短編集8(過去作品)
「へぇ、すごいわね。時々公園のグランドで日曜日とかやってるやつでしょ?」
「ええ、そうですよ。見たことあるんですか?」
「日曜日の朝とか散歩に出かけて時々見ることもありますよ。最初の頃は横目で見ながら通り過ぎていたんですけど、最近は立ち止まって、スタンドから見ることもあります」
マウンドから見ていて、時々女性が一人でスタンドから見ているのを見かけることもある。
それは選手の中の誰かに知り合いがいるからだと思っていた。その証拠に特定の選手のプレーにだけ感動する姿を見ているからである。
私も独身、ネット裏に女性を見かけたら、どうしても気になってしまい、その一挙手一同に目が行ってしまってもそれは仕方のないことだ。中には私を熱い目で見てくれる人がいてもいいのではないかと思ってしまう時期があったのを思い出していた。
ひょっとして、今までのその中に優美子がいたかも知れない。
そう思っただけで、見られていたかも知れない自分が少し恥ずかしくなった。
「草野球もお好きですか?」
「ええ、確かにプロ野球ほどの迫力はないかも知れませんけど、ピッチャーの方の素振りを見ていると何となくかっこいいですよね」
耳が赤くなるのを感じた。彼女に限らず、ネット裏から熱い視線を送っている女性から同じような目で見られていたという気がして仕方ない。
「どこがかっこいいんですか?」
「ピッチャーって孤独なものじゃないですか。確かに目立つし、皆から注目される。でも私は打たれた後の投手を見るのも嫌いじゃないんですよ」
「それはどういう意味で?」
「人間ですから、調子悪いこともありますよね。特に打たれた後のピッチャーの方を見ていると、感情を何とか抑えている人とか、申し訳ないという気持ちが強いのか、下を向いたまま顔を上げられずに、足元を均しながら必死で気持ちを落ち着かせようとしている人とか、さまざまですよ」
――私の場合はどうなのだろう――
彼女は、なかなかな洞察力の持ち主である。思わず私は自分が彼女に見られていることを想像してしまった。
「実は私も草野球でピッチャーをしているんですよ」
満を持して、そう答えた。最初から彼女の感動する顔を想像しながらであったが、自分の表情にしてやったりの顔色が浮かんでいることは、胸の高鳴りから感じることができる。
「えっ、そうなんですか。かっこいいですよね」
案の定、優美子は話に飛びついてきた。
そこから先は彼女と二人の会話である。最初に話をしていたママは、さすがに慣れているのか、いいタイミングで洗い物に精を出し始めた。
途中、そこからどんな話をしたか、はっきりとは覚えていない。
マウンドに上がっている時、普通に調子のいい時は自分のプレーを味わう余裕もあるおかげで細かいことまで覚えているものだが、しかし本当に身体が軽い時は意外と覚えていない。
いや、本当はその時に覚えているのかも知れない。しかし適度な心地よい疲れの元、記憶が飛んでしまうことがあるのではと思うようになったのは、夢の中で同じプレーの夢を見るようになったからだ。記憶の引き出しに入り込んでいても、まったく無防備な睡眠状態の中、夢の中で思い出すのである。
――まるで夢心地だ――
優美子との会話はそんな身体が軽い時に似ている。
これが現実として本当のことかと、心の中で疑問に思うのは、同じような光景や心境を時々夢に見ているからかも知れない。
完全に日頃感じている自分の願望、それが今現実となっている。
本当に自分の身の上に起こっていることなのか、はなはだ疑問であったりするのは、まるで優美子と以前から知り合いだったような違和感のなさがあるからだ。
「ずっと、以前から知り合いだった気がするわ」
野球談議に花が咲き、まわりのことすら見えていなかった状況で、一段落したとお互い感じながら少し会話が落ち着いてきた時の優美子の言葉である。
「同じことを僕も感じてるよ。ひょっとして優美子さんが見に来ている時、その視線の先に何度か僕がいたかも知れないね」
「そうかも知れないわ。一人一人覚えていないけど、そうだとすれば素敵な出会いだと思うわ」
「そうだね」
それからの優美子は、何度か私の試合を見に来てくれるようになった。
しかし、秘密主義ではない私だったのだが、なぜか彼女の存在をまわりの人に話すことはしなかった。どちらかというと彼女ができたら人に言いふらしたいタイプの私にしては、本当に不思議だった。
気が付けば、チームが三点取ってくれていた。相手の守備が乱れたわけではない。ピッチャーが四球を連発したわけではない。
今までであればあまり期待してはいけない打線だったので、点が入る時といえばだいたいは相手のミスによることが多かった。しかし今日は違う。チーム一丸となってという言葉がピッタリの攻撃内容で、打線がぴたりと繋がっている。
強攻策がことごとく成功し、これほどやることなすことがうまく行くなど、今までに信じられないことだった。その気はあっても実力がついていかないのだ。
マウンドを見ると、相手ピッチャーの焦りが見て取れる。いくら敵とはいえ同じピッチャー、少し気の毒だったが勝負は勝負である。
「いけいけ」
ベンチから気勢が上がる。
つられて私も声を出すが、声を出していくうちに次第に興奮が快感へと変っていく。
こんな気持ちは野球をしていて初めてだった。たかが野球に胸が高鳴り、野球以外のことでも、何かワクワクすることが待っているようなことである。
まったく何の根拠もないことであるにもかかわらずときめく心、今までにも同じような思いがあったような気がしてきた……。
「博一……」
「優美子……」
真っ暗な部屋の扉が開かれ、ひんやりとした静寂が部屋の中から漂ってきた。
びっしょり掻いた汗をお互いに感じながら、そんなことなどお構いなしに抱き合う二人にまるで時間が止まったようだった。
初めて出会って何回目のデートだったであろうか? 私には予感めいたものがあった。優美子にも同じ予感があったのではないかと感じたのは、実はその日出会ってからすぐのことで、何かを訴える目が潤んでいたのだ。
なるべく焦るような真似はしまいと考えながら食事をしたりといつものように振舞っていたが、やはりそこにいつものような会話はなかった。
何とか話を繋ごうといろいろ話題を考えて話すのだが、すぐに会話が途切れてしまう。一人だけの意識ならそれでもまだ何とか会話を繋いでいく気力も出てくるのだろうが、二人とも変な意識が先に立ってしまい、会話がそこから続かない。
いつもより早めに店を出ると、賑やかな夜の街を感じるのだが、その日は煌びやかなネオンサインすらぼやけていて、自分の瞳が潤んでいるのを感じた。
優美子の瞳はそれこそ潤みっぱなしで、すでに充血しているといってもいいくらいであった。
肩を抱くと、小刻みに震える優美子をいとおしく思う。
ほとんどこんな経験をしたことがないのに、優美子を見ていると自然と自分がエスコートできるような気がしてくるから不思議だった。
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次