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短編集7(過去作品)

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 あの時は豪雨ではなかった。お互いゆったりした気分で喫茶店に入り、暖かいコーヒーを飲んだ。他愛もない、まだ子供の恋だったのかも知れない。それでも卒業してから数年間付き合ったのはそれなりに気が合っていたからであろう。
 この店と似た雰囲気の店を見つけてきたのは祥子だった。どちらかというと「赤提灯系」の店は得意だったが、スナックやバーはまったくの勢力範囲外で、営業でもない私が付き合いで利用することもなかったのだ。
 祥子に聞いたことがある。
「よくこんな洒落た店に来るの?」
「ええ、友達とよく来るの。女性同士というのは意外とこういう店が落ち着いていて好きなのよ」
 そういって嘯いていた。
 しかし、ある日を境に祥子と私はスナック行くことがなくなった。その店に限らずスナックへ足を踏み入れなかったのだ。
 事情を何も知らない私は、別に構わなかった。焼き鳥屋や炉端焼き屋の方が性に合ってると思っていたので、それはそれで、楽しかった。話題を店の雰囲気に合わせればいいだけなので、そう難しいことではない。
 祥子が変わったのはそれからだった。スナックの独特の雰囲気は甘い空気に包まれていて、そのままホテルへ直行しても何ら違和感などなかった。しかし居酒屋の雰囲気からはそういう気分になりにくく、しかも彼女はその頃から身体を求めると拒否にまわることが多くなった。私がそれとなく理由を聞こうとすると、とても寂しそうな顔をするので、それ以上の追求など不可能だった。
 それからの祥子は次第に鬱に入っていった。居酒屋などに寄ることも少なくなったかと思うと、会うことも少なくなっていく。
「ちょっと今日は都合が悪いわ」
 そう言って会おうとしない。
 元々いつも会いたいと言ってきたのは祥子の方で、祥子の都合で会うことが多かったのが急変したのだ。
――明らかに私を避けている――
 そう思い始めると、私も冷静に彼女を見るようになっていた。
――彼女のどこが好きだったのだろう? 本当に彼女が好きだったのだろうか――
 思いは堂々巡りを繰り返す。そうなると冷静にしか見れなくなってくるもので、お互いに避け始めると後は早かった。
 どちらからともなく別れ話が出て、それを相手は自然に承諾、自然消滅と言ってもいいくらいの展開に違和感もない。
――もし、祥子に今出会ったら、ときめくだろうか――
 別れ方が自然だっただけに、相手を嫌いになって別れたわけではないだけに、ときめきを感じるかも知れない。しかしそれも本当に好きだったという前提があってのことで、やはりその時にならないと分からないだろう。
 最近、時々祥子を思い出して、そんなことを考えたりしていた。そしてそんな時出会ったのが佐和子だったのだ。
 佐和子との出会いは、祥子との出会いとはかなり違うが、同じときめきを感じた。佐和子の中に祥子を見たのかも知れない。
 まるで祥子といるような錯覚に陥ったのはなぜだろう。あまり似ているタイプではない祥子と佐和子だったが、佐和子を見ているうちに祥子とのことをまるで昨日のことのように思い出してしまう。
 それはさりげない行動であったり、口調であったりはもちろんのこと、佐和子の身体の隅々まで服の上からでも感じることができるような気がしてくるからだった。
 どこを触れば感じるか、祥子の身体は把握していた。女性を祥子しか知らないわけではないが、どうしてそう思うのか不思議だった。
 さぞかし嫌らしい目で佐和子を見ていたかも知れない。その目に気が付いていたのか、佐和子は私と目を合わせようとはしなかった。
 会話はごく自然に進んでいた。
 世間話をカウンターの奥のママと三人で普通に話しているからである。
 さっき呑んだばかりなので、あまりこの店では呑んでいなかった。それなのに指先に湿気がなくなり、何となく痺れを感じてくるとカッとなった頬を感じるようになった。会話の声があまり入ってこなくなり、耳鳴りとともに聞こえてくる胸の鼓動が気になり出した。
「お客さん、大丈夫ですか?」
 心配そうに覗いているママと佐和子の表情が印象的だった。
「はい、大丈夫です」
 と答えたところまでは記憶にあるのだが、そこから先は堕ちていく自分が分かっていながらどうすることもできない。今までにもこんなことになったことはあった。しかし女性二人の前で男たるものという思いの中で遠のいていく意識が恨めしかった。
 気が付いたのはいつが最初だったのだろう。
 夢見心地の中、意識がしっかりしている気がしていたが、その都度場面が変わっていたのは、やはり夢の中だったからであろう。
 そう、本当に気が付いた時は横になっている時だった。
「シャー」
 遠くの方で勢いよく水の流れる音が聞こえる。瞼の裏に浮かんだ色が赤っぽくなく真っ黒だったのは部屋が暗いせいであるということは意識の中にあった。
 フワッとしたクッションに身を任せていると身体全体が何かに包まれている気がする。しかもザラザラした違和感を身体に感じたことから、どうやら自分が全裸であることを表わしていた。
 目を開けようとするが、なかなかすぐには開かなかった。しかし一気に開けようとせず静かに開こうとするのは可能で、やはり最初に感じたようにその部屋が真っ暗であることに間違いなさそうだった。
 次第に目が慣れてくると、耳の感覚も手伝ってか、さっきの勢いよく水の流れる音の方向を目で捉えることができた。
 そこからだけ明かりが漏れていて、目が慣れてくると最初に飛び込んでくる当然の場所であった。すりガラスになっていて、シルエットで人影が怪しく動いていた。
 ここはどうやらラブホテルの一室のようであった。首を頭の方に曲げてみると、ベッドの上に一杯スイッチがついている。
 右足だけ軽く「く」の字に曲がったように見える細く長い脚、お椀のように形のよい胸から、綺麗に括れた腰のライン、ちょうど喉の部分にシャワーを浴びているためか、長めの髪が綺麗に垂れ下がっている。そのすべてが均整の取れたもので、私の男の部分を奮い立たせるに十分であった。
 身体から心地よい気だるさを感じる。ことが済んだことであることは身体だけが覚えている。何となく腕や胸に残った温かい肉の感触だけが、頭に伝わっていた。
――どうして今まで意識がなかったんだろう――
 身体だけが覚えているというのはしゃくだった。このまま彼女の入っているバスルームに行って、後ろから抱きしめたい衝動に駆られていたが、なぜか身体を動かすことができないでいた。
 シャワールームの女性は間違いなくさっきまで一緒だった祥子に違いない。どうしても時折角度を変えて写るシルエットに佐和子のイメージを感じてしまう。
 間違いなくシャワールームの女性が角度を変えて写るその姿に違和感はない。
 佐和子と祥子では見た目も完全にタイプが違い、特に私の知っている佐和子はそれほどグラマラスな体型ではなく、どちらかといえば「幼児体型」に属する方だろう。
 それにもかかわらず佐和子を思い出すのはなぜだろう。
 別れてからの佐和子を私は知らない。別れた理由すらはっきりせず、好きな人ができたと言って分かれたあとも、彼女に「オトコができた」という話も聞かない。
「佐和子」
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次