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セカンダリー・プレイス

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「私、今声に出して言いました?」
 と聞いてみると、
「いいえ、でも、あなたを見ていると、興味津々な思いが、柏木さんが出て行っても消えていないのが分かるのよ。きっと、探してみようって感じているんじゃないかしらってね」
「ええ、その通りです。よく分かりましたね」
 きっと、カッと見開いた目でママさんを見つめていたのだと思うが、ママさんは臆することなく、こちらを見ている。
 別に睨み返しているという雰囲気でもない。穏やかな表情には、まるで聖母マリアを見ているような感じさえした。
――ステンドグラスのその横に立っている聖母マリアの像を思い出すようだわ――
 クリスチャンというわけではないが、子供の頃に見た記憶があった。いつどうして見たのかという記憶はなかったが、繋がらないだけで、しばらくすると、思い出せそうな気もしていた。
――さっきのお話しも祈願だったけど、聖母マリアにも子供の頃、何かをお願いしたような気がするわ――
 と思えてきた。
 あの時も、聖母マリアの像を見上げていた時、誰かに、
「願い事をすれば、叶うかも知れないよ」
 と言われた気がした。
 疑いもせずに聖母マリア像に向かって手を合わせた。お祈りの仕方も分からないので、そばにいる人のまねをしてお祈りをしたものだった。大人になると、宗教に対して警戒心が生まれたせいか、今ではそんなことはしないだろうと思いながらも、何かあると、時々聖母マリアの像を思い出していた。
――柏木さんのお話を聞いていると、案外、目指す神社は近くにありそうな気がするわ――
 と感じていた。
 表向きは普通の神社なのだろうが、地元の人にとっては、霊験あらたかな神聖な場所に違いない。本当は地元なら知っているのだろうが、霊験あらたかを信じている人にとっては、興味本位でやってくる連中に、騒がれるのは決して本意ではないだろう。地元の人に聞くのは、得策ではない。
――では、どうすれば見つけることができるのかしら?
 観光ブックに載っているわけでもないだろうし、頼みの綱としては、ネットで調べるというのも、一つの手かも知れない。しかし、ネット上ともなると、不特定多数の人が、広域から入り込んでくる。どこまで信憑性があるのか、信じられるところではない。しかし、それでもとっかかりがない以上、ネットに頼るしかない。少なくとも範囲はこの近くに限ってみればいいのだ。遠ければ遠いほど、行くまでに気持ちが萎えてしまいそうだ。やはりこの時点ではまだなつみは、興味本位でしかなかったのだ。
 なつみは、その神社を当てもなく探し続けたが、考えてみれば、何を祈願するというのだろう? 漠然としてしか考えていなかった神社探し、それなのに、気が付けば一生懸命になっていた。それはまるで見つけなければこの先の自分の人生がないとでもいうかのようであった。
 今までの人生を省みると、なつみの人生には失敗が多かった。
 その原因は、
――人のいうことを信じすぎること――
 の一言に尽きるのではないかと思えるほど、人の言葉に左右されやすい性格だった。特に小学生の頃はひどいもので、
――どうして、あんなことを信じてしまったのだろう?
 いくら子供でも信じられないと思えるようなことも、信じてしまっていた。
 今ではその一つ一つを思い出すこともなくなってきたが、たまに夢に見て、目が覚めると汗をグッショリと?いていることも少なくなかった。
 目が覚めてから覚えている夢というのはそれほどあるものではないが、怖い夢はえてして覚えているものだ。
――どれが怖い夢なのか?
 と、どこで線引きをすればいいのかも曖昧だが、目が覚めて忘れてしまわない夢のほとんどが怖い夢なのだという意識は持っていた。
――楽しい夢は目が覚めるにしたがって忘れていくが、怖い夢は目が覚めても忘れることはない――
 という夢に対しての認識を持ったのは、この頃だったように思う。少なくとも覚えている夢は限られているので、本当に夢を見た回数に対しての頻度がどれくらいのものだったのか分からないが、中には、夢を見たという意識すらなかったことも多かったのではないかと感じている。
「夢というのは、目が覚める寸前に少しだけ見るものらしいよ」
 という話を聞いたことがあったが、その意識を持ったのはごく最近だったように思う。だから、それまでは、
――夢というのは、眠っている間、ずっと見ているものなんだわ――
 と思っていた。
 ただ、目が覚めるにしたがって、夢がおぼろげになってくることを感じるようになってから、
――夢を見ている間は、案外短いものではないか?
 と思うようになった。
 人から聞いた話と、自分が感じたこととで辻褄が合うようになったのが、どちらを先に意識したのかと言われると、その部分も曖昧だった。だが、自分で最初に感じていたからこそ、人の話に信憑性を感じることができたのだから、そういう意味では、意識することの方が先だったと思うのは自然なことであろう。
 そんななつみが、ついつい人のいうことを信じていたというのは、それだけ自分に自信が持てなかったということなのかも知れない。
――まわりの人たちにできないことを、私ができるはずはない――
 という思いを強く抱いていて、心の底で、
――他人と同じでは嫌だ――
 という思いが根底に渦巻いていることを意識していたはずなのに、心の中に矛盾が生じていた。
 どちらが自分の中でリアルな発想かといえば、自分に自信のないところであろう。自分に自信がないから、逆の発想として、他人と同じでは嫌だという発想が生まれてきたに違いない。だからこs、人と違うことを自分ができる自信もなかったし、ついつい人を信じてしまう。ただ、その心の裏には、
――自分で判断したんじゃないから、もし失敗しても、自分は悪くないという思いを抱くことができる――
 という思いがあった。
 それは逃げの発想であり、自分が臆病だということを、露呈しているにすぎなかった。
――いや、それはわざとだったのかも知れない――
 まわりに対して自分が臆病な人間だと思わせることで、自分には無理なことをさせないだろうという発想がなつみにはあった。
 確かに重要なことをさせられることはなかったが、そのため、雑用ばかり押し付けられた。まるで、「パシリ」のようなものではないか。
 自分にとって惨めなことは分かっていたが、惨めなことでも時間が経てば慣れてくるものだ。臆病者というのは、慣れに対しての免疫があるようで、悪いと感じる時期はごく短いものだった。逆に自分がその場に馴染むことが慣れというのであれば、順応性が高いことをいいことだと思えなくなりそうで、頭の中でまたしても、矛盾をこしらえてしまうことになってしまう。
 人を信じてしてしまったことで、結構痛い目に遭ったのを覚えている。自分がやったわけでもないのに、逃げ遅れたせいで、自分一人が悪者になったこともあった。
「皆が助けてくれる」
 と思ったが、結局誰も助けてくれなかった。
――自分一人が悪者になることがこれほど惨めな思いをすることになるのか――
 という思いもあって、
――もう、誰も信じない――
 と思うのだが、ほとぼりが冷めた頃になって、