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時空を超えた探し物

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 と思ったが、若い頃の、頭が柔軟な時期にもう一人の自分の存在を意識していないと、頭が固くなってからは、その存在を意識できる機会に恵まれたとしても、固くなった頭がその存在を認めようとしない。自分が納得できなければ信じられないという感覚は、年を重ねるほど序実に感じるようになるのだ。
 喫茶店で気になっていた女性とは、結局話をすることはなかった。今から思えば、最後の方は、彼女の方も痺れを切らせていたのかも知れない。もちろん、悟が話しかけてきそうで来ない素振りには気付いていたのだろう。それを悟は彼女が気付いていないと思いこんでいたので、余計に話しかけにくかった。中途半端に気を遣っていたのだが、中途半端な気を回すということが、却って相手に余計な気遣いをさせてしまうことに、気付いていなかった。
 彼女にしても、いつまで経っても話しかけてこない相手二そうは気を遣ってもいられない。最初は気にされて嬉しくない女性などいるはずもないという御多分に漏れることもなく、彼女も早く話しかけてほしいと思っていたはずだ。
 いや、本当に最初は、話し掛けられるか掛けられないかという微妙なタイミングを楽しんでいたのかも知れないが、なかなか話しかけてこない相手に対し、
――この人は純情なんだわ――
 と、子供を癒すような気持ちで見ていたのだろう。彼を意識しながら、なかなか話しかけてこないという二人以外のまわりにピリピリした空気を与えて、中には、
「俺は、男性はそのまま声を掛けずに終わる方に賭ける」
 などと、賭け事の対象にしていた人もいたに違いない。
 もちろん、当事者である二人はそんなことを知るはずもない。もし、彼女が知っていたとしても、そんなことを口にするはずもないし、きっとそれでも気付かない悟に対して、業を煮やしていたはずである。
 そんな彼女が急に来なくなった。
 最初は焦っていた悟だったが、一か月も経てば、急速に気持ちが冷めてきたのが分かっていた。
――俺が彼女のことで気持ちが冷めるわけはない――
 と思い、ショックが半年でも一年でも続いてしまうのではないかと思ったほどだった。
 高校時代にプラトニックな恋愛をしたことがあり、その時、悟はフラれることになったのだが、悟は本当に一年間苦しんだ。今から思えば子供じみた思いだったのだが、その時真剣だった気持ちは忘れていない。本当なら滑稽で笑えてくるのだろうが、自分で笑うなどできっこない。もし、他の人がそれを知るときっと笑うに決まっているが、そんな連中も許すことはできない。要するに、その時の自分を笑うことができるのは、誰もいないということだった。
 そんな悟が、いきなり五十歳になってから、その時の彼女を思い出すようになった。
 最初のきっかけは、もちろん日記を読み返したからだろう。だが、それもとどのつまりが、
――彼女のことを思い出すことが分かっていたので、日記を読み返すことになったのではないだろうか?
 と感じたのだ。
 読み返した日記の中で、一つ共通して思い出したことがあることに、すぐには気付かなかった。
――彼女が見せていた笑顔には、それ以前に知っている人の顔だったような気がする――
 ということだった。
 最初は、元嫁ではなかったかと思ったが、すぐに打ち消した。彼女の笑顔を思い出すたびに、元嫁の笑顔も思い出していたが、その笑顔の幼さに、今ではわざとらしさが感じられた。
 わざとらしさというよりも、相手に媚を売っている笑顔だと言った方が正解かも知れない。それまでは、まっすぐに向けられた顔に、他意のないあどけなさを感じたことで、何ら疑う余地もなかったが、いざ離婚してしまって後から思い出すのは、冷徹なイメージだけだった。
 冷徹というよりも、人間の血が通っていないようなイメージだ。そこには相手に対しての思いやりもない。あどけなかったあの頃を彷彿させるものは、もうどこにも残っていなかったのだ。
 そんな元嫁の結婚前と結婚後の両極端さは、今でも悟の気持ちを混乱させている。離婚した後、
――もう、結婚なんかしたくない――
 というところまで感じたことで、それ以降の人生で、極端な思い入れをしなくなったのがその頃だったのを思い出させる。結婚だけが確かに幸せではないのだが、離婚するまでは、そんなことを考えたこともなかった。
 だから、今では結婚していた時期のことは、別世界のような感覚だった。
――俺には、いくつ別世界が存在するんだ?
 という思いがある。
 もちろん、離婚してから意識した女性がいなかったわけではない。
――この人となら、やり直せるかも知れない――
 と感じた人がいたのも事実で、実際に軽く付き合ったこともあった。本人だけが付き合ったと思えるような軽い付き合いで、まわりから見ていると、二人が付き合っているということを察知できている人はいないだろう。
――では一体誰だったのか?
 それは、ずっと忘れていたが、本当はもっと前に思い出すべき人だったのだ。それは別れた元嫁と知り合う前に付き合ったことのある女性で、結婚に対して意識が強かったと思えるごくわずかな時間を過ごしている時のことだった。悟自身にはそれほど強い意識はなかったが、彼女にはかなりの結婚願望があった。悟に対して必要以上に感情を剥き出しにしていたのは、彼女がその時のそんな気持ちを抱いている悟のことを、笑顔ではいても、自分の中で納得いかずに、我慢できない存在の一人であったからだ。
 つまりは、悟は彼女から逃げていたことになる。
 もちろん、悟はそんなことを認めたくはないが、認めなければ、彼女の存在を自分の中で納得させることができない。彼女の存在を納得させられないと、今の自分も納得できない気がするからだ。
――やっぱり、俺は逃げていたんだ――
 そう自分を納得させることができるようになったのは、離婚してから後だというのも皮肉なことだ。悟にとって、離婚したことよりも、彼女のことで自分を納得させることの方がきつかった。
 それは、辛かったというのとは少し違っている。
 彼女とは結果的に、向こうから別れを切り出したことになっている。煮え切らない悟に業を煮やし、
「あなたのようにハッキリしない男性とは付き合っていけないわ」
 と、愛想をつかされたのだ。
 男性としては情けない別れ方だが、自分から別れを切り出すよりも、ずっと気が楽だった。それまでも、自分から付き合っていた女性に別れを切り出したことはない。すべて相手からだった。いや、自分から別れを切り出すなど、後にも先にもなかったことだ。
 最初は別れを切り出される方が辛いと思っていたが、実際には逆だった。それは、自分が初めて女性から逃げていることを意識しながらでも、自分が煮え切らずに、結果的に相手から別れを切り出させることになったからだ。今までの中で一番辛い別れになったが、それも今では、高校時代のプラトニックな恋愛と並んで、一つの思い出として、頭の中に残っているだけだった。
 今までの恋愛にランクをつけるつもりはサラサラなかったが、五十歳になった今は、恋愛にランクをつけてみたいと感じている。
――もうこんな年になったしな――
作品名:時空を超えた探し物 作家名:森本晃次