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セカンダリー・プレイス

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 しかし、もうこの会社に自分の居場所のないことをいち早く悟ったなつみは、未練も何もなかった。さっさと辞表を課長の机の上に叩きつけ、一刻も早く、この場から立ち去りたかった。いればいるほど惨めになることが分かっていたからだ。
 引き留める人がいるわけでもない。肝心の村山も、
「あの女が自分から辞めてくれて助かった」
 というくらいにしか思っていないことだろう。
 その思いは当たらずとも遠からじ、しょせん、それだけの男でしかなかったのだ。
 会社を辞めて、しばらくはゆっくりしていた。パートなどはしていたが、正社員で働こうという意思はなく、気が付けば、三十歳を超えていた。
 その間に付き合った男性はいない。
「もう男なんてまっぴらごめん」
 と、口では言っていたが、本当は好きになれる相手が見つからなかっただけだ。今でも同い年くらいの男性には興味が湧かず、どうしても年上にばかり目が行ってしまう。
――また、同じことを繰り返してしまうかも知れないわ――
 と思っていたが、考えてみれば、村山とのことは、相手が悪かっただけだと思えなくもない。
 なつみは、いくつ目かのアルバイトで、スナックに勤めた。水商売というものに抵抗があったわけではないが、それほどアルコールが強くない自分に務まるかどうか、それが心配だった。
 アルバイトと言っても、店のママさんは自分のおばさんに当たる人だった。おばさんがスナックのママをしていることは知っていたが、今まで行ったこともなかった。急に思い立って行ってみた時も、
――まさか、自分がアルバイトをしようなど、思ってもみなかったわ――
 と感じていた。
 しかし、やってみると、案外楽しいものだった。
 店の客はほとんどが常連さんで、ママと誼の深い人たちばかり、なつみに対しても決して無理なことをせず、会話も普通に弾んでいた。そのうちになつみを目当てに来る客も増えたが、皆紳士であり、今まで会社勤めをしていて、毎日気ばかり張っていた自分とは違う自分がそこにいることが何やらおかしくて、そんななつみの気持ちが分かっているのか、客も皆、なつみに対して一目置いていたくらいだった。
――元々会社勤めをしていたことが、皆には言わなくても、雰囲気で分かっているのかも知れないわ――
 なつみの前で仕事の話を誰もしなかった。なつみが以前会社勤めをしていたことは誰にも言っていないし、ママも話していないという。ママは、従業員の過去を話すことを嫌う人なので、話をするはずもない。そう思うと、この店の客層は決して悪いわけではないことは間違いないようだ。
 なつみがこのお店でアルバイトをし始めたというのは、元々ピンチヒッターのようなものだった。一人女の子が妊娠してお店に出ることができなくなったため、ちょうど職もなくフラフラしているなつみに声が掛かったのだ。
 ちょうどなつみもこの店に客として来ることがたまにあった。その時は常連さんと話をすることもなく、話をするとすればママと話すくらいだった。ママも心得ていて、なつみに他の客が話しかけないようにしていたが、客の中にはなつみのことを気にしている人もいたようだ。
「変なお客さんなら、あなたに声を掛けたりしませんよ」
 とママがいうように、紳士的な常連さんが、ママと親しくしているなつみのことを気にしていた。なつみもその人のことは意識していて、別に嫌いなタイプの客ではなかったので、なつみもまんざらでもない気分になっていた。
 しかし、村山とのこともあったので、なかなか男性と話をするには、まだまだ免疫ができていない。なつみも少し迷っていた。
「大丈夫よ。ここのお客さんで、なつみちゃんのためにならない人はいないと思うわ。もちろん、なつみちゃんが自分の目で確かめてからお返事をくれればいいからね」
 ということで、数日ほど、客として店を眺めていたが、確かにママの言う通り、お客さんはいい人ばかりだったので、
「じゃあ、よろしくお願いします」
 ということで、とりあえずは、見習いのような形で店に入ることになった。
 ただ、日々の客はそれほど多くなく、流行っているとはお世辞にも言えなかった。そんな状態で、
――自分などを雇って大丈夫なんだろうか?
 と考えてしまったなつみだが、
「時期的なものがあるのよ」
 と、ママが言っていた通り、しばらくすると、客が増えてきた。
 どうして急に客が少なくなったり増えてきたりしたのかは分からない。ママに聞いてもハッキリとした回答は返ってこなかった。
 しばらくすると、仕事にも慣れてきた。
 最初は会社での仕事が自分にとっての仕事だと思っていたので、自分に務まるか、不安だった。もっと言えば、スナックといえば水商売。
「職業に貴賎なし」
 という言葉はあるが、どこか自分の中で軽んじて見ていたのも否定できない。最初はなかなか馴染めなかったが、心のどこかで、
「自分は違うんだ」
 という思いが渦巻いていたような気がする。
 そんななつみの気持ちを知ってか知らずか、常連さんは優しかった。彼らには相手が誰であれ、分け隔てなく話をしてくれる器のようなものがあった。それに比べて、意識していないつもりでいたのに、どこか見下したような目で見ていた自分がいたことに気が付いたなつみは、自らを恥じたい気持ちになっていた。
 かなり馴染んできたと思ってきた勤め始めて三か月してからくらいのことだったが、近くの商店街でブティックを経営している店長が、面白いことを言い始めた。
 年齢的にはまだ四十歳前後というところだろうか。独立でブティックを経営しているなど、ビックリである。ビックリしたのは年齢だけではなく、その雰囲気もであった。見た目よりも若く見えるその雰囲気はブティックを経営している人に似合わないほど、あまり垢ぬけた雰囲気ではなかった。それでもラフな服装が妙に似合っていて、その雰囲気が、まわりの人を惹きつけるのだろう。
 彼のまわりにはいつも同じ商店街の仲間がいた。惣菜屋さんやお肉屋さん、青果のご主人と、皆さん二代目の方が多かった。単独で店を切り盛りしているブティックの店長に、皆一目置いていたのだろう。
 なつみも、その人には気さくに話しかけられた。一番気心の知れた人だと言っても過言ではないだろう。一度店にも寄らせてもらったことがあったが、その時も気さくに話しかけられた。
「いつもと立場が逆だね」
 と言って、笑顔を満面に浮かべたその表情に、ホッとしたものを感じさせられた。
――気が付けば微笑んでいた――
 楽しい気持ちになると、自然と顔がほころんでくるというのを、今さらながらに思い出さされた気がした。話をしている時は気さくなのだが、静かに一人で呑んでいる時もある。そんな時は珍しいだけに、話しかけるタイミングが必要なのだが、他の人と違い、自分の世界を作って、そこに入り込んでしまっている雰囲気がある。そんな時は、なるべく放っておいて、彼が話しかけられる雰囲気ができるのを待っているだけだった。
 だが、そんなことは本当に稀だった。店に客が他に一人でもいれば自分一人で内に籠るようなことはない。つまり彼の一人で考え込んでいる姿を見ることができるのは、ごく限られた人だけなのだと思った。