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短編集7(過去作品)

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「私はよく夢を見るんです。この店の夢なんですけど、今菊が置いてある出窓の席があるでしょ? あそこにいつも男の人が座っているんですよ。同じ方とは限らないんですが、普段はなぜかあそこの席に男の人が一人で座るということはないんですけどね」
「どうして?」
「どうしてかしら。なぜかあそこは女性同士のお客さんが多いんですよ。少なくとも男性が一人で座るところはまだ見たことありません」
「夢に出てくる人はどんな男性なんですか?」
「それが顔を覚えていないんです。夢の中では認識しているつもりなんですが、目が覚めるとしっかり忘れていて、思い出そうとするとぼやけるんですね」
「何度も見るんですか?」
「はい。同じような夢ですね。顔ははっきり覚えていないんですけど、間違いなく同じ人なんだと夢の中では認識していますね」
 夢であれば往々にしてそういうことがある。かくゆう私も女性とデートをする夢を見ることがあるが、若干シチュエーションが違っても、いつも同じ相手だと認識したまま夢から覚める。自分にとってタイプな人だということだけで片付けられないような気がしてくるのも不思議だった。
 彼女は続ける。
「普通、夢で匂いが分かるなんてことありませんよね。でも私は分かるんですよ、その人が菊の香りのする人だって」
 確かに夢の中で色や匂いが認識できるなど考えたことがない。だが、夢の中では認識していたと思っていても、目が覚めたらモノクロでしか覚えていなかったり、夢では色など確認できなかったという思いがある時に限って、後から考えれば色付きだったような気がする。
「それは、心のどこかにある潜在意識が成せる業じゃないんですかね」
 答えながら自分にも言い聞かせ、うんうんと頷いていた。もし知り合いが夢の中に出てくれば、頭にこびり付いているその人のイメージが頭の中にあり、それを夢の中で感じれば、夢が見せるものであり、もし感じなければ、覚めてからあたかも夢で見たという感覚に陥ってしまう。
「そうですね。私、確かにあの菊に強いイメージを持っているのかも知れませんね」
 そう言って、まさに穴の開くほどの熱い視線を菊に送る彼女は、しばしその場で固まってしまった。
「この店のコーヒーの香り、少し違うと思ったら、あの菊の香りのせいかも知れません」
 サイフォンから立ち上る、ヘビ使いに操られるコブラのような煙を見ながら、私は呟いていた。
「ええ、私も以前同じことを感じたことがありましたわ。その時いたお客さんに同じことを言ったら、笑われましたけどね」
 そう言って苦笑いを浮かべる陽子さんだったが、つられて笑うには、私にとってその言葉は重く感じられた。
 先ほどまで、少し天気が悪くあまり感じなかったが、今はすっかり晴れてきて、出窓に陽の光が差し込んできた。以前見たことがあるその時と同じシチュエーションが近づいてくることに私の胸は高鳴っていた。期待と不安、両方が入り混じっているのだ。
――それにしても、何と眩しい黄色なんだろう――
 以前見た同じシチュエーションでは、ここまで鮮やかな黄色だったという記憶がない。まさしく“眩しいくらいの”という言葉が相応しく、スポットライトが当たったかのように輝いているのは、そこだけ別世界を思わせた。
 スポットライトのような日差しが一点に集中し、舞い上がる小さな塵が無数の星を思わせ綺麗である。風もないのに舞っているような不規則な動きは、それこそ、宇宙に散りばめられた星屑のようだ。
 私が菊に集中していた時間がどれほどのものだったか、はっきりと認識しているわけではない。しかしその間客の入れ替わりが一切なかったことを考えると、それほど時間が経ったようには思えない。
 窓の外を見ると相変わらず人通りは多く、そのほとんどはうちの学生であった。数人でわいわい話しながら、ゆっくりと大学へ向かう者たち、背中からリュックを背負い、忙しなく大学から帰ってきて一人早歩きで、駅へと消えていく者と、さまざま見られるここがベストプレイスということだ。
 表は少し風が出てきたのか、民家の垣根となっている植木の揺れを見て取れる。歩いている時は気にはならないのかも知れないが、こうやって室内から見ている分には、それがどれだけの強さなのか想像するだけで、寒さを伴うもののように思えて仕方がない。
 意外とその場にいる人間に感じないことでも、少し距離をおいて見ている人の方がえてして感じ方が強い時がある。
 例えば富士山は遠くから見ていると綺麗な三角形の上の方に雪が見えていて、いわゆる絵葉書になりそうなベストポジションというものがある。しかし実際に上ってしまうと自分が富士山と同化してしまい、綺麗な姿など想像も及ばないだろう。それと同じでその場にいるよりも、一歩離れたところから見ている方がより強く状況を把握できるということが往々にしてある。
 ガランガラン
 表に集中していたため驚いて音のする方を振り返った。入り口にあったアルプスの羊の、首にかけているような鈴の音が、店内に響き渡ったのだ。
 それを聞いて驚いた私は、一瞬安心した。
「いらっしゃいませ」
 陽子さんの声が店内に響く。
 さっきまであまり気にならなかった。喧騒とした店内の雰囲気は、それだけでさすが学生に常連が多い喫茶店だということが分かる。コーヒーの香りで充満した店内の気圧は表よりも濃いせいか、話し声も篭って聞こえる。さながら銭湯や温泉と同じ効果があるようだ。
 部屋の隅の方が、何となくぼやけて見える。もやが掛かったような雰囲気は、コーヒーの香りが充満していることからも想像がつく。しかし、最初に入ってきた時に感じた店の広さに比べ、見回してみて感じる今とでは、今の方が狭く感じるのはなぜであろう。
 最初入ってきた時というのは立っている位置からなので、座って見ている今より本来であれば狭く感じて当然である。部屋の広さに“慣れてきた”という考えもあるが、それだけではなさそうだ。
――この席に座るのが、初めてではないような気がする――
 という思いが頭をよぎるのだ。そのためだろう、店が広く感じたのは……。
 だが、初めて入った店であることには間違いない。今まで毎日店の前を歩いていて、一度入ってみたいという思いの中、店内を覗き込むことがしょっちゅうだったことを考えると、その時の頭の中の想像と、現実の店内の様子が似通っていたのだろう。
 今までも同じようなことがあった。学校の校舎にしてもそう、近くの飲み屋にしてもそうだった。
 だからといって勘が鋭いとは、自分では思っていない。まだそんな意識のない頃は、勘の鋭さを一つの特技のように感じていたが、よくよく考えるにすべてが後からの想像だったら、と思うようにもなっていた。
 初めて入った時にすぐに感じるのであればそうかも知れない。すべてが後から考えて、“あの時は”と思うのである。後からだと何とでも思えることなのだ。
 しかし今日は違っていた。
 明らかに今眼前に広がっている光景そのものに対して感じていることである。
「どうかしましたか?」
 あたりを見渡す表情が、いつの間にか曇っていることを初めて自分で感じたのは、そう言って語りかけてくれた陽子さんの声を聞いた時だった。
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次