セカンダリー・プレイス
フロントの人たちがそのことに気付いたかどうか分からない。ホテルのフロントで働いている人が、お客さんの態度に一喜一憂することは失礼に当たることは十分承知していることだろう。何かを感じたとしても、それを表情に出すことはないに違いない。
それだけに、恥かしさが急に大きくなっていた。
――一刻も早く、ここから歩き去りたい――
という思いを抱き、なるべく早歩きをしようとするが、すぐにその思いを打ち消した。
――早歩きをしてしまうと、さっきのロボットのようなギクシャクした動きになってしまうに違いない――
と感じたからだ。
その思いに間違いはなく、今でも少し早歩きをしているので、どうしてもギクシャクした歩きになっている。なるべく目立たないようにしようとすればするほど、その思いは空回りしているようだった。
「いらっしゃいませ」
喫茶店のスタッフは、まだ早い時間ということもあってか、一人の女の子だけだった。さっきまで慌ただしく立ち振る舞っていたにも関わらず、今は落ち着いて、レジのところに立っていた。時計が間違っているとは言わないが、このフロアの空間だけ、時間的には短いのに、その間にいろいろなことが展開しているかのようだった。
白いカッターに紺色のスーツを着て、紺色のスカートという、いかにもホテルのスタッフという雰囲気で、地味ではあったが、お店に似合った高級感が感じられ、なつみは新鮮な感じを受けた。
その女の子は他に客もいなかったが、忙しく立ち振る舞っていた。開店準備が完全ではなかったのか、じっと見ていると、余裕がないように見えた。
要領が悪いのかしら?
と勝手に想像していたが、水を持ってきてくれた時には、慌ただしい様子は一切見せなかった。
一番奥の席に向かって一目散の藤原は、どうやら勝手知ったるようだった。忙しそうに立ち回っている女の子を見ながら、暖かさそうな表情を浮かべて見つめていたからだ。
「いやぁ、急に誘っちゃって悪かったかな?」
と、席に座ると、頭を掻きながら、今さらながら自分の行為に厚かましさがあったかのようにそう言った。まさしく今さらながらなのだが、そのはにかんでいるかのような雰囲気を見せられると、何も言えなくなってしまったなつみだったが、それでも何も言わないと却って相手をその場に置き去りにしてしまいそうで、何かを口にしないといけないと思った。
「いえ、私がついてきたんだから、気にしないでください」
差し障りがないギリギリの答えだった。あまり相手に譲歩してしまうと、誘えばいつでもついてくる女に思われるのがシャクだったからだ。
「実はね。僕はもう一度なつみさんと会えるような気がしたんだ」
「どうしてですか?」
「何と言えばいいんだろうか? なつみちゃんにもきっと僕の気持ちが分かってくれていると思うんだけど」
と、言われたが、この言葉だけで、彼の何を判れというのだろうか?
そんななつみの思いを見越したのか。
「今はまだ分かっていないようだけど、きっとすぐに分かってくると思うよ。こうやってお話しているうちに、いろいろ分かってくるはずだからね。それになつみちゃんは、勘がいい娘のように思えるからね」
藤原さんを、
――人生の先輩――
というイメージで見ていた。ついさっきまではただのおじさんとしてしか見ていなかったはずなのに、急に見え方が変わっていたのだ。それも無意識のことにであり、この分だと藤原さんの言うとおり、この人の気持ちや考え方が次第に分かっているようになるということが信じられそうだった。
「僕が最近考えていることを、なつみちゃんも考えているんじゃないかって思ってね。ハッキリした根拠はないんだけど、頭の中に残っている女の子が、同じことを考えているというそんな夢を見たんだ。夢の内容はハッキリとは覚えていないんだけど、印象的な場面だけ思い出されるんだ」
「それはどのような場面なんですか?」
「それまで明るい場所にいたと思ったんだけど、急に何もかもが真っ暗になり、闇の中に消えてしまったんだ。その瞬間、これが夢だって思ったんだけど、それも珍しいことで、夢を見ている時すぐに夢だって感じることはないはずだったんだけどね」
「本当は、夢の最初の部分を覚えていないだけで、実際には突然夢に入ったわけではないんじゃないですか?」
「なるほど、やっぱりなつみちゃんは僕と考え方が似ているんだね。僕も目が覚めてから同じことを思ったんだ。もっとも目が覚めてしまうと、夢の内容もほとんど覚えていなかったんだけどね」
「じゃあ、どうして、私が同じことを考えていると思ったんですか?」
「それは、なつみちゃんを見かけた時、忘れていたはずの夢の一部を思い出したからさ。思い出した中には、あまり感情は含まれていない。客観的に感じたことが、まるで走馬灯のように繰り返されているだけなんだ」
なつみは一瞬言葉が出なかったが、それはこれ以上この話を引っ張っても堂々巡りを繰り返すだけだと思ったからだ。
夢の話というのは掴みどころのないもので、会話の一言一言で、考え方や思い出し方までもが、変わってしまっているのではないかと感じたのだ。
「で、それからどうなったですか?」
と冷静に、それでいて真剣な眼差しになっていたであろう自分を感じながら、聞いてみた。
「ああ、続きだね」
一瞬、あっけにとられたが、なつみの真剣な眼差しに感化されたのか、戸惑いを見せたが、それも一瞬だった。
「真っ暗な中に、赤いものを感じたのが最初だったかな? 何しろ黒しかない世界に赤い色が飛び込んできたんだ。どんなに明るい色でも、まわりが黒なら黒ずんで見えてくるというものだよ」
なつみも想像してみたが、光と影があってこその今いる世界。そこから光がなくなったらという発想は、どこまで行っても限りなく近くはならないと思っていた。
「想像できませんね」
そのセリフを待ち構えていたように、
「そうなんだ。僕も思い出そうとしても、半分しか思い出すことができない。半分しか思い出せないものを他の人に説明なんてできるはずはない。だから、僕がイメージしていることを同じようにイメージできるような人ではないと話をしても、この話は無駄な時間を使っただけで終わってしまうんだ」
「その相手が私だと?」
「そうなんです」
「どうして私だと思ったんですか?」
「それは後ほど話すとして、まずは、その赤い色のモノが何なのか、それが問題だったんですよね」
「ええ、そうですね」
赤いものをいろいろ思い出していたが、なつみの中には、
――ほぼほぼこれ以外にはないーー
と思い抱いているものがあった。
「それは、実際に見ると、朱色に光沢を感じさせるものなんじゃないですか?」
となつみが言うと、
「ご名答。どうやらやっぱりなつみちゃんには分かっているようだね」
「ええ、その下には、石段のような道が繋がっているような気がするんですよ」
「やはり分かっているようだね。そうなんだ、僕が見た夢に出てきたその赤いものというのは神社とかにある鳥居だったんだよ」
「大きなものだったんですか?」
作品名:セカンダリー・プレイス 作家名:森本晃次