像はつく。まあ、もっとも部屋が静かになるので、それで分かるというものであるが……。
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次