セカンダリー・プレイス
――藤原さんが気にしている「二番目の神社」というのは、どういう意味があるのだろう? そして、それが私にどういう関係があるというのだろう?
と、いろいろな疑問を残したまま、我に返って時計を見ると、午前十時をまわっていた。清水さんに会う時間だった。
ちょうど清水さんは出社していて、出会うことができた。ママの言伝を伝えると、清水さんはニッコリと笑顔で、
「ありがとう」
という一言を言ってくれた。このたった一言が、なつみには癒しになった。
それにしても、藤原という男性には、なつみが考えていることが分かっているようで気持ち悪かったが、それよりも、自分も藤原という男性の考えていることが分かっているような気がした。そちらの方がなつみにとっては気持ち悪い。
――お互いに分かり合っているくせに、そこに私は感情がついていかない。一緒にいる時は信頼しているつもりになっているが、ひとたび別れると、急に気持ちが分からなくなる――
なつみにはその思いが気になっていた。そういう意味でも、
「手伝ってあげましょう」
と言った彼の言葉を頼もしく思い、断ってしまうことは、自分にとって不安を募るばかりになることは分かっていた。
ただそれでも、初めて会った人に頼るというのは、厚かましいという思いや、怖いという思いからではなく、控えたいという思いがあった。その奥には、
――本当に信憑性があるお話なんだろうか?
という思いがあり、本当は自分に関係のない話だったものを、信じてしまうことで、自ら不幸を背負いこんでしまうのではないかという思いがこみ上げてくるのが怖かったのだ。信憑性に関しては疑問があるが、自分に関わってくるかどうか、話を聞いたことで引きこんでしまいそうで恐ろしかった。
その日、なつみは清水さんと少し話をして、午前中にホテルを後にした。
自分が会社を辞めてから少しの間だけ探してみた、
「願いが叶う神社」
その時は半信半疑で探していた。不倫の精算を精神的に片づけるためにも、それまでの自分とまったく違う生活をしたいという思いと、どこかこれからの生活が神頼みになってしまうのではないかと感じたからだ。
半信半疑ではありながら、他の人よりも信憑性が高かったと思う。それまでのなつみは迷信のようなものを信じる傾向にあった。あまり人と関わることが好きではなく、人ごみを歩くのも嫌だったなつみは、自分で思っているよりも、人嫌いだったのかも知れない。
不倫をしたのも、幸せそうな人とでは仲良くなれないという思いがあったからで、不倫相手のように、家庭に不満を持っていて、その拠り所に自分を求めてくれる相手を、無意識に探していた。
――私は不倫を悪いことだと思っていなかったんだわ――
今から思えばそうなのだが、どこか悪いことだと思っていることの方が自分に合っているという意識があった。
――願いが叶う神社なんて、見つけられるはずもないわ――
と、途中から思うようになった。
考えてみれば当たり前のことである。
願いが叶うというが、一体いつ叶うのか分からない。考えてみれば、死ぬまでに願いが叶ってしまえば、それは叶ったことになる。つまり、いつまで結論を待てばいいのか、実に曖昧なのだ。
それを叶うと言いきるのだから、短期間で叶わなければ、
「願いが叶う」
とは言い難いだろう。
それに時間が経てば経つほど、可能性は高くなる。それは、末広がりにモノを見るからであって、本当にそうなのか、疑問に感じたことがあった。
だが、逆に未来、つまり叶った時から見れば、そこから末広がりで見ることもできる。自分がいつ、その願いをしたのかということも曖昧になっていて、それだけ過去に向かっても広がっているものなのだ。
その時に、どの神社でお参りした願いが叶ったのか、分かるはずもない。つまりは最初から、
――ここが願いの叶うところだ――
と焦点を合わせ、その願いが叶うまで、願い事をしないようにしなければならない。どうしても、検証するならば、それくらいの覚悟がいるというものだ。
なつみは軽い気持ちで探し始めたのだから、そのことに気が付いた時、それほど大きなショックはなかった。最初から深刻な気持ちで差がしていたら、きっとショックを受けたに違いない。一人で考えていると、大きなショックも受けないが、信じていたかも知れないことでも、すべて最初から意識していなかったのだと思うことだろう。
スナックに勤めるようになってからは、自分が、
「願いが叶う神社」
を捜し求めていたということも忘れていた。完全に忘れたわけではないが、
――人から言われないと、思い出すことはなかっただろう――
と思うほどだったのだ。
ふと思い出すことは何度もあったが、思い出したとしても、それを心に留めるようなことはなかった。すぐに忘れてしまうことで、自分が、
――何を思い出したんだろう?
と感じるほど、意識が薄れていた。
それはまるで、
――目が覚めてから、夢の内容を忘れていくような感じかしら――
という思いに似ている。夢のように寝ている時にはハッキリとしている意識も、目が覚めると忘れてしまうそんな世界が、夢以外にもあるように思えてならなかった。
今ではすっかり忘れてしまっていると思っていた、
「願いが叶う神社」
を最近特に思い出すようになったということを、藤原さんが自分の前に現れて、その話をしてくれたことで思い出した。
一つのことを意識させられるということは、それに付随したことを思い出すということでもあり、
――思い出すことがこんなにもたくさんあるのだ――
ということを思わせるのも、自分だけで意識していたのでは、到底適うものではないだろう。
それにしても、眠っていて気が付けば声を掛けられていた。まるで夢のような話を聞かされて、後から思うと、
――やはり夢だったのではないか?
と思う。
しかし、藤原と名乗る男性は、三社参りにこだわり、二番目がキーとなると言っていた。なつみの中に意識として夢に見るような覚えはまったくない。火のないところに煙が立ったような感覚だ。
なつみはその時、藤原と名乗る男性とは、その日限りで、会うことはないだろうと思っていた。それは同じ夢をもう一度見ようと思っても見ることはできないようなものだと思った。
――もう一度、願いが叶う神社を探してみようかしら?
藤原の話を聞いて、願いが叶う神社というのは、案外たくさんあるように思えた。ただ、それが自分にとっての願いが叶うところなのかどうか、問題である。
さらに問題なのは、
――私の願いって何なのかしら?
探してみるのはいいが、いざ見つかった時にどのようなお願いをすればいいのか、その方が問題である。
――願いというのは、その時々で変化しているものではないか?
叶った夢もあるだろうし、その時の考えが変動することもある、まわりの影響もあるからだろう。
――まわりの影響は受けていない――
と思っていても、そう思っている時点で、まわりを意識している証拠である。そう思うと、余計に願いというものが流動的なものに思えてくるから不思議だった。
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次