セカンダリー・プレイス
今まで平均すると、約二週間くらいが鬱状態だった。どんなに長くても、二十日も鬱状態だったということはない。一日という単位を意識していれば、そのうちに抜けてくれるのだ。
そうは言っても、実際の鬱状態に入りこむと、その度合いによって、その時期を長く感じたり短く感じたりするものだ。深刻な時は長く感じるというのは人間の性のようなもので、辛いことだが、避けて通ることはできないだろう、
なつみにとって鬱状態は、躁状態との相対関係にあるものではなかった。
人によっては、躁状態と鬱状態を交互に繰り返す「躁鬱状態」をずっと続けている人もいるが、なつみの場合は、いきなり急に鬱状態に飛び込んでしまっている。飛び込む時の予感もなければ、飛び込んでも最初は自覚のない時もある。しかし、一旦自覚してしまうと、そこから約二週間、鬱状態に入りこむことは分かっていた。そんな時は余計なことをせずに、静かにやり過ごすしかない。その思いが息づいてきたのは、高校の頃からだったように思う。
その頃にちょうど、
「願いが叶う神社」
の存在を初めて聞いたような気がした。
その時はちょうど鬱状態だったので、あまり深く考えないようにしなければいけないと思っていた時期だったので、意識はしても、記憶に留めようという思いはさほどなかった。そのせいなのか、それからしばらくして願いが叶う神社の話を聞いた時、あまり自分に関係のあることだとは思えなかったので、ほとんど意識がなかった。
それから、忘れた頃に、願いが叶う神社の話を耳にしていた。自分に話しかけられることというよりも、電車の中に乗っていて、他の乗客同士の話が耳に飛び込んできた時の話題が、願いが叶う神社の話だったり、ヒソヒソ話がやけに耳についたので、聞き耳を立てていると、そんな話だったりしていた。
それでも、その頃は親身になって考えることはなかった。あくまでも他人の噂だったり、自分に関係のないところでの会話だという意識しかなかったのだ。それでも、
――そんなところがあればいいな――
と思っていたのも事実で、まさか、不倫の末、会社を辞めた後、その場所を探してみる心境になるなど、その頃は思ってもみなかった。
なつみは、
――自分は人と同じでは嫌だ――
という思いを持ちながらも、ついつい人のいうことを信じてしまうというところがあった。人と違うという意識は決して他の人よりも自分の方が優れているという優越感ではなく、あくまでも、
――自分は他の人と同等なんだ――
という思いがあるからだった。
そういう意味では考え方が中途半端なところがあり、不倫を続けている間でも、
――この人とは違うと思いながらも、少しでも離れてしまい、寂しさが不安を煽ることを嫌ったことで、なかなか離れることができなかったんだわ――
という意識を、不倫から立ち直って持つようになっていた。
――嵌りこむまでは、なかなか敷居が高いのに、一旦嵌りこんでしまうと、なかなか抜けられないのは、現状維持の意識が強く、状況を変えてしまうことへの恐ろしさが、執着に結びついてしまっているんだわ――
と思うようになっていた。
なつみは、藤原と再会の約束をしたわけではない。連絡先をお互いに聞いたわけではないし、藤原も再会にこだわっていたわけではなかった。
でも、あの日に別れる時、
「それじゃあ、さようなら」
と、普通に挨拶していた藤原のその言葉に、胸がドキッとしたのも事実だった。
――このまま本当にさようならなの?
という思いを今さらながらに感じたからだ。
再会する可能性が高いと思い、近い将来もう一度会えると信じて疑わなかった自分を、時間が経ってからでも思い出すことができる。
――天災は忘れた頃にやってくる――
と言われるが、藤原との再会も、忘れた頃にあるかも知れないと思うようになった。あまり意識しすぎると、却って疲れてしまう。疲れを感じる必要など、サラサラなかったのだ。
疲れを意識すると、自然と身体から力が抜けていき、本当に再会することを意識しなくなった。ただ、願いが叶う神社への意識は逆に強まっていて、むしろ藤原と神社の関係の方が、あまり意識しなくなっていた。
そんな時、なつみは藤原と再会した。最初に声を掛けてきたのは、今回も藤原だった。なつみは、
――どこかで見た覚えのある人がいる――
と、遠目に見ていたが、目が合った瞬間、
――ああ、あの時ホテルでお会いした藤原さんだわ――
と、気が付いたのだ。
初対面で話をした時よりも、表情は少し怖っていた。緊張しているのではないかと思うほどだが、何を今さらなつみに対して緊張する必要があるというのだろう?
再会したのは、その日スナックはお休みの日で、昼まで寝ていたなつみは、表に出てみようと思ったのが夕方だった。会社勤めしている頃は、休みの日に夕方から表に出ることはほとんどなかった。誰かと待ちあわせをしているのであればまだしも、ブラッと出かけるのに、わざわざ夕方からというのは億劫でしかなかったからだ。
夕方の風のない時間帯を夕凪というが、その日はだいぶ涼しくなってきた今日この頃にしては珍しく、軽く汗が出てくるほどの暖かさが感じられた頃で、風のないのは少し辛く感じられた。
しかも、翌日は雨でも降るというのか、湿気が身体にへばりつくようで、歩きにくさも感じていた。
普段だったら、早歩きで通りすぎるところ、別に急ぐこともないのでゆっくり歩いていると、いつの間にか駅の近くまで来ていて、最初からどこを目指しているのか、ふと忘れてしまっていた。
目的はなかったが、確かに駅近くまで来て、スーパーかコンビニにでも寄って、何か食べ物でも買おうかと思っていた。
実際に駅近くまで来ると、スーパーを覗いてみたが、結構人がいるのを見て、さすがに入るのはやめた。子供の頃からの人ごみを嫌う性格が相変わらずだったからだ。
それにそのスーパーは、昔からある商店街の中にあり、駐輪場が入り口にあるため、入るには、そこを超えなければいけなかった。
駐輪場には自転車が溢れていて、駐車の仕方もバラバラ、通路にはみ出しているものもあり、入ろうという気が失せてしまうほどだった。そんないい加減な店で何かを買おうなど考えただけでバカバカしかった。
そんなスーパーを横目に見ながら、自分の最初の目的地だったということすら消し去ってしまいたいほどの光景をあざ笑うかのように立ち去ると、
――コンビニなら、何も駅前まで来ることはなかったんだ――
と思った。
確かに家の近くにもコンビニならいくつかはあった。そのうち馴染みの店もあったのだが、せっかく出てきたのだから、少し足を延ばして駅向こうにも行ってみようと思った。いつもならそんなことを考えることもないのに、どうした風の吹き回しだというのだろう?
駅向こうまで歩いてくると、そこに見えるのは公園だった。公園の存在は知っていたが、
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次