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短編集8(過去作品)

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 恭子は一言で言って「純真無垢」な性格の持ち主で、当時自分も同じような性格だと思っていたこともあってか、すぐに二人の交際は始まった。
 恭子は私の思っていたとおりの女性で、男と女のことなどまったく知らなかった。
 手を繋いでも最初は反射的に放そうとしてみたり、それでも強引に握るとそこにはすでにグッショリと汗を掻いた手の平が震えていた。震えもずっと続いていて、こちらを見上げようとしない恭子の心境をしっかりと表わしていた。
「おにいさんとは一緒に出かけたりしないの?」
 たいていの質問であれば少し考えてからでも恭子は返事を返してくれた。しかしなぜか水谷の話に触れようとすると、そこから顔を上げようとせず黙りこくってしまう。二人の間に気まずい雰囲気が流れ、会話にならなかった。
 二、三度そんなことがあったのでは、それから水谷の話題はタブーとなった。それからであろうか、野球をしていてもなぜか水谷を避けるようになったのは。
 水谷は私と恭子が付き合っていることを知らない。付き合い始めた時の約束でもあった。それを言い出したのは恭子からであったが、私もそれに同感だったので違和感はなかった。
 最初こそ軽い気持ちであった。次第に後ろめたさを感じるようになったが、それも後の祭りで逆にプラトニックな付き合いに秘密と言う形で刺激のエッセンスが注入されていった。
 それにしても恭子は何も知らなかった。「おこちゃま」という表現がぴったりで、当時の私もそんな純真無垢な彼女にそれほど疑問を抱くことなく付き合っていた。
 物足りなさも無くはなかった。手を握ろうとして何度ためらったことか。もちろん私は童貞ではなかった。ただ自分からリードする付き合いをしたことがなかった私は、その快感は知らなかったのだ。
「今日は映画を見て、食事して……」
 恭子はそんな私に気付いていたのかどうか分からない。しかし、彼女なりに嫌われまいと一生懸命その日の予定を考えてくるところはいじらしかった。
 しかし、そんな付き合いをしていてもそんな中で時折見せる恭子の不安そうな顔を見逃すことはなかった。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
「いいえ、そんなことないわ」
「僕と一緒にいて楽しい?」
「ええ、とっても」
 時々こんな会話になることがあった。最後の
「ええ、とっても」
 というセリフを言う時の彼女の顔に嘘はない。少なくとも私はそう思っている。だから余計に不安になるのかも知れない。
「悩み事があったら聞いてあげるよ」
「ええ、ありがとう」
 最初の頃こそそれだけだったが、
「最近、おにいさんが変なの」
「水谷が?」
「ええ、私とおにいさんは実は血が繋がってないの。父親が違うのね」
 もちろん初耳だった。確かに言われてみれば顔もそれほど似ていないように見えるから不思議だ。
「それで?」
「どうも私を妹としてよりもオンナとして見ているんじゃないかって思って」
「血が繋がってないことは前から知ってたの?」
「ええ、でも今まではそんな意識なかったんですよ」
 野球を見に来ている恭子を見る水谷の目を思い出してみた。確かに恭子の言う通りなのかも知れない。
 恭子がこの話を持ち出すまでに勇気がいったことは、彼女の途切れ途切れの声を聞いていれば容易に想像がつく。よくよく見れば唇が小刻みに震えていて、塞ごうとするならばどんな反応を示すことだろう?
「水谷の顔も見れないくらい?」
「そうね、最近はほとんど避けてるわ。でもおにいさんの強い視線は感じるの」
「男としての視線?」
「ええ、私が避ければ避けるほど強くなっていくみたい。男の人ってそうなのかしら?」
「二通りあるかも知れないね。避ければ避けるほどこちらを向いてもらいたいという願望のような気持ちと、相手が自分を意識しているから視線を逸らしているという自分に都合のいい考え方をする人とね」
「おにいさんはどっちなんだろう?」
「そうだね、水谷なら前者かも知れない。だから恭子は気持ち悪く思っているんじゃないの?」
「ええ、そうなの。どうしていいか分からなくて。あなたとの付き合いを秘密にしているからいいようなものだけど」
 そう言って恭子ははにかむように下を向いた。しかし困っている顔には違いない。
「このまま僕たちとのことは秘密にしておくの?」
「分からないけど、今は話せないわね」
 恭子は私にしがみ付いてきた。
 それが合図だった。
 ホテル街に足早に進み出たが、私の行動に逆らうことのない恭子はホテルへのゲートを通る時もためらいなどなかった。もちろん覚悟の上のことであろうが、私にとってそれは望むべきことであった。
――本当に初めてなのだろうか――
 部屋の中に入ってからの恭子は落ち着いたものだった。純情無垢な人でも一度気持ちを一つに決めるとここまで大胆に、いや自然になれるのかと思い、恭子が女性であることを今さらながら思い知った。
「明かりを消して」
 合言葉のように耳に響いたその言葉は、私を紳士からオトコへと変えた。ここでの紳士の仮面は却って覚悟を決めた彼女に失礼である。
 怯えと期待からか、潤んで光っている瞳はまさしくオンナだった。
 今まで少女と思っていただけにその時の恭子は間違いなく眩しかった。だがまだ心の中には純真さが残っているのか硬くなった身体は頑なに何かを守ろうとしていた。
 必死になってその糧を取り払おうと試みる私だったが、ずっと今まで培ってきた彼女の中にあるものは大きいらしく、どうにもならないものであった。
 それ以後二人が普通に付き合っている分にはそれでもよかった。
 しばらくすると恭子に少し変化が現れ始めた。確かにそれからも頑ななもののために、たった一歩の踏み出しがオンナに変えるというところまで来ていたはずだった。それが最近恭子にオンナを感じるのである。
――少し翳のある女――
 彼女にはその言葉がピッタリであった。
――私に何かを隠している――
 そのためのぎこちなさが翳となって現れ、オンナを感じさせるのだろうか。
 彼女をオンナに変えたのは私ではない。私に対して臆したような態度をとるのは、後ろめたさがあるからだ。それを隠そうとしても隠し切れない性格であることは、ここまで付き合ってきている私だからこそ分かっているつもりである。
 恭子は必死で私を求めるようになった。初めて身体を重ねてからしばらくの間はそれほどでもなかったが、翳を感じるようになってからの彼女は積極的である。
「どうしたんだい?」
「何が?」
「今までと少し違うね。感じ方が激しくなった」
 情事が済んだベッドの中で、指を彼女の身体に撓むらせながら訊ねてみた。
 恭子はいつもテレ笑いをしながら顔を私の胸に埋めるが、私はその態度にさらなる興奮を覚えていた。
 しばらくは恭子のそんな態度に何の疑問も抱かなかった。それだけ恭子は純真無垢な性格の持ち主だったのだ。
 それからだった。私が優美子と出会ったのは。
 優美子は恭子と違い、「大人の女性」だった。酸いも甘いも分かっていそうで、身体から醸し出される妖艶さが私には却って新鮮だった。
 初めて恭子に出会った時の新鮮さとは違い、心も身体も同時に感じた新鮮さだったのだ。
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次