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短編集7(過去作品)

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 思わず言葉に出てしまった。小さな声であるが、あまりにも静かな部屋であるため、自分の耳に大きな声であるかのように反響していた。
 よく見るとシルエットの中にもう一人の女性が浮かんだ。二人は抱き合い絡み合っている。シルエットとして見ていてもかなり妖艶で、まるで吐息が漏れてくるのを感じることができるかのようである。
 実際切なそうな声がかすかに聞こえてくるような気がする。どちらが漏らしたというものではない。お互いが求め合い、お互いの敏感な部分を知り尽くした二人によって演じられている。
 金縛りの状態に陥っているため動かすことのできない身体が恨めしい。本来であれば、無意識に身体が動いてしまうのだが、ままならないのだ。しかし今目の前で繰り広げられている光景に自分も入っていこうという気にはどうしてもなれない。それだけ近寄りがたく芸術的なシルエットを作っている二人なのだ。
 間違いなく二人はお互いの体を熟知している。
 それだけに見ているだけで十分な価値を感じる私だったが、私本人にとってそれは「真綿で首を絞められる」ようなものだったのかも知れない。
 目を逸らそうにも首を動かすこともできず、まして釘付けになった視線は血走っているに違いない。
 シルエットの二人は微妙に痙攣を始めた。糸を引くような声が感極まった瞬間であることを感じた私は、最高の場面を見たような気がした。身体に電気が走ったような気がした私は最高の恍惚状態であろう。
――おや、身体が動くぞ――
 動かしてみると身体が動くようになっていた。汗が吹き出し最高の快感の余韻に浸っていた私は、さすがにすぐには身体を動かすことができなかった。
 しばらくして動いた身体を起こして立ち上がろうとしたのだが、瞬間立ちくらみが襲ってきた。
 立ちくらみなど日常茶飯事の私なのだが、その時の私は耳鳴りもひどく、指先が痺れてきたと思ったら全身にまったく力が入らないのを感じた。まるで腕や足が自分の身体の一部ではないような感じだったのだ。
――ああ、意識が遠のいていく――
 このまま意識がなくなってその場に倒れてしまうまでの想像はついた。今までに何度も立ちくらみは経験していて、床に倒れる寸前まで意識があることは分かっている。しかし痛みを感じることがないということは倒れる瞬間の意識がすでにないのだろう……。

 シャワーの音、私の記憶はそこで終わっていた。
 私が祥子と別れたのは、昨日会った佐和子が原因ではなかったのだろうか。雨の中私が佐和子と出会ったのも、公園で佐和子を見かけたのも、本当は偶然などではないのかも知れない。
 とにかく雨の、いや豪雨の時というのは私にとって予期せぬことが起こる。祥子が私に別れを言い出したのも、こんな豪雨の日だったことを思い出した。あれは夜だったが、昼間のように、いやさらに辺りがはっきりと写ったかと思ったら、遠くの方から近づいてくるようなズシンと重い雷の音が今さらながら耳に残っている。
 なぜ佐和子は私の前に現れたのだろう。祥子と別れてかなりの時間が経つ、もし佐和子が原因で祥子が私との別れを選択したのであれば、佐和子が私の前に現れることは「今さら」のはずである。
 豪雨の日、それは
「豪雨の日は特別なのだ」
 との意識を持った人間に対し、意識に対してのそれなりの回答を示してくれる時なのではないだろうか? 
 私はそう感じることによって、昨日一昨日という出来事が今日になって何かの答えを出してくれるのではないかと思っている。
 さっきまでは豪雨の中で昨日一昨日何が起こったのかを忘れていたためそこまで考えなかったが、確かに豪雨の日が私に投げかけた疑問は解決していない。
 角を曲がれば私の家はまもなくだ。
 何となく気持ち悪い胸騒ぎのようなものを感じる。
 とても悲しい気持ちなのだが、大切なものを失った、そんな気持ちのような気がする。
――そうだ、あの時、祥子と別れて悲しむ間もなかったが、あの思いが今私の中に沸々と芽生えてきているのだ――
 アパートの前で待っている男がこちらに近づいてくる。
 黒い革の手帳をこちらに見せた二人組みの男が刑事であることは、その場の雰囲気ですぐに分かった。
「柏木洋二さんですか?」
「ええ」
「実は昨日、森田祥子さんが亡くなりました。手首を切っての自殺だと思われます」
 何となく予感はあったが、聞いているうちに耳鳴りを感じてきて、まるで他人事のように感じるのはなぜだろう。豪雨の成せる業かも知れない。
「彼女の部屋にはあなたに関するものが一杯残っておりましたので、こうして事情をお伺いに参った次第です。もしよろしければで構いませんが、ご足労願いますか?」
 祥子が私に関することを一杯残していた? ということは嫌いになって別れ話を持ち出したのではないのだ。
「それはいつの話ですか?」
「昨夜の午後十時頃ですか。訊ねてきた女性が発見しました」
「その人は?」
「彼女の友達の竹内佐和子さんとおっしゃる方です。面識はありませんか?」
 私はしばらく、放心状態の自分を意識したまま、その場に立ち尽くすであろうことをじっと感じていたのだった……。


                (  完  )







    


作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次