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短編集7(過去作品)

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 今日もいつものように一人にターゲットを絞っていた。サラリーマンの人が多い中、私が注目したのはフードつきのジャンパーにセーターといった、まだ学生であろうか、学生時代を懐かしく思う気持ちが自然と彼に注目させたのかも知れない。
「どこかで見たような……」
 その顔には親近感があった。学生時代の友達に似ているのかとも思った。あまり視力がいい方ではない私は顔の詳細までは分からないので、あくまで雰囲気だけの判断である。
 しかしその人の特徴はそれだけではなかった。
 他の人が時計を見ながらなどのように時間に追われるように歩いている中、その人だけがやたらと歩くスピードが遅い。
最初考え事をしながら歩いているのかと思った。下を向き、肩を竦めるようにして歩いているような感じがしたからである。しかしそれは一瞬で、すぐに頭を上げたかと思うと視線をまっすぐにし、そこから視線を逸らすことはなかった。まるで何かを確かめるかのように大地を踏みしめ歩いているかのようである。
彼が人の波に呑まれていく。
上から見ているとはっきり分かり、明らかに人の邪魔になっている。
 彼はどこから現れたのだろう?
 よく考えれば、このスピードでバスから降りてきた人の波に呑まれるということは、バスの乗客ではない。しかも歩いてきたのであれば、一人で歩いていたことになり、私が気が付きそうなものだ。それが人に飲み込まれる寸前に気が付いたわけで、いかにも不思議なことだった。
 人の邪魔になっているのを彼は一切気にしていない。いつものことなのか、他の乗客も表情一つ変えずただ歩いているが、これが朝の普通の光景なのかと思うと少し変な気がする。
 あまり背が高くないその男は、みるみるうちに人の波に消えていく。そのうち本当に彼を避けているのかと思うほどの呑み込まれ方である。
「あれ?」
 人の波が一気にコンコースに消えていくのを見ていたのだが、人の流れは最初から最後まで一定で、誰一人として走り出す人がいないのも珍しい。
 その波がコンコースの中に消えた時、気になる男が一人取り残されるであろうと想像していたが、結局、誰もそこに残っていなかった。明らかに私の想像していたのと違う結果だったのだ。
 私は人の波が消えた軌跡をじっと見つめた。
何も残っているはずないのに、そこから視線を逸らすことがしばらくできなかった。前の日のが残っているのか、新聞紙が散らかっているのが見える。その新聞紙が一気に宙に舞い、何回も宙返りを繰り返している。強風が舞っているのだ。
さっきまで風が吹いているとは感じなかった。これだけの風だったら、少なくとも人の波のスピードがはるか遅くてもよかったはずだからである。コートで風を避けているような素振りの人もいなかった。
と、いうことは人の波がコンコースに吸い込まれてから吹き始めた風ということになるのだ。
しかしその風も長くは続かない。舞い上がった新聞紙が木の葉のようにゆっくりヒラヒラと落ちてきた。
一気に止まったのだ。そんな風というのも珍しいのではないだろうか?
今ロータリーは人の波が止まっている。それも珍しいことであり、眼前に広がる世界すべてがまったくといっていいほど凍りついたかのように見える。
その静寂をぶち破ったのは、意外にも次の波ではなかった。
静寂を感じた次の瞬間、コンコースから一人の男が飛び出してきた。そしてバス停の近くまで走っていったかと思うとあたりを見渡している。その姿は中腰になって這うように地面を見つめている。明らかに何かを探しているように見える。
そういえば駆け出してきた時の様子もただ事ではなく、血相を掻いていた。着こなしていたはずのスーツはすっかりはだけてしまっていて、髪型もかなり乱れている。どこかに何かを落としたのだろうか?
探し物は結局見つからず、うな垂れながらコンコースの中へと入っていく姿は痛々しい。小さい頃よく落し物をした私にはそれがまるで自分のことのようで、知らず知らずのうちに、男の後姿が自分とダブって見えていることに気付いていた。
「おや?」
 今度は別の男がコンコースから出てくる。ゆっくりとした足取りに見覚えがあり、背の低さからもそれが先ほど人の波に呑まれるようにコンコースへと消えていった男とすぐに分かった。
 何を思ったか男は途中で立ち止まり、おもむろにコンコースの方へと振り返る。
 そこには白い歯が見え、ここからでも嫌らしさを含んだような不敵な笑顔がはっきりと確認できる気がする。
ポケットに手を突っ込むと何やら手の平サイズの茶色いものを取り出したが、私にはそれが何であるかすぐに分かった。
「財布?」
 先ほどコンコースから血相を掻いて飛び出してきた男のうな垂れた姿が頭をよぎる。展開から考えても男の手のうちにあるものが財布であることはすぐに分かり、いよいよその笑顔が不敵で嫌らしいものであるという確信が持てた。
 男はその皮製の財布をボーンボーンと二、三度、手の上で玩んだ。不敵に浮かんだ笑顔はしてやったりの表情で、それを見ている私の掌は握りしめているため汗でグッショリしている。
 小さい頃の悔しかった思い出が頭によみがえり、悔しさのためわなわなと震えているのも自然に出てきた行動である。
「どこかで見たことあるような……」
 声になってないが、思わず呟いた。
「それも、一度ではないはず」
 夢で見たのかも? という思いがあるくらい何度か見たという思いが頭にある。
 悔しさのため震えてはいたが、意外と頭の中は冷静だったのかも知れない。
というよりも、悔しさが頭の中にこみ上げてきたから、見たことがある人だと思い出したのであって、それはあの嫌らしい不敵な笑みから連想するものだった。
一番最初に記憶として残っているのが、まだ幼かった頃のことだからであろうか。記憶しようとしてもなかなか覚えられないのが事実で、元々人の顔を覚えるのが苦手だと思っていたのは、幼い頭で必死に覚えようとしていた経緯があるからかも知れない。
事実、今目の前にいる男もごく最近見かけた気がする。本当なら見た瞬間に思い出してもいいくらい最近のような気がするのに、すぐに思い出すことができなかった。
「コンビニの男」
 あの時の男の表情が浮かんできた。細部にわたって思い出すことはできないが、漠然とした表情はおおむね思い出すことができる。
 男は私が一部始終見ていたことを知ってか知らずか、踵を返しコンコースから出てきた次の波にさらわれるように、群衆の中へ消えていった。
 彼らが去った後、一塵の風が舞っていたが、私にはその風に匂いがあるような気がして仕方がない。
 まるで夢でも見ているのだろうか?
 今日、私は偶然であったが、最初の群衆が現れた時に時計を見ていた。それは無意識の行動だったのだが、サラリーマンとしては当然の行動だったのかも知れない。当然、腕時計と合っていることも確認した。
 ちょうど九時二十分!
 まだゆっくりできる時間には違いなかった。最初からの予定の行動で、私が感覚として覚えていた時間とほとんど誤差はなかった。
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次