セカンダリー・プレイス
女性は、自分でさっさと結論を出して、男を置き去りにしてしまう。ただ、当事者であれば、それを
――悲劇のヒロイン――
として自分を見ることで、自分もその場から逃げ出したいとうう意識を優越感に変えることができる。
悲劇のヒロインは、なつみにも言えることだった。その時は自分で自覚があるわけではない。こうやって人の話を聞いた時に、自分を振り返ってみることができるからだった。ただ、自分にとって何が悲劇なのか、その時になってみないと分からない。なつみとしても、藤原の話を聞きながら、自分が以前藤原と付き合っていて、突然目の前から消えてしまった彼女になったかのような気がしてきたのだ。
――それにしても、子供を身籠った状態なのに、よくそこまで気丈でいられるものだわ――
まだ子供を産んだことはおろか、妊娠したこともないなつみには、その気持ちがどうしても分からなかった。しかし、話を聞いているだけで、何となくではあるが、自分の中に母性本能にようなものが燻っているのが分かった。
その日、なつみは藤原の内なる気持ちに触れることができて嬉しかった。
――きっと他の誰にも話したことのない話を、私にだけしてくれたんだわ――
という思いが強かった。
それがなぜなのか分からなかったが、藤原の話を聞いているうちに、帰りにどこかの神社でお参りをして帰ろうと思った。
その時、何かが音を立てて、気持ちの中で崩れていくのを感じた。
――そうか。願いが叶う神社というのは、一か所とは限らないんだわ。その人にとって、それぞれ意識する神社が違う。ということは、藤原さんの言っていた二番目というのは、私にとっても違うんだわ――
どうしていきなりそんなことを感じたのか分からなかったが、藤原がしてくれた「昔話」に影響があったのかも知れない。
その日藤原の話を思い浮かべながら帰っていると、
――あれ? いつもの道とは違う――
普段通る道とは違った道を歩いていた。家路を急いでいるわけでもない。どちらかというと、こっちの方が遠回りだからだ。
――考え事をしていると、無意識にいつもと違う道を歩いていることも、今までにはしばしばあった気がする――
と感じた。
帰り路の途中に、一つ神社があるのを思い出した。その神社は、子供の頃によく遊んだ神社で、大学生の頃からほとんどこの道を通らなくなったので、意識することがなくなっていた。だか、そこは神社というよりも、遊び場としての意識しかなく、お参りもまともにしたことがあったかどうか、自分でも疑問だった。
――意外と、身近にあって、まったく意識していなかった場所が、自分にとっての「願いが叶う神社」なのかも知れないわ――
と思った。
しかし、考えてみれば、願いが叶ったかどうか、いつどのようにして分かるのだろう?
いや、言い方を変えれば、
――願いが叶わなかったというのは、どの時点での判断になるのだろう?
元々、神社でお参りをしても、実際に願いが叶うなどという意識を持っている人はほとんどいないだろう。
「神頼みなんて、迷信程度のものさ」
というバチ当たりなことをいう人もいたが、確かに占いよりも神頼みの方が、信憑性は薄い。なぜなら、願い事をするには一番お金がかからずに、簡単だからだ。お賽銭を入れてお参りするだけ、加持祈祷のたぐいとは全然違っている。加持祈祷は時間もお金も掛かる。
――霊験あらたか――
とは、さましく加持祈祷のことであろう。
「神様だって、そんなにたくさんの不特定多数の願いを聞き入れるわけでもないだろうしね。皆普段は見向きもしない神社に、初詣ともなると、殺到するでしょう? お参りが儀式になってしまっては、神頼みの信憑性がどこにあるって言いたくなるわよね」
と、いう過激な話をしている友達もいた。大っぴらに賛成もしなかったが、心の中では誰もが
「うんうん」
と、頭を下げていたことだろう。
その神社は、石段を上ったところにある。そこには石の鳥居が見えて、そこをくぐると、境内が見えてくるのが想像できた。
角を曲がったところから、石段が見えてきた。
子供の頃に感じた石段に比べれば、相当小さく感じられた。子供の頃の感覚と今とでは違っていて当然だが、最初から分かっていたつもりでも、さすがに、石段の長さは相当短く感じられたのだ。
石段を上りきって、石の鳥居が見えてくると、鳥居の間にスッポリと境内が埋まっていた。ちょうど油絵の額のように、綺麗なバランスが取れた境内だった。
鳥居をくぐって、さらに進んでいく。石畳の途中に石があり、
――これがお百度石なんだわ――
と感じた。
今までお百度を踏んだことはおろか、踏んでいる人を見たこともなかった。神社を見かけても、ほとんど鳥居をくぐることのなかったなつみには、お百度を踏む気持ちも分からず、その姿を想像することもできるはずはなかった。
真っ暗な中に浮かびあがっている境内は、まるで後光が差しているかのように、建物の輪郭を光が照らしているように見えた。
暗い夜道を歩いていると、目が慣れてきたとでもいうのか、境内の後ろの光が、今度はその向こうに見える森をさらに照らしていた。
この神社は、山の中腹にあり、その森は、山の頂上に続いている。
この山はそれほど高い山ではないが、神社までくる人はいても、その上まで行く人は、まずいないだろう。
境内の裏から山の頂上に続く道があるが、それを知っているのはごく少数なのかも知れない。探求好きの子供か、代々この神社を守ってきた神主さんや神社の関係者くらいではないだろうか。そう思うと、子供の頃に遊んだ記憶が今さらのように思い出され、新鮮な気がした。
――そういえば、あの時もお参りをしていた私たち子供の横で、どこから現れたのか、人の気配がすると思ったら、そこにはお姉さんがいたのを思い出したわ――
そのお姉さんは、なつみがお参りを終えて頭を上げると、すでにいなかった。
「ねえ、今ここにいたお姉さんは?」
とまわりに聞くと、
「お姉さん? 何言っているの、ここにいたのは私たちだけじゃない。夢でも見てたんじゃないの?」
と言われて、キツネにつままれた気がしたのを思い出していた。
なつみは、鳥居をくぐるまでは分からなかったが、鳥居をくぐった瞬間、賽銭箱の前で手を合わせてお参りをしている一人の女性を見つけた。
――おかしいわ、目を切ったわけでもないのに――
石段を上り終わってから、鳥居をくぐるまで、瞬きをした程度で、目を切った意識はない。それなのに、いきなり現れたその女性は、どこからか湧いて出たのだろうか?
今度こそ、目を切らずに境内まで歩いて行こうと思いながら、次の一歩を踏み出すと、今まで見えていた女性が今度は消えてしまっていた。
――まるでデジャブだわ――
状況は違ったが、心に残った感覚は同じものだった。デジャブを感じたのも無理もないことだろう。
ゆっくりと歩いていき、境内まで辿り着いて、賽銭箱を見下ろすと、やはり子供の頃に感じたものよりも小さく感じられた。子供の頃には、
――何て大きな箱なのかしら――
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次