セカンダリー・プレイス
わざわざこっちまで来ることはほとんどなかったので、懐かしいという印象はまったくなかった。ただ、公園は駅て前にもあり、いつもその横を通って会社に通っていたのだが、その公園と駅向こうの公園とでは、結構似ていた。それでも懐かしいと感じないのは、それまで通勤の間、まわりを気にすることもなく、ただ惰性のように毎日通りすぎていただけだということを、思い知らされただけだった。
公園というものを気にしなくなったのはいつからだったのだろう?
社会人一年目の研修期間中は、会社の近くにある公園で、昼休みを過ごした時期が少しだけあった。
梅雨前にはやめたが、それまでの気候のいい時期は、公園の近くに昼近くになったらワゴン車で売りにくる惣菜屋さんからお弁当を買って、ベンチで食べていた。他に誘う人もいないので一人で食べていたが、会社の人で、なつみが一人、公園でお弁当を食べているのを知っている人はどれだけいただろう。
そんなことはどうでもよかった。
最初の頃は新鮮で、お弁当もおいしいと感じていたが、いつの間にかその状況に慣れてきたのか、お弁当の味にマンネリ化を感じてきたのか、公園にいても、惰性でしかないように思えていた。
――いつかは来なくなるのだろうけど、来なくなってもきっと何も感じないんだろうな――
と思うようになっていた。
同じ一時間でも、最初の頃は、あっという間に過ぎてしまうような気がしていたが、慣れてくると、お弁当を食べ終わってからの時間を持て余すようになっていた。会社の近くまで戻ってきて、近くのカフェでコーヒーを飲んでから戻ることが多くなった。時間を潰すにはちょうどよかったからだ。
それまで、アイスコーヒーというのをあまり呑んだことがなかったが、歩いてきて汗を掻いたのを感じると、急にアイスコーヒーが飲みたくなった。
――こんなにおいしいんだ――
それまでほとんど飲んだことのないアイスコーヒーだったが、以前に飲んだ店の味があまりにも味気ないもので、
――いかにもホットコーヒーを冷ましただけだ――
と思えるものだった。
あれから食わず嫌いのように、アイスコーヒーは避けてきたが、呑んだ瞬間、目からうろこが落ちたような気がして、食わず嫌いだったことを改めて思い知らされた。それから公園に行かなくなってもその店でアイスコーヒーを飲み続けた。冬でもホットではなく、アイスだった。食わず嫌いを超えてしまうと、その先にあるのは、飽きるまで続けようとする性格を改めて、ここでも思い知らされたのだ。
今でもその思い出があるからか、公園を気にすると、アイスコーヒーの味がよみがえってくる。そういう意味で、公園そのものよりも、それ以外の思い出があると、公園自体に懐かしさは感じられないのだった。
その日は、汗を掻いていたこともあり、しかも、どこか熱っぽさも感じられた。
昼まで寝ていることは何度もあったが、そんな日は、ほとんど外出する気にはなれなかったのに、久しぶりに出かけてみると、歩きながらいつもよりも足のだるさが早く襲ってきた。
――おかしいな――
と思いながら歩いていると、全身が気だるさに包まれたかのようになって、喉の渇きも感じられるようになった。
公園を意識したというよりも、公園の横にあるジュースの自動販売機に目が行ったのが最初だった。
そこでペットボトルの水を買った。ダスターに転がり落ちる音を聞くと、喉の渇きもピークに達し、すぐに取り出して、ゴクゴクと半分近く、一気に飲み干した。
――こんなに喉が渇くことも珍しい――
と思いながら、ベンチに座ると、一心地ついた気分になり、乱れかかった呼吸を整えていた。
すると、最初は気が付かなかったが、公園の反対側のベンチに一人の男性が座っているのが見えた。その人はこちらに向かって手を振っていた。
――誰だっけ?
すぐには分からなかったのでキョトンとしていると、相手は立ち上がって、なつみの方に向かって歩みを寄せてくる。
「ああ、藤原さんでしたか」
半分くらいまで距離が縮まってくると、それがこの間、ホテルの喫茶店でご一緒した藤原であることにやっと気付いた。距離があるということは身体全体を捉えることができるのだが、この間一緒にいた時は、テーブルの正面の席に座った距離だったので、全身で捉えると、まったく違ったイメージになることを知った。
全身で捉えた雰囲気は、顔を正面から見た時に感じた初老の男性というイメージではなく、もう少し若い雰囲気を感じさせた。公園のベンチという表で見る様子と、座っているというイメージが全身を捉えた時、同じ座っているのでも、テーブル越しの上半身だけしか見えなかったあの時に比べると、分からなかったのも無理のないことだったのかも知れない。
「こんにちは、お散歩ですか?」
こちらを覗き込むように声を掛けてきた。今回はなつみの方から声を掛けようと思っていたが、先を越されてしまった。どうもタイミングが合わない気がしたが、相手に声を掛けられるのも悪いわけではない。そう思うと、なつみは声を掛けられてすぐに笑顔になっている自分に気が付いた。
「ええ、普段はあまりこの時間、出歩くこともないんですけどね」
確かに会社勤めは家と会社の往復で、休みの日には出かける時は朝から出掛ける。したがってこの時間になると、すでに疲れているので、ついつい家路を急ぐことになり、まわりを見る余裕などなくなっていた。
夕方までに帰ってくる時でも、この時間になると、身体に気だるさを感じ、精神的には余裕がない。却って日が暮れてしまってからの方が、余裕があるかも知れない。
日が暮れてしまうと、昼間の世界とは別世界のように思えてくる。夜のとばりが下りた瞬間から、夜という別の世界が始まるという感覚である。昼の間に蓄積した疲れが一度リセットされるような気分になってしまい、夜と昼の違いをいつになく感じることもしばしばだった。
なつみは、今までに、
――昼と夜が別世界だ――
と感じたことが何度かあった。
昼から夕方を通じて夜のとばりが下りてくるのを、ずっと意識している時こそ、その思いを余計に感じる。会社で仕事をしている時、昼休みなどに表に出た時に感じてから、午後の仕事を終えて、表に出ると完全に日が暮れていることが多かったのだが、その時にはそこまで昼と夜が別世界だとは思わなかった。
――継続した時間の中にいると、別世界への入り口が見えていたのかも知れないわ――
会社を辞めてから、特にそう思うようになった。
スナックにアルバイトが決まるまでは、昼間、就活をしながら、暇な時間を持て余すようにすごしていた。夜に表に出ることはまったくなく、夕方までには必ず家に帰っていた。帰って来てからは、表に出るのは億劫で、この性格は、会社勤めをしている時からあったものだ。その時に培われたあまりよろしくない性格だと言ってもいいだろう。
夜の街に出かけるのがどうして嫌なのかというのは、れっきとした理由があった。
――仕事が終わって、アフターファイブを楽しもうという人たちの顔を見るのは嫌だわ――
という思いがあったからだ。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次