セカンダリー・プレイス
なつみは何も答えず、藤原の話を聞いていた。
「女房がいてくれた時は、二人きりでもよかった。いや、むしろ二人きりだと思うことが幸せだったんです。ずっと一緒にいられると思っていましたからね。交通事故だったんですが、急に目の前からいなくなるなど、想像もしていなかったので、一人になった時の辛さは尋常じゃなかった。今でこそ、『一人は気が楽でいい』なんて言えるけど、あの時は二年近く、自分が分からなくなっていましたね」
二年という歳月が、藤原にとってどれほどのものか、想像もつかない。感じる歳月というのが人それぞれで、長さの概念などあるのだろうかと感じるほど、自分が自分ではなくなってしまうのではないかという想像はできた。
今までなら、
――いくら相手の立場に立ったとしても、一口に辛いことと言っても、想像などできるはずもない――
と思っていたのに、なぜか藤原の気持ちだけは分かるような気がしたなつみだったが、その時は、自分が父親と重ね合わせていたからだと思っていた。
しかし、実際には、父親とはまったく違った正反対の藤原に、自分が思い入れを持っていたのではないだろうか? その時には分からなくとも、後から考えれば、簡単に分かる気がするのだ。
――私もいきなり大切だと思っている人が亡くなったら、どんな気分になるだろう?
となつみは、自分が誰を大切に思っているのかを思い浮かべると、想像がつかなかった。本当であれば、父親であったり、母親であったりするものだが、思い浮かべた両親がいきなり目の前からいなくなって死んでしまうという設定を想像すること自体できることではなかった。
――いて、当然――
という意識があるのも事実だが、それ以上に、
――死んでしまった時に、自分が涙を流すことができる相手が、本当に自分にはいるのだろうか?
と考えた時、真っ先に浮かぶはずの両親の顔が浮かんでこなかったのだ。
そう思うと、他の誰が死んでも、自分は涙を流さないという思いが深く、自分が冷徹な人間なのだという思いに至ったことで、
――そんなことを考えるのはよそう――
と思うようになった。
それは考えたとしても、結局何も出てこない答えの中で、堂々巡りを繰り返すだけだと思ったからだった。
なつみは自分が誰を大切に思っているかが分からないと思った時点で、急に自分の中での優先順位をつけることができなくなっていた。
――人間として大切なことを自分で理解できない人に、優先順位などをつける資格はないのかも知れない――
と感じた。
その理解できない人というのが、紛れもない自分のことであり、
――自分以外にも同じように感じている人がいるのだろう――
と感じたことで、それからのなつみは、自分と同じように、大切なことを理解できないと思っている人を、無意識に探すようになっていた。
本来なら、自分を正しい道に導いてくれる人を探すのが本当なのだろうが、その前に、自分と同じような考えの人の意見を、数多く聞いておく必要があると思った。
そういう意味で、自分が探している人の条件を、今回知り合った藤原が満たしているのではないかと思い、どんどん藤原への意識や思い入れが強くなってきたのだ。
――だったら、惹かれているという感覚とはまったく違っているではないか――
となつみは自問自答を繰り返したが、自分の中から、それに対しての回答が返ってくることはなかった。
「藤原さんは、奥さんが亡くなってから、自分が変わったとお思いですか?」
藤原は、なつみの質問の意味がすぐには分からなかったようだが、
「変わったと言えば変わったと思う。でも、それは元々自分の中にあったものが顔を出しただけで、『本来の自分に戻った』というべきではないかと思うようになりました」
と、曖昧な答えが返ってきた。
本当なら、すぐに答えてもいいことを頭に思い浮かべていたのかも知れないが、なるべく曖昧な回答にしようという意識があったからか、回答を言葉に出すまでに時間が掛かったのも、分からなくもないような気がした。
藤原はそれから、少し考え込んでいたが、頭を上げると、その表情は最初に戻っていた。一人になったという件から考え込んでしまうまで、決してなつみの方を見なかったが、頭を上げてからは、じっとなつみの顔を覗き込んでいた。
――これが、今まで寂しい話をしていた人の表情なんだろうか?
何かが吹っ切れたというのは、こういう表情をいうのかも知れない。
そんな藤原を思い出していると、今度は藤原が、思いもよらぬ話をした。
「実は、私の若い頃というのは、結構金回りがよくて、遊び歩いたこともあったんだ。そんな時、あるスナックの女性と知り合って、付き合い出したことがあったんだが、私もあの頃は情熱に燃えていたというか、恋愛にも必死になっていたのかも知れない」
「どういうことですか?」
「私は、あの頃、彼女と結婚するつもりで付き合っていた。金回りがよくても、そのうちにお金も尽きることが分かっていたし、そろそろ我に返らなければと思っていた頃だったので、これをいい機会に、全うに生きることを決意した時でもあったんだ」
「それが、十年前に亡くされた奥さんだったんですか?」
「いや、そうじゃないんだ。家内と結婚したのは、それから数年経ってのことだったんだが、本当に結婚しようと思っていた彼女は、ある日突然、私の前から姿を消してしまったんだ。私は探し回った。仕事も疎かになってしまい、クビになるギリギリまで行っていたのではないかと思う。探して探して疲れ果てると、今度は自分の中で吹っ切れたんだ。『彼女は、最初からいなかったんだって思おう』と感じるようになったんだ」
「実際に、なれましたか?」
と聞いてみると、また少し考えて、
「いや、どうしても未練は残るものでね。でも、一旦我に返ると、そこから吹っ切れるまでには、それほど時間が掛かることはなかったよ」
同じことでも、人それぞれと言われるが、失恋の痛手ほど、その人にしか分からないことが多く、感じる思いの差は、かなり違っているものではないだろうか。
「私はそこまで恋愛をしたことがないので、分からないですね」
「でも、吹っ切れてしまうと不思議なもので、運命的な出会いがすぐに訪れるんですね。家内と出会ったのも、ちょうど割り切った後だったので、自分でも、吹っ切れたから出会うことができたのか、それとも、出会ったから吹っ切れたのかと聞かれると、正直どっちだったのかと答えられないんですよ。冷静に考えれば、吹っ切れたから出会ったんだと思うんですが、順序がどちらだったか分からなくなるほど、その間は短いものだったんですよ」
なつみにも同じような思いがあった。
もちろん、恋愛経験が少ないなつみには、恋愛問題だったわけではない。友達関係でこじれてしまった時、険悪な雰囲気は一触即発を呈していたが、そんな時、自分の中で覚悟を決めて、相手に歩み寄ろうとした時、相手もちょうど同じことを考えていたこともあって、ぎこちなさはなくなった。
お互いに勘違いだったという思いを抱いたのだが、そのおかげで、仲たがいをする前よりも、お互いが分かり合えたような気がして、
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次