時空を超えた探し物
恋愛に年齢は関係ないと思ってはいるが、そろそろ恋愛を卒業する年齢だと思っていた。本人の中で、とっくに恋愛を卒業したと思っていても、人を好きになることもあった。
――何度目の恋愛卒業の機会になるんだろうか?
今までに何度も感じた恋愛卒業の感覚、人を好きになることが億劫になりかかったこの時期なら、できるかも知れないと思っている。
しかし、逆にそんな今だからこそ、
――誰かを好きになるのを新鮮に感じることができるかも知れない――
と感じた。
四十歳も後半を過ぎると、本を読むだけではなく、また映像に興味が出てきた。恋愛を卒業できたと思いながらも、そのうちに誰かまた好きになってしまった時のことを考え、映画やドラマでの恋愛シーンを自分と重ねてみることで、また恋愛に走ってしまいそうな自分を諫めることができるような気がしたからだった。
なるべく映像化されたものを本で読んだり、逆に本で読んだものを映像としてみないようにしていた。それぞれでイメージしたものが、違った形で表現されるように感じてしまうからで、先に感じた方がウソのように思えてしまうことが、嫌でたまらなかった。
もし、後に感じた方がウソのように思えるのであれば、そこまで嫌な気はしなかったが、どうしても最初に感じた方がイメージとして強く残っているので、その思いをウソのように感じたくなかったのだ。
特に先に本を読んでから映像を見ると、完全に映像の方が見劣りしてしまう。
――それだけ人間の想像力というのは素晴らしいものだ――
と感じていた。
つまりは、映像で見るよりも想像の方がいいということを示している。しかも、後から見た映像の方が印象深いはずなのに、最初のイメージが残っているということは、それだけ想像力が映像で創作されたものよりも強いということだ。
元々は、映画化されたものは、映像を見るよりも、本を読んでいる方が絶対に面白いと思っていた。確かに想像力という意味では、本に勝ることはできないだろう。しかし、自分が演じてほしいと思っている俳優に演じられた時の映像は、本で想像するよりも、数段素晴らしい。完全に自分のイメージに嵌ったというところであろう。なかなかそういう映画には巡り合えないが、一度頭の中でドンピシャのイメージが浮かんでしまうと、今まで本を読む方が多かったものが、一気に映像へと傾斜していく自分を感じていた。
あれは四十七歳になった頃のことだっただろうか。部屋にいて、本を読む時間とDVDを見る時間とが、ほぼ同じくらいになった頃だった。それまで本ばかり読んでいたので意識していなかったが、自分の部屋がかなり殺風景であることに気が付いた。
同じ照明なのに、本を読んでいた頃の方が明るかった気がした。本の面に当たって目に入ってくる明かりの方が、漠然として部屋の中を見渡すよりも、かなり明るく感じるからだった。
だが、それよりも映像を写した時に感じた部屋の暗さが印象的だったのは、まるで映画館で予告編が流れている時のような中途半端な明るさに思えたからだ。もっと暗くすれば、まるで映画館でスクリーンを見ているような醍醐味を感じることができるが、逆に醍醐味というのは、大きなスクリーンだからこそ感じられるもので、限られた狭い自分の部屋で感じられるものではないからだ。
部屋の明るさもさることながら、映像を見ていると、浮かび上がってくる影を感じることができた。それはテレビ画面の中にある影ではなく、テレビの外の影だった。ちょっとした置物が壁に写し出されて大きく感じられることがあるが、まさにその光景だった。
――幽霊が見えているようだ――
と感じたとすれば、余計部屋の中をシーンとした静寂の中に置くわけにはいかなかったのだ。
あれは何という映画だったのだろう?
今までにも見たことがある女優だったはずなのだが、それまでは、あまり意識したことがなかった。
今までは、確かエキストラの演技ばかりだったが、その中でも意識してしまう存在だった。そうでもなければ、今度の映画でちゃんとした役を貰えたのが最初だったとしても、
――以前にも見たことがあったような――
という意識は持てなかったはずだ。
彼女の今回の役は、ナースだった。悟はコスプレには少し興味を持っていて、セーラー服やナース、ミニスカポリスなどは意識してしまう。
だからと言って、オタクだったわけではない。映像で見てドキドキするくらいのものだった。その思いは思春期の頃が一番強く、それまで付き合っていた女の子に飽きてしまったことがあったが、それは彼女を見ていて、コスプレにふさわしくないと感じたからだった。
実際にコスプレに走ることはなかったが、女性を見る目が、どうしてもコスプレを意識させるものであり、いかにもコスプレには似合いそうもない女性に対しては、最初から意識しないようになっていた。
「こんなに似合うとは思わなかったな」
ちょうど一週間前に健康診断があり、会社の近くの病院で検診を受けた。最近は病院に行くような病気をしたこともなく、病院というと一年に一度の健康診断だけだったので、久しぶりの病院だったはずなのに、まるで数日前にも来たような気がしてしまうほどであった。
――病院に来ると、どこも悪くなくても、悪いところがあるような気がしてくるみたいだ――
と思っていた。
もちろん、本当に病気になるようなことはないが、熱っぽかったり、身体のダルさがまるで風邪を引いた時のような感覚だった。
風邪というと、身体が敏感になり、震えや寒気を感じさせる。感じた寒気が指先を痺れさせたりすることもあるが、そこまで来るとさすがに病院に行く。
「風邪ですね」
診断はほぼ風邪と言われるだけだ。風邪と言われてホッとする自分を感じるのは、きっと年を取ってしまったからだろう。若い頃のように単純に信じられないのは、三十歳後半で、風邪をこじらせて、肺炎になったことがあったからだ。
最初はそれほどのことはなかった。少し寒気がする程度で、いつものように、
――ただの風邪なんだろうな――
と思っていたが、一気に悪くはならないわりに、快方にも向かわない。
もう一度病院に行くと、
「それでは、精密検査をしてみましょう」
と言われた。精密検査が終わってから診察室に呼ばれると、
「どうやら、肺炎をこじらしているようですね。少し入院して、点滴治療しましょう」
と言われ、二日間ほど、ずっと点滴を打たれていた。
病室で寝ていると、見えてくるのは天井だけで、天井から目を逸らすと、点滴のビンに自然と目が行く。下から見ていると見えてくる部分はいつまで経っても、液が減ってこないような錯覚に陥る。
時間的には一本に大体二時間が掛かるというが、一時間経っても、ほとんど減っていないのを感じると、時間の感覚がマヒしていることを感じた。
――なるべく、点滴のビンから目を逸らしていよう――
と思うと、見えてくるのは必然的に天井だけだった。
――天井が落ちてくるかも知れない――
そんなバカなことがあるはずもないのに、そんなことを考えるのは、何かに不安を感じているからではないかと思った。