セカンダリー・プレイス
仕事が嫌で辞めたわけではない。ある意味人間関係で辞めたと言ってもいい。不倫をしていたことを棚に上げて、辞めてしまったことを後悔するわけではないが、仕事が終わって楽しんでいる人たちを見るのは耐えられない。昼間、就活に勤しんでいるのになかなかうまく行かなかったことを考えれば、スナックから誘いが来た時は、嬉しかった。
それまで夜に出歩くことのなかった自分が、今では夜に、
「おはようございます」
という立場になった。
夜に出かけて、夜に帰ってくる。そんな毎日に慣れるまでには、少し時間が掛かった。その頃から、特に夜が別世界だという意識を強く持つようになり、仕事が終わって帰途についていた時とも、また別の世界が開けたような気がして、不思議ではあったが、新鮮な気分になれたのだ。
今までは、夜の世界というと、
「一日の中で、昼が終わって、夕方リセットされ、夜が始まる」
と思っていた。
しかし、一日が終わり次の日になる時、日付だけがリセットされ、状況はまったく変わらない。時計を見ない限り、日付がリセットされたということを感じることはできないのだ。
しかし、昼から夜にリセットされるよりも、一日がリセットされる方が、同じリセットでも意味が大きい気がする。
「どうせなら、昼と夜の狭間で、一日がリセットされれば、もっと分かりやすかったのかも知れない」
と感じた。
いや、分かりにくいからこそ、誰も昼から夜に掛けて、そして一日の分かれ目の間に存在する「リセット」について、意識することはないのだ。
もちろん、なつみが一人で勝手に思いこんでいるだけなのかも知れない。しかし、物事には必ず裏があり表が存在する。それは、「リセット」という発想で片づけられるものではないかと思っている。今、目の前に現れた藤原さんを見ていると、この間のホテルの喫茶店での会話を思い出していた。
「願いが叶う神社の二番目が重要だ」
と言っていたのを思い出した。それが、さっきまで感じていた昼と夜の表裏の関係を、「リセット」として意識していることと重ね合わせて考えていることに気が付いた。「リセット」を意識しているつもりだったが、実際には無意識の状態で、藤原さんの出現から、無意識だった自分が意識を持つようになったのだと思う。
日付が変わる時に感じることのない、自分の身体のリセットは、誰もが一日の中でどこかに持っているのではないかと思っている。考えられるのは、眠りに就く時と、目が覚める時で、なつみは、
――一日のうちにリセットが掛かるのは一度だけだ――
と思っているが、それがほとんどの人は、その二つのどちらかだと思っているが、自分はそれよりも夕方のこの時間だと思っていた。
明らかに疲れがピークを迎える日没の時間帯。夕凪の時間とも重なり、何か特別な時間だという意識を強く持っていた。他の人も夕方の時間を特殊だと思っている人もいるだろうが、自分にとっての特別な時間だという意識までは持っていないのではないかと思っていた。
なつみは、日没時に感じた疲れのピークが、完全に夜のとばりが下りた時には抜けていることを意識するようになっていた。それがいつからなのか自分でも分からないが、無意識のうちにそう思うようになったとは思えない。その時は意識していたことを、気が付けば忘れていたのかも知れない。それは眠りに就く時、かなり疲れている時などは、いつの間にか眠りに就いていて、夢を見た後で、目が覚めるという経過をたどる。すべては、
――気が付けば――
というキーワードで感じることであり、一つどれかを感じれば、途中であっても、その前後を膨らませて発想することで、自分がその時、何かをリセットしたということに気が付くのだ。
日付が変わるのは、誰かの意志によるものではない。つまり無意識のリセットなのだが、夕方のリセットは、明確に日付が変わった時とは違い、意識してのリセットだということで、
――自分が引き起こすリセットではないか――
と感じるようになっていた。
それだけ昼と夜の間に別の世界を感じさせ、余計にリセットという意識を強くしているのだろう。気だるさはその証拠であり、夜のとばりが下りると消えているのは、
――リセットの副作用――
と言ってもいいのではないだろうか。
目の前に、藤原さんが現れたのを感じた時、
――そんな気がしていたわ――
と感じたのは、リセットするだけの力を自分が持っているという思いがあるからで、藤原さんがこの時間目の前に現れたのも、
――自分の中にあるリセットを引き起こす力の成せる業ではないだろうか――
と感じたからだった。
「なつみさんは、僕がここに偶然現れたとお思いでしょうか?」
藤原は、ベンチの隣に腰かけると、なつみの方を見るわけではなく、沈みゆく太陽を見ながらそう呟いた。
「言った」
というよりも、その声には抑揚は感じられず、
「呟いた」
と言った方が正解かも知れない。
「ええ、そうじゃないんですか?」
あまりにも唐突な言葉には、どこか落ち着いた気分になれるところがあった。
――感覚がマヒするからではないか?
と思えたが、どこか開き直っているような気分になるからだった。
そんな思いを知ってか知らずか、藤原はなつみの顔を覗き込むこともなく、
「ええ、でも私はなつみさんと出会えるとは正直思っていなかったんですが、こうやって面と向かうと、偶然出会ったのではないような気がしているんです。近いうちに出会うことになるという予感があったからなのかも知れません」
「その予感はいつからあったんですか?」
「二、三日前からですね」
そう言われてハッとした。
いつから藤原にその意識があったのかと聞いたのは、なつみもごく近い過去から、
――ひょっとしたら、藤原さんに出会えるのではないか?
という予感が芽生えていたからだ。
芽生えていたというだけで、具体的な想像に至っているわけではない。特になつみは何かの予兆を感じた時、
――段階のようなものがあるような気がする――
と感じている。
それは思い付きのように、いきなり気が付いたことであり、藤原にいつからなのかを聞いたのも、衝動的な発想が思わず口から出てきたからだった。
藤原に、
「二、三日前から」
と言われた時、その思いは自分だけが持っているわけではないように思えた。ということは、偶然ではないという藤原の言葉の根拠は、自分の中に出会えるような予感よりも強い、
――予兆――
というものが、宿っていたからではないだろうか。
予感と予兆では、かなりの開きがあるように感じている。予感には、確固たる根拠はないが、予兆には根拠たるものが存在しているように思う。しかも、予兆が現実のものになるまでに時間が掛かれば掛かるほど、根拠が確証に変わってくることを、自覚できるのではないだろうか。
予兆というものが、予感よりもはるかに確実なものであるから、段階が生じるのかも知れない。その段階一つ一つが予感に当たるものであり、予感の積み重ねが予兆だと言えるのではないだろうか。
なつみは、今、藤原さんの出会ったことで、
――出会えるような予感があったような気がする――
と感じた。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次