セカンダリー・プレイス
という話を聞いた。別に罹らなかったからと言って気にすることはない。そう思うと、気分的にも幾分か楽になった。楽になってしまうと、それまでの取り越し苦労がウソのように、最初から余計なことを考えたということすら、ウソに思えてくるから不思議であった。
五月病というのは、段階を踏んで社会人として歩んでくる中での、
「特異な存在」
だった。
入社式での上司の言葉を聞いた時、最初にそのことを感じた。
「会社というものに慣れるまでは、最初にまず三日辛抱できるかということを考える。そして、三日もてば、三か月もつだろうと考える。そして、三か月もてば今度は三年を目標に頑張ることができる。そうやって、段階を踏んで慣れてくるものだと私は思っています」
という総務部長の話だった。
目からウロコが落ちたと言えば、少し大げさなのかも知れないが、その話を新鮮に聞くことができたのは、やがて襲ってくるはずだと思っている五月病に備えるための心構えとして大切なことだと思ったからだ。それだけなつみは、五月病というものを恐れていた。言葉では聞いているが、それがどれほどの規模で自分に襲い掛かってくるものなのか、まったくの未知数だったからだ。何よりも、
――絶対に襲ってくるもので、避けることはできないんだ――
と思い込んでいたのが、大きな問題だったのだ。
しかし、五月病に罹ることもなく、ホッと胸を撫で下ろしたが、実際には、そこから不安が燻っていったことに、なつみは気づいていなかったのだ。
仕事の慣れは、時間の感覚をマヒさせるもののようだ。
根本的には、平穏な毎日を送っているつもりだったが、その日一日を思い返してみると、不安に感じていた一日が存在していたことも否めない。その思いが取り越し苦労であることに違いない。
――私は本当に取り越し苦労ばかりしている――
と思っていたが、実際にはそれほどたくさんの取り越し苦労があったわけではない。たくさんあったと思うのは、自分が過去を思い出した時に、燻っていた五月病への不安が取り越し苦労に終わったということで、新たな不安を生んだのではないかという思いがあったからだ。
入社二年目、三年目と進むうちに、三年目で、総務部長の言葉をふと思い出した時があった。
その時は、
――やっと三年目だわ――
と感じたのだが、ここでのやっとというのは、
――三か月から、結構長かったわ――
という思いと、
――三年以上については部長は何も言っていなかったけど、ここからは、私にとって未知数だわ――
という思いとが混在していた。
だが、前者の方の思いの方が強かった。後者への思いは、その答えがおぼろげながらに分かっていたからである。
――三年以上を言わなかったのは、そこまでくれば、その人次第ということなんだと思うわ――
という思いであった。
つまり、それ以上先は、その人それぞれの性格もあるだろうが、会社にいた三年間である程度その人の会社での立場が決まってくるという意味ではないかということだった。なつみはその思いを噛み締めていると、自分の中にその時はおろか、これから先も、よほどのことがない限り、会社を辞めようなどと思わないと感じていた。
「辞めてどうする?」
という思いがあるのも事実だし、それまでの三年間は、なつみにとって不安よりも自身の方が強いことを感じさせるようにしてくれた期間だと思っている。
「今の私は、仕事が楽しいの」
まわりの仕事に対して愚痴を零している人たちに対して、心の中でそう呟いていた。そして、
「仕事が嫌なら、辞めればいいんだわ」
と心の中で叫んでいたが、それが完全なる上から目線であるということに、自分では気づいていなかった。
それでも、それは自分にい自信が持てたからであり、総務部長の言葉に三年以上がなかったのは、自分以外の考えもあるだろうが、少なくとも三年経てば、自分の会社での身の振り方がある程度分かってくるという意味だろう。愚痴を零している人であっても、その人たちにはその人たちなりの考えがあるのだろう。上から目線で見さえしなければ、その気持ちも分かるというものだ。
――愚痴を零しているのを見るのも嫌だわ――
という思いがあったからだが、それは自分に自信がない時に、その言葉に自分の気持ちが揺るがされてしまうことで、
――余計なことを聞いてしまった――
という後悔の念に襲われるからだった。
三年が経ってからというもの、時間に対しての目標はなくなった。最初は三日、そして三か月、そして、三年の月日を意識していたが、ここから先は、辞めるまでが次の目標になる。
いつ辞めるかを考えることなどありえない。辞め時というのは時間ではなく、タイミングだ。女性なのだから、辞めるとすれば一番最初に頭に来るのは、結婚である。しかし、三年目のなつみに、結婚などという二文字は、頭にちらつくこともなかった。そのまま結婚を考えることもなく、そして辞めるなどということを考えることもなく、気が付けば二十八歳になっていた。
結婚も考えない。会社を辞めようとも思わない。以前までは、
「今は仕事が楽しいの」
などと呟いていたが、今はそれも昔、二十八歳になったことに気がついたというほど、時間に対しての感覚はマヒしていて、毎日が何事もなく平凡に過ぎていた。
――私の人生、これでいいのかしら?
仕事が楽しかった時期から今までの間に、仕事が楽しいと思わなくなるような出来事があったのだとすれば、まだ会社を辞めるという選択肢を考えることもあっただろう。
しかし、会社を辞めたいと思うほどの出来事が何かあったわけでもないのに、いつの間にか、仕事が楽しいと思わなくなっていたのである。
何もなかったことで、それまで自分が何も考えずに流されるように生きてきたことに気が付いた。考えてみれば、仕事が楽しいと思っていた時期でも、ただ楽しいと思っているだけで、具体的にどのように楽しかったのかということを考えたこともなかった。今では仕事が楽しかった時の心境すら思い出すことができない。思い出すことができないから、具体的なことを何も考えたことがなかったことに、初めて気が付いたのだった。
その頃のなつみは、
――何かにすがりたい――
という思いがあったのだろう。
毎日を平凡に過ごしながら、平凡の中に寂しさを感じ、寂しさを埋めるには、何かにすがりつきたいという思いに駆られたとしても、無理もないことだっただろう。
しかし、ただ平凡に過ごしてきたなつみには、最初何も見えてこなかった。見えないまま、すがりつくことに執着しないようになれればよかったのだが、しばらくしてくると、実際に見えていたものと違った光景が目の前に広がってくることに初めて気が付いた。
そこには誘惑がいっぱいあり、誘惑であることを分かっていながら、のめり込んでしまうという設定を頭に思い浮かべながら、それを悪いことだとして、拭い去ることはできなかった。それだけ寂しさがこみ上げていたのだろうが、いつの間にか、
――誰でもやっていることだわ――
という言い訳を思いついてしまったことも、なつみがのめり込んでしまう大きな理由だったのだ。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次