セカンダリー・プレイス
という思いがあり、その優しさというのは、、
――紳士的な振る舞い――
であり、なつみが求めているものであることを感じたことで、ドキッとしたに違いなかった。
藤原は、居酒屋に連れて行ってくれるのかと思ったが、連れて行かれたのは、雑居ビルの中にある小さなバーだった。
「ここは僕の隠れ家のような店でね」
と一言言いながら、扉を開けて中に入った。カウンター席がメインで、手前にあるテーブル席は二セット用意されているが、あまり明るくなく、メインがカウンターであることはすぐに分かった。
なつみは、学生時代に馴染みのバーがあったが、いつも一人で行って、カウンターの奥の席で本を読んでいた。キリのいいところで休憩を取ると、マスターがいつも話しかけてくれる。常連ともなると、どれくらいでなつみが休憩を取るのか分かっているようで、マスターも声を掛けるタイミングを計っているようだった。
藤原が連れて行ってくれた店も、その店に雰囲気は非常に似ていた。マスターの雰囲気はかなり違っていたが、カウンターで隣のイスに座った藤原の横顔を見ていると、藤原をどこかで見たことがあると思っていたが、どうやらそれは馴染みのバーのマスターに似ていたからだった。
似ていると言っても、貌や体格が似ているわけではない。雰囲気や態度がよく似ていたのだ。会話の中で謎かけをしてくるところなど、ソックリだった。
マスターの場合は話題を繋ぐためにテクニックだと思っていたようだが、藤原を見ていると、
――紳士的に見せるための技――
のように思えてくるから不思議だった。だが、
――当たらずとも遠からじ――
というべきか、なつみには前に感じた紳士的なイメージがそのまま続いているように思えてならなかった。
「この店は自分が贔屓にしている店の中でも、なつみさんが気に入ってくれるかも知れないと思ったところなんだ」
「藤原さんは、他にも馴染みの店があるんですか?」
「こういう雰囲気の店はここだけなんだけどね。本当に一人になりたい時はここに来るんだ」
「私なんかが来てよかったんですか?」
「大丈夫さ。一人になりたい時と、なつみさんと一緒にいたい時の気持ちって、意外と似ていたりするんだよ」
「そうなんですか?」
「一見、失礼なことを言っているようだけど、一人になりたい時というのは、自分に問いかけたい時なんだよね。それは自分のことは自分が一番よく分かっていると思うからなんだ。でも、なつみさんと一緒にいると、自分の次に私のことを分かってくれるんじゃないかって思えるだよ。だから、その思いに間違いないかという意味でも、なつみさんに次会った時は、ここに誘いたいって思っていたんだ」
藤原の気持ちは分からなくもなかった。もし、自分が藤原の立場だったら、同じことをするかも知れないと思ったからだ。しかし、その時は自分の気持ちが有頂天になっている時ではないかと思った。
――有頂天になった時、自分が見えなくなることが多い。しかし、その時、目の前に気になる人がいると、自分が見えなくなることはないのではないか――
とも思えたのだ。
ただ、自分が有頂天になったことがどれほどあったのかということを自問自答してみたが、ハッキリと有頂天だったと言えるのは、思い浮かばなかった。
――ハッキリとしているからこそ、有頂天なのではないだろうか?
自分を見失うくらいに、何を考えても楽しく思える時、それは孤独を感じている時でも同じだった。
孤独を感じている時ほど、誰かのことを考えてしまい、その人が手の届くところにいるのを感じる。目の前でその人が手を差し伸べてくれていて、手を繋ぐことができれば、それが有頂天の状態なのだ。そう思えば、目の前で誰かに手を差し伸べられている想像をした時、
――まず、手を繋ぐことができないだろう――
と感じるのがほとんどで、実際に手を差し伸べてくれた手に、自分の手が届かない想像をしたその時に感じることは、奈落の底に落ちていく自分だった。
そんな光景を夢に見たと感じながら、目を覚ますことも珍しくはなかった。有頂天の時であれば、目を覚ますことはないのかも知れない。そうなれば、いつまでも夢の中にいることになり、そんなことはありえないのだから、有頂天というものも、そう長く続く者ではないということを、無意識の中に自覚しているのも当然と言えるだろう。
――私は、この人のことが好きになったのだろうか?
年上に憧れを持つというのは今に始まったことではないが、年上は年下に比べ、同じ年齢差でも雲泥の差を感じることがある。同じ五歳であっても、年下であれば、五歳という認識そのまま感じることができるが、年上の五歳は、十歳くらい離れている遠い存在に思えてくるのだった。
特に相手が初老くらいになると、父親よりも年上に感じる。それは自分が子供の頃に感じた年齢差そのままの認識で見ているからだろう。十歳の頃に相手が五十歳なら、四十歳の差がある。本当は二十歳の差でしかなくても、四十歳という年の差を感じるということだ。
――私は、まだまだ子供の頃の思い出を引きずっているんだわ――
しかし、それを悪いことだとは思わなかった。今でも新鮮に感じるし、子供の頃の心を忘れてしまって大人になった人を見ていると、どこか無理をしているのか、自分に甘く、他人には厳しく見えて仕方がない。
少なくとも自分は、そんな大人にだけはなりたくないと、日ごろから思っていたのだった。
年上の人への憧れは、不倫の時にもあったのだろう。しかし、別れを迎えた時、一時期だけだが、年上を好きになった自分を責めたことがあった。
しかし、同じ年上と言っても、最初に感じていた年齢の開きを相手に感じなくなったことで、次第にぎこちなくなって行ったような気がした。それがお互いのなれ合いになってしまっていたことも否めない。
年齢に差を感じなくなると、今まで抱いていた
――慕う気持ち――
というものが少しずつ萎えてくるのを感じていた。
相手が自分のどこを好きだったのかと考えた時、
「君に慕われていると感じる時が一番幸せだ」
と言っていたのを思い出した。
――男性というのは、慕われたいものなのかしら?
と思うと、自分がどうしてたくさんいる年上の中から、彼を選んだのかということを考えた時、相手が何をしてほしいかということが一番手に取るように分かったのが彼だったということを思い出した。
要するに、慕われたいということが分かり、それが自分にできることであり、そんなに難しくもないことを、いかにも嬉しく思い、ありがたがられるかということを喜びにできるのかが、彼との一番の絆だと思っていたのだ。
――甘えられたりするのが嬉しい――
そんな気持ちと、こちらが慕っているという態度を示すだけで、いつの間にかこちらが優位に立っていることに、優越感を感じることができた。
不倫とは、
――甘い罠――
という言葉があるが、罠と分かっていても、嵌りこんでしまう人がいると聞いたことがあり、
――私はそんな愚劣な行為はしないわ――
と思っていたくせに、気が付けば、不倫をしてしまい、最後は会社を辞める羽目になってしまった。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次