時空を超えた探し物
悟にとって喫茶店での時間を本を読んで過ごすことが一番であり、本を読むベストポジションが喫茶店であるということを証明したような気がした。
本を読んでいると、最初は喧騒とした雰囲気が自分の中で小説の舞台を思い浮かべるのに邪魔になっていると思っていた。しかし、そのうちに喧騒とした雰囲気が邪魔にならないようになってきたのは、本の世界に集中するあまり、まわりの声が聞こえなくなったと思うようになっていた。
だが、それで終わりではなかった。本を読んでいて、まわりの声が聞こえなくなってくると、感じるようになったのは、空気の流れる音であり、どんなに穏やかな風であっても、空気の流れる音を聞き逃すことはないように思えてくる。
さらに感じてきたのは、胸の鼓動の音だった。
それが自分の胸の鼓動の音なのか、他の人の胸の鼓動なのか判断がつかない。しかも聞こえてくるのは一つだけ規則的な鼓動であった。この事実だけで見れば、自分の胸の鼓動でしかないはずなのに、毎回鼓動が違っているように思えてくると、
――本当に自分のものなのか?
と疑問に感じるようになった。
胸の鼓動の音は、気が付けば風の音にかき消されていた。いつの間にか聞こえなくなっていたにも関わらず、どうして風の音にかき消されたのかと言いきれるのか、自分でも分からなかった。胸の鼓動の音が、いつも違っていたことと関係があるように思えていたが、考えれば考えるほど、何一つ、その二つを結びつけるものはないのだった。
胸の鼓動がかき消されてしまうと、風の音だけになっていた。胸の鼓動が規則的な音だったこともあって、読書をするには、リズムがあることで、違和感はなかったが、逆に風の音だけになると、最初に感じた喧騒とした雰囲気と変わらないような気がしていて、気が散るのか、読書が進まなくなってくる。
しかし、これが本当なのかも知れない。
元々喧騒とした雰囲気を感じていたのだから、元に戻ったと言っても過言ではない。ただ、だからと言って、喫茶店で本を読むのをやめようと思わなかったのは、
――そのうちに、胸の鼓動を感じる時がやってくる――
と感じたからだった。
意外とその時期はすぐにやってきた。胸の鼓動が聞こえなかった時期がまるで夢だったかのような感覚は、錯覚に近いものがあり、錯覚を感じさせるということは、すぐに現状を復活させることができるという発想を抱かせたのだった。
その頃になると、喫茶店で本を読むというのは、もはや趣味ではなくなっていた。
――生活の一部――
となっていたのである。
生活の一部に感じるようになったのは、慢性化したというのも一つなのだが、一度聞こえなくなった胸の鼓動が、また聞こえてくるようになったからではないかと思うようになった。
悟は、仕事が終わってから立ち寄る喫茶店を馴染みの喫茶店と位置づけ、最初読んでいた歴史ものの小説が遠い過去に感じられるほど、恋愛小説に嵌っていった。胸の鼓動を最初に感じたのは、恋愛小説を読むようになった頃であり、再度鼓動が聞こえ始めた時には、同じ恋愛小説でも、どんなジャンルを読みたいと思うかということを自分の中で決めた時だった。
あまりドロドロとした恋愛小説は、どうしても苦手だった。それでも読んでみようと思って二、三冊読んでみたが、どうしも馴染めない。同じ作者の作品だったので、必然的に、その人の作品は読まなくなった。その作者の名前は、相原恵子と言った。
――女性が描く作品の方が、よりドロドロしているような気がするな――
少女漫画の方が少年漫画よりも、エロいシーンは過激だとよく言われる。悟も、
――その通りだ――
と思うが、中学時代に友達と一緒に見た本だったので、今とはだいぶ違っているだろうが、その時のイメージが強く、どうしても、女性作家の作品には、ドロドロしたところに遠慮がないように思えてならなかった。
昼メロと呼ばれる時間帯でのドラマは、特に嫌いだった。午後一時すぎくらいからの一時間ほど、数チャンネルで似たような番組をしている。今でこそあまり見なくなったが、
――やはり、時代遅れなのかも知れない――
と思うと、余計に読みたくなくなってしまった。純粋な恋愛モノだと言えないかも知れないがトレンディドラマと呼ばれたのも今は昔、一世を風靡はしたが、すでに時代遅れだった。
悟はあまりテレビを見ることはない。部屋にいて殺風景なのでテレビをつけていることもあるが、ドラマ系やバラエティ系がついていることはあまりない。それならニュースをつけている方がマシだった。もし、ドラマを見るのであればレンタルビデオを借りてきて見る方がいい。再放送ならまだしも本放送であれば、一週間待たなければいけない。それまでに気分が冷めてしまいそうに感じるからで、今まで映画のように、一部完結ばかりを見ていると、いいところで翌週に引っ張られるのは、あまり気分のいいものではない。
テレビドラマを見ない代わりに本を読んでいるというわけではないが、自分の部屋で本を読むことはないので、ほとんど部屋にいることはなくなった。喫茶店に立ち寄るようになってからは、閉店までいることがほとんどで。毎日、三時間近くも喫茶店にいる時期が続いていた。
その喫茶店には、本を読むために立ち寄っている人は他にもいた。男性は悟一人で、他には女性が三人いるという話だった。
そのうちの一人だけとは面識があった。他の二人と全然会わなかったのは、ただの偶然なのかも知れないが、時々会っているとは言え、面識のある彼女とは、ほとんど会話をしたこともなかった。
年齢は、三十歳前半くらいだろうか? 週に二回くらいは会っている。最初は意識していなかったが、見かけるようになって一か月ほど経ってからだろうか。彼女の方から会釈してくれた。二回目からは悟の方から頭を下げているが、急にどんな心境の変化があったというのだろうか。ただ、話をすることはなく、お互いに黙って本を読んでいるだけだった。
彼女の存在を意識するようになったのは、それからのことだった。挨拶されなければこちらから挨拶をすることもない。存在は感じていても、意識することはなかったはずだ。それなのに、挨拶一つだけで、彼女の存在を感じてしまうと、本を読んでいる空間に一人ぼっちだと思っていたのに、一人侵入してきたことを想像した。
一つの空間に一人侵入してきたのだから、空間はその人の分だけ狭くなったように普通なら感じることだろう。しかし、その時は普通ではなかった。狭く感じるはずの空間が、広く感じられたのだ。
――彼女が不思議な存在なのか、それとも、本を読んでいるという意識が、自分の中で作り上げた空間に錯覚を呼び込んだのか――
そのどちらかなのだろうと思ったが、そのどちらとも言える決定的なものは存在しなかった。
決定的なものがなければ、後者で片づける方が気は楽であった。その時も、後者で自分を納得させたが、彼女との距離がずっと同じままだった。
――少しくらいは距離感が変わってもいいものを――
と感じていたが、まったく変わらないというのも気持ちの悪いものだった。