セカンダリー・プレイス
そう思うと、なつみには彼の気持ちに一番近づくことができるのは自分なのだという思いに駆られることがあった。
――ひょっとしてこの想いって恋なのかしら?
と感じるまで、かなり時間が掛かった。自分でもこんな思いになるということ、そして、こんな思いになったことに気づくまで、ここまで時間が掛かるとは思わなかったこと、そのどちらも不思議だった。
そのどちらも知っているなつみは、自分が彼に恋をしたのかも知れないと思ったのも無理もないことなのかも知れない。
店長の名前は柏木さんという。他の人はそれぞれニックネームで呼び合っているが、彼にだけは、ニックネームで呼ぶ人はいなかった。
――敬意を表しているのかも知れないわ――
ニックネームで呼ぶのが恐れ多いほど、柏木さんに対してのまわりの信頼は、全幅に近いほど厚いもののようだ。柏木さんも、自分のことをどのように呼ぶかなどということは別に気にもしていない。むしろ、気にしている柏木さんの姿を想像できないほど、彼には大きなものが感じられた。
柏木さんは、時々おかしなことを話し始めることがある。オカルトっぽい話が多いのだが、その時も、いきなり不思議な言い方からだったので、
「そら来た」
と、まわりにいる誰もが思っていたのかも知れない。
「これは僕も人から聞いた話なので、どこまでが本当か分からないんだけど」
という前置きをしていた。
柏木さんがこのような前置きをして話を始める時は、意外とその話を信じていることが多い。
「どんな話なんですか?」
まず、水を向けるのはママだった。
「僕は、この間から、願いが叶うという神社を探し求めているんだけど、なかなか見つからないんだ」
「願いが叶う?」
「ええ、皆神社にお参りするというのは、自分のお願いが叶うようにお祈りするためでしょう? もちろん、僕もそうなんだけど、本当に願いが叶うなんて、どれだけの人が真剣に信じているのかって思うんですよ」
確かになつみも、神社でお参りをする時、願い事を絶対にする。しかし、それも願いが叶うというよりも、平凡に暮らしていけることを願っていたりすることが多い。消極的だと言われるかも知れないが、消極的なことしかお願いしないということは、それだけお祈りの信憑性に疑いを持っているかということの裏返しであろう。
「でも、誰もが願いが叶うと思ってお参りするんですよね?」
と、他の人が話に入ってきた。
「いや、そうとは限らないんじゃないかしら? 初詣だって、新年の行事として皆が行くから、自分も行くんだって思っている人もいると思うのよ。お参りは二の次、皆と出かけるというところに意義があるように思っている人もいるんじゃないかしら」
というのは、ママの意見だった。
なつみは、どちらかというとママの意見に賛成だった。しかし、それを自分から口にすることは避けた。
それは、どこか神様を信じている自分がいて、バチガ当たるのを怖がっているからではないかと思っていた。神様がいるかいないかは別にして、
――バチが当たることの方が問題だ――
と思っているのは、なつみだけではなく、案外たくさんいるのかも知れない。
「確かにそうかも知れませんね。でも、僕はそれだけではないような気がするんですよ。お参りをする人の中には、バチを与えないでほしいという願い事をしている人もいるかも知れない。後ろ向きな考えではあるし、現実的な話でもないけど、僕はお願いというよりもお祈りという意識を持ってお参りしている人なんじゃないかって感じるんですよ」
「お祈りとお願いは確かに違いますよね。私にはお祈りは、自分対して保守的で、逆にお願いは、前を見ているように思う。バチを与えないでほしいというのは、お祈りなんでしょうね」
「でも、祈願という言葉はそのどちらも入っています。あまり厳密に分ける必要なんてないんじゃないですか?」
「じゃあ、願いが叶うというのは、前向きなお願いだけが叶うんでしょうかね?」
「そこまでは分かりません。私も人から聞いた話ですからね」
と、柏木さんは言っていたが、
「本当にそんなところがあるのなら、ぜひ行ってみたいものだ」
それまで喋らなかった人がポツリと答えた。この人が答えると、その場が盛り上がっていたとしても、一気に冷めてしまう。逆に言えば、彼が口を出した瞬間から、話題性としてはピークを越え、ここから先はシラケていく一方だった。
それまで、どれくらいの時間が掛かったのだろう? あっという間だったような気もするし、かなり時間が掛かったようにも思う。ただ言えることは、その間に話題はさほど膨れ上がったわけではない。ピークから冷めるのも、一気に風船が萎んでしまった時のようだった。
話としては、取って付けたようなところがあり、とりとめもないような話題であったが、どこか気になるところでもあった。こういう話は、最初に掴みがなければ、なかなか継続するものではない。それをさらに話題を深く掘り下げるようにするのだから、言いだした柏木の話術が長けているのか、この場の雰囲気が話題を盛り上げたのか、それとも、まわりが皆興味を引かれたのか、どちらにしても、柏木さん主導の話には、いつもどこか光るものがあるのだ。
この時の話もそうだった。しかし、途中で水を差されることは分かっていたので、どこまで話題が膨らむかというのも興味深かった。それでも、なつみの心に響くものがあり、しばらくは忘れることがないように思えてならなかった。
水を差された形になると、決まってすぐに柏木さんはお勘定を済ませて、寂しそうに帰っていく。
「それじゃあ、お勘定」
と言って、その日もすぐに柏木は席を立って表に出ていったが、その背中には哀愁は感じられなかった。ある意味楽しそうにも感じられたほどだ。なつみはその時の柏木の後ろ姿が、しばらく忘れられなかった。
――自分も近いうちに、同じような目で誰かに見られるような気がするわ――
と感じていた。
なつみは、人から自分の後ろ姿をどのように見られているのだろうかということを、時々感じることがあった。チクチクと針で刺されるような痛みに似たものを感じたことが何度かあったからだ。
しかし、それは一時期に集中していて、それ以外の時は、ほとんどそんなことはなかった。それなのに、まだ継続しているように感じるのは、それだけ後ろからの視線に対して、恐怖のようなものを感じているからだろう。
――後ろから刃物で刺されたらどうしよう――
というような恐ろしさと、
――後ろを振り返るとロクなことがない――
という、聖書の中に出てくる、
「ソドムの村」
の話を思い出した。
「決して後ろを振り向いてはいけない」
と言われて、余計に気になったことで振り向いてしまったがために石になってしまったという話である。人間の傲慢さと、さらには、心の弱さの両面を浮き彫りにするような話だったが、やはり聖書というのは、戒めの色が濃い書物ということなのだろう。
柏木が出て行ってから、余計にこの話が気になってきた。
「探してみようかしら?」
と、自分では声に出していないつもりだったが、
「迷信かも知れないわよ」
と、ママさんに言われた。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次