短編集7(過去作品)
今度は意識して見たのだが、男が視界から消えて再度時計を見た時、予想どおりの五分が経っていた。これは私の腕時計との確認で、それだけで十分なのだが、その時の私は店の中にある時計まで確認していた。意識してのことである。
「あれ?」
驚いて言葉を発したが、決して予想していなかったことではない。店の時計はさっき見た時から、ほとんど時間が経っていなかったのだ。
「私だけ、時間が経過したのだろうか?」
コンビニで見た男の顔をはっきりと覚えていなかったが、今目の前にいる男と同じ顔だったかと言われれば疑問が残る。しかし目の前に現れた男の顔を見た時、少なからず顔の記憶がよみがえってくるのも事実だった。
顔や表情に違いがあったとしても、私には二人が同一人物であるという思いが濃く残っている。しかも今までの二度だけでなく、夢で見ていたかも知れないが、それ以前でも何度か目撃した気がして仕方がないのは、最初に不敵な笑みを見た時から変らない。
そういえば、学生時代の親友がこんなことを話していた。
「人間には、誰でも見てはいけない人がいる。その人は自分とすぐ近くにいるのだが、絶対に会うことはないのだ」
元々学生時代、人生や将来について話すことが好きな友達が多かった。もちろん嫌いな話ではなく、私もかなり意見を言ったものだ。しかし、彼らは日頃から常に頭の中で自問自答を繰り返している連中で、私のように聞かれれば答えると言った程度ではなかったため、かなり徹底していた。
一言返すと、それが一時間にも二時間にもなる話題となり、何度友達の部屋で夜を徹して激論を飛び交したことだろう。最初は一言だったのが、最後は私も激論の主役になることも少なくはなかった。
そんな中でもいくつか覚えている友人の言葉の中でも特別なものだった。漠然と分かっていても、完全に理解してきっていない言葉として、頭のどこかに引っかかっているのだ。
その友人との会話を思い出していた。
「それはどういう人なんだい?」
「これはあくまで理屈の世界の問題なんだけどね」
そういう前置きがあった上で、
「たとえば、いつも見ているのに改めて探そうとすると、なかなか見つからないこととかってあるじゃない?」
「うん」
「いつも同じところに置いてあるはずだからとは思って探すんだけど、そのいつも同じところがどこだったか、ふっと忘れてしまうことがあるよね」
彼は何が言いたいのだろう。
「人間だって同じ。いつも自分から見てまったく同じ距離にいる人、まぁ距離といっても立場という考え方もできるけど、そんな人がいれば他の人には見えても、本人には見えない……」
「本当に見えないの?」
「それが理屈での話しだからよく分からないけど、僕が考えるに、実際は見えていても気が付かないだけだと思うんだよね。さっきの探し物の理屈のようにね」
「目には入ってきているんだね」
「そうだね。見えているという表現が適切かどうかは分からないけど、目に入ってきているという表現がピッタリくるかも知れないね」
「何となく分かる気もするけど」
「石ころのようなものと考えればいいかも知れないね。石ころって、そこにあって不思議のないものって感覚があるでしょう? それと同じ」
「うん」
「それに石ころっていうのは、河原に行けばいっぱいあるように、たくさんの中にあることが多いので、どれか一つに集中して見ることなどないよね。それと同じで自分と会うことのない人ってのは、群衆の中に紛れているようなものだと思うんだよね」
さらにこんなことも言っていた。
「僕は星が好きなんだけど、夜空を見上げてきらきらと明るく光ってる星があるよね」
「うん」
「あれって何千、何万光年という彼方から来る光だから、その星が光っていたのは何千年以上も前のことで、僕たちが見ている今、どうなってるか分からない」
「うん」
「でも僕たちはそんなことまったく意識せずに夜空を見上げている。つまり距離感を感じていないんだよね」
「距離を感じなければ、時間も感じないということ?」
「そういうことだね。もし僕たちがいるこの世界にもう一つの世界が存在するとするならば、まったく同じ空間はありえないと思うんだよ。だとすれば、距離や時間を隔てた世界があってもいい気がするんだ。」
「でも実際にそんな世界が存在するの?」
「僕にはあると思うね。根拠はないけど」
根拠などあろうはずはなかった。しかしその時の私はその話を聞いていて、妙に納得させられたことを覚えている。
それ以外にもその友人とは、いろいろ話をした。もっと関心が深かった話もあったにはあったが、その中でこの話を思い出したのはこの二つのことがあったからであろう。間違いなくこの話に感銘を受けたのは確かで、この話が影響してであろうと思われるような夢を何度か見たことがある。
それも連続してというわけではない。忘れた頃にというくらい間があいていたのだが、まるで昨日見た夢の続きを次の日に見たという感覚が正直な気持ちだろう。
夢の中で見ている人、顔は分かっているはずである。そうでなければもう一度同じような夢を見た時、前の夢の続きだとは思わないからだ。
しかし夢というのは得てして醒めてしまえば、おぼろげにしか覚えていないもので、男の顔も思い出そうとするだけ無駄なことは最初から分かっていた。だが、もう一度見れば必ず思い出せるという、何の根拠もない自信めいたものもあった。
コンビニの男、コンコースの男、この二人が夢に出てきた人かも知れないという思いはそれぞれ見た瞬間にあった。しかしあまりに一瞬だったため、考えたことすら頭から消えていたのだ。
私とその男以外は時間が止まっていたというあまりにも衝撃的なことを目の当たりにした時、最初に浮かんだのはそれが夢ではないかということであった。しかし現実だとしても不思議がないような気がしているのは、夢があまりにもリアルだったからかも知れない。
いや、学生時代に語り合った話があまりにも私の中に残っていて、それがトラウマのようになり、自分の中で受け入れることを容認しているとも考えられる。
「見てはならないものを見てしまったのだ」
そんな思いがある。もし学生時代の友達にこのことを話したら、きっとこういうに違いないだろう。
しかし、その友人とも話すことはもう二度とない。
あれはいつだっただろう? 風の噂に聞いてびっくりしたのだが、連絡を取ってみれば友人が亡くなったという。聞いた瞬間、耳鳴りのようにこだました“死”という言葉をまともに受け入れることができなかった。
「え? 嘘ですよね」
と聞き返した私に、黙って彼の姉が、
「いいえ、本当です」
と答えた言葉でやっと現実を理解した。その時の彼女の声は私の知っている彼女の声とはほど遠く、冷淡にも聞こえるほどであった。
「どうして、なぜ……」
それを聞いた彼女はさらに低い声で、
「自殺だったんです」
とまるで押し出すように答えた。その一言に重みを感じた。
「何か自殺の兆候でもあったんですか?」
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次